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養老孟司「生死をさまよい、娑婆に戻ってきた」病院嫌いが心筋梗塞になって考えたこと

2021-04-25 15:30:00 | 日記

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447万部の大ベストセラー『バカの壁』の著者として知られる解剖学者・養老孟司氏が、82歳で心筋梗塞に。長年健康診断も一切受けず、かねて避けてきた現代医療。しかし25年ぶりに東大病院にかかり入院することに……。そして考えた、医療との関わり方、人生と死への向き合い方。体験をもとに、教え子であり主治医の中川恵一医師とまとめた『養老先生、病院へ行く』を上梓。同書より第1章を2回に分けて特別公開する──。(第1回/全2回)
※本稿は、養老孟司、中川恵一『養老先生、病院へ行く』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。
病気はコロナだけじゃなかった
2020年2月後半、新型コロナウイルス(以下「新型コロナ」や「コロナ」とも表記)の感染者が急増してから、外出できなくなってしまい、鎌倉の自宅に缶詰状態になってしまいました。
取材や打ち合わせは鎌倉の家に来てもらって行うので、外出するのは自転車に乗ってタバコを買いに行くくらい。公衆衛生の観点でいうと、感染症は人にうつさないことが基本ですから、自分なりに人との接触は避けていました。
それでも感染するのは仕方のないことです。感染症は感染するかしないかのどちらかですから。感染しないつもりでいても、感染するときはします。高齢者ですから、重症化して亡くなることもあるでしょう。
同年3月26日に、このたび刊行した『養老先生、病院へ行く』の共著者で東京大学の後輩でもある医師の中川恵一さんと「猫的視点でがんについて考える」(『医者にがんと言われたら最初に読む本』所収)という対談を行ったときも、そんなお話しをしたのを覚えています。
ところが、病気はコロナだけではありませんでした。6月に入ってから、私自身が別の病気で倒れてしまったのです。
「身体の声」に背中を押されて…
私はよっぽどのことがなければ、自分から病院に行くことはありません。ただ家内が心配するので、仕方なしに病院に行くことはあります。自分だけで生きているわけではないので、家族に無用な心配をかけるわけにはいきません。
養老孟司、中川恵一『養老先生、病院へ行く』(エクスナレッジ)
ところが今回は様子がかなり違っていました。6月4日の「虫の日」に、北鎌倉の建長寺で虫塚法要を終えるまでは何でもなかったのが、10日くらいから体調が悪いと感じるようになりました。
在宅生活が続いたことによる「コロナうつ」かとも思いましたが、「身体の声」は病院に行くことを勧めているようでした。
身体の声というのは、自分の身体から発せられるメッセージのことです。例えば、昼に何か食べて、その日の夜、あるいは次の日の朝でも、「なんだか調子が悪いな」と思ったら、昼食に食べたものが悪いとわかります。このとき自分の身体は、いつもの状態と違う何かを伝えていると考えています。
現代の医療システムに巻き込まれたくない
家内も早く病院に行きなさいと催促しています。長年、健康診断の類いは一切受けていなかったこともあり、仕方なしに病院に行って検査してもらおうと決心したのです。
なぜ病院に行くのに決心がいるのかというと、現代の医療システムに巻き込まれたくないからです。このシステムに巻き込まれたら最後、タバコをやめなさいとか、甘いものは控えなさいとか、自分の行動が制限されてしまいます。コロナで自粛しているのに、さらなる自粛が「強制」されるようなものです。
なぜ医療システムに巻き込まれることにこれほど悩むのかについては、『養老先生、病院へ行く』の中で詳しく述べましたが、そのことで家内と対立するのも大人げないので、病院に行くことを決心したのです。
いったん医療システムに巻き込まれることになったら、つまり病院に行ったら、あとは「俎まないたの鯉こい」です。すべてを委ゆだねるしかありません。それは覚悟していました。
25年ぶりに東大病院を受診する
受診の相談をしたのは、中川恵一さんです。東京大学医学部附属病院勤務で、がんの放射線治療が専門ですが、終末医療の造詣ぞうけいも深く、『自分を生きる 日本のがん治療と死生観』という本を一緒に書いたこともあります。
82歳の年寄りですから、重大な病気があれば、そのまま終末医療に入れるかもしれません。それはそれで好都合です。
また、中川さんは私のような「医療界の変人」への対処法もよくわかっています。その安心感もありました。そこで6月12日、中川さんに連絡を入れてみることにしたのです。
そのときの私の症状は、1年間で約15kgの体重減少、あとはなんだか調子が悪い、元気がない、やる気が出ないといった不定愁訴ふていしゅうそだけです。体重がなぜ10kg以上も減ったのか、理由はわかりません。
6月中は何かと忙しく、そのときは緊急性があると思っていなかったので、少し暇ができる7月に入ってから受診できるかどうか相談しました。
ところが、その直後、7月以降の予定がいくつも入ってしまい、身動きがとれなくなってしまったのです。そこで、6月20日過ぎに改めて受診の調整をしてもらい、6月26日に東大病院で中川医師の予約をとりました。東大病院を受診するのは25年ぶりのことでした。
今から思うと、この日に診てもらわなければ、自力で病院にたどり着くことは不可能だったかもしれません。というのは、受診日の直前3日間はやたらと眠くて、猫のようにほとんど寝てばかりだったからです。
まさかの心筋梗塞
6月26日、友人の運転で鎌倉から本郷の東大病院まで連れていってもらいました。中川医師の指示で心電図と血液検査を受けました。心電図をとってくれた検査技師は、特に何も言わず、表情も変えていないので、特に心臓に異変はないのだろうと、そのときは思っていました。
それから中川医師の部屋に行き、問診を受けました。血液検査は糖尿病の数値が高かったくらいだったので、次の受診の予約をとり、家内や秘書らとともに病院の待合室で待機していました。
東大病院のある本郷から近いので、御茶ノ水の山の上ホテルにある老舗天ぷら屋(てんぷらと和食 山の上)に行って、食事をしようかなどと話していたくらいで、今日はそのまま帰れると思っていたのです。
そこへ、中川医師が急ぎ足でやってきました。「養老先生、心筋梗塞です。循環器内科の医師にもう声をかけてありますから、ここを動かないでください」と言われ、そのまま心臓カテーテル治療を受けることになりました。その前後のことは、半分寝ているようだったのでよく覚えていません。
生死をさまよい、娑婆に戻ってきた
カテーテル治療後は、ICU(集中治療室)で2日ほど過ごし、循環器内科の一般病棟に移りました。カテーテル治療の前後やICUにいたときは、意識がぼんやりしていて、お地蔵さんのような幻覚も見えました。お地蔵さんは、阿弥陀あみだ様だったのかもしれません。
病院から出るには2つの出口があります。1つは阿弥陀様から「お迎え」が来て、他界へと抜け出ます。もう1つは、娑婆しゃばに戻ります。現在の病院は後者の機能が大きくなっています。前者はホスピスと呼ばれる終末医療です。昔の病院がお寺や教会に属していたのは、この機能が大きかったからでしょう。
しかし、阿弥陀様には見放されたらしく、とりあえず私が出たのは娑婆の出口のほうでした。
成人してから2週間も入院したのはこれが初めてです。子どもの頃、赤痢(赤痢菌による感染症)で入院したことがあります。終戦の前でしたが、その頃、神奈川県津久井郡中野町(現在は相模原市緑区)に住んでいました。
そこは母の実家で、祖父母と叔母がいました。実家は山の中腹にあり、水道がないので山から水を引いていました。そのため、赤痢が流行し祖父母も叔母も赤痢で亡くなりました。
そのとき私も一緒に赤痢にかかり、鎌倉に戻って母の知り合いの女医さんの病院に1人で入院して、生き延びました。小さい頃から、感染症があたりまえの環境で暮らしていたのです。
退院したのがいつだったかはっきり覚えていませんが、昭和19年(1944年)の春だったと思います。
いつ死んでもおかしくなかった
赤痢で入院していたことを考えると、いつ死んでもおかしくないと思っています。今回、主治医の中川さんは、15kgやせたと聞いて糖尿病かがんを疑ったようです。検査の結果、体重減少の原因は糖尿病のようで、全身をくまなく調べても、がんは見つかりませんでした。
がんは年齢とともに発症率が高くなる病気です。今までがん検診を受けたことがありませんから、82歳ならがんの2つや3つあっても不思議はありません。
でも検査を受けなければ、病院に行かなければ、がんがあるかどうかはわかりません。中川さんは私よりずっと若いのに、膀胱ぼうこうがんが判明して大きなショックを受けたと言っています。だから私のような病院嫌いは、検査を受けないほうがいいと思っていたのです。
もしも、がんが見つかっていたら、それはそれで面倒なことになります。今回の入院で、いろんな検査をしましたが、大腸内視鏡検査では大腸ポリープが見つかりました。がん化する可能性があると言われましたが、放置することにしました。
医者選びの基準は「相性」
がんであれば、家族は放置を認めないでしょうから、放射線治療くらいはやるかもしれません。手術はストレスが大きいので選ばないでしょう。抗がん剤もストレスが強ければやらないと思います。
だから、担当の医者が「がんは取れる限り取りましょう」というタイプだと困ってしまいます。もちろん、患者には治療法を選ぶ権利がありますが、主治医と患者で意見がずれてしまうと、ただでさえ楽ではない治療に余計なストレスがかかります。ですから、医者選びは大事なのです。
医者選びの基準は「相性」です。現在の医療は標準化が進んでいますから、基本的に誰が主治医になっても同じ治療が行われます。
一方、人には好き嫌いがあるので、相性が重要です。夫婦や、教師と生徒の関係にも似ています。
もう1つ、医者選びは自分と価値観が似ているかどうかも重要です。例えば、もう延命は望まないと思っているのに、主治医が延命を勧めたら、ストレスになってしまいます。
もう治療はここまでという私に対し、じゃあこのくらいにして、あとは様子を見ましょう、と言ってくれる医者でなくてはいけないのです。
こんな私と相性や価値観の似た医者というのはあまりいないのですが、中川さんはその期待に応えてくれたと思います。大変、お世話になりました。
医療のIT化が進むことで失われるもの
相性のよい中川さんに診てもらったことで、大きなストレスを抱えることなく、病院にいることができました。また中川さん以外の医師や看護師の対応もよかったと思います。
しかし、できることなら病院に行きたくないという思いは変わりません。中川さんに対しては意地悪な言い方になるかもしれませんが、先述したように、現代医療を受けるということは、現代医療のシステム全体に組み込まざるをえないからです。
現代医療は統計が支配する世界です。例えば、がんの5年生存率という言い方があります。5年生存率は、がんが治ったと見なされる数字です。患者さんから集められたこうした数字をデータとして集め、情報化するのが現代医療です。いわゆる医療のIT(インフォメーション・テクノロジー)化、そして目指すのは医療のAI(人工知能)化でしょう。
私が東大医学部にいた頃は、そうではなかったので、医療は経験に頼らざるをえませんでした。だから聴診器で胸の音を聴いたり、顔色を見たりすることが重要だったわけです。
その時代の医療から、情報化された医療に変わってきたのは、1970年代あたりからではないかと思っています。
医療のIT化が進むことによって失われるものがあります。患者の生き物としての身体よりも、医療データのほうが重視されるようになることです。それを突き進めると、われわれの身体がぜんぶ管理されてしまうことになります。そんなことを、私は25年くらい前に東大で講義した記憶があります。
現代医療が扱うのは人工身体
その講義で話した通り、医療の情報化はどんどん進んできました。今の医者はパソコンの画面しか見ないとか言う人もいますが、それは当然なのです。データ化されていない、胸の音とか顔色がどうとかいうのは診療の邪魔になります。
逆にいえば、人間の観察力を信用していないということです。それでいて、数字に基づく理屈を信用しているのが不思議です。その理屈も人間の頭が考えているのですから。
医学や生物学を始め、いろんな学問は、私がやっていた解剖学の手法がベースになっています。その元になったのは何かというと、「物を見る」ということです。具体的に物を見るというのはいったいどういうことなのでしょうか?
情報化される前の医学は、ヒトそのものを見ることが重要視されていました。それで思い出したのが、東大病院で学生に口述試験を行ったときのことです。
頭の骨を2個、机の上に置いて、学生に「この2つの骨の違いを言いなさい」というのが試験内容でした。
するとある学生が、1分ぐらい黙って考えた末に、「先生、こっちの骨のほうが大きいです」と答えたのです。
ヒトの骨は1つとして同じものはありません。その学生には、大きさ以外の差は目に入っていなかったというか、目の前にある物を見て考える習慣がゼロだったということです。当時であれば、医者の資質に欠けているといっても過言ではありません。しかし、現在では、こういう学生も医者になれるのかもしれません。
現代医療が切り捨てる、生身の生き物の「ノイズ」
以前の医療が扱っていたのは現実の身体でしたが、今の医療が扱うのは人工身体です。現実の身体はもともとあるものです。これに対して、「人工」というのは頭の中で組み立てたものです。人工身体ばかりを見ていると、現実の身体というのはノイズだらけに見えてきます。
医療のIT化が進むと、ノイズは徹底的に排除され、統計的なデータに基づく確率に支配されていきます。病名を特定するときは、より確率の高いものから調べていきますし、治療法もより確率の高い治療法を選びます。
今回、病院に行ったときも、中川さんはまず15kgの体重減少という症状から、糖尿病かがんを疑いました。心筋梗塞が見つかったのは念のためにとった心電図の異常な波形を見たからだそうです。心筋梗塞は普通、激しい胸の痛みがあるのに、私はまったく痛みを感じませんでした。もしかしたら見逃されていた可能性があります。
このように、統計的データを重視する医療は、確率の低いケースを、ないものと見なすことにもつながっていくのです。


家のお風呂から旅立った母、私の介護は間違っていたのか

2021-04-25 13:30:00 | 日記

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「母親を看取ることができなかった私は、親不孝なのだろうか……」
 私は、この問いに対して、なかなか答えの見つからない日々を過ごしていました。
 いつもは川内さんのお話をまとめているライターの岡崎杏里です。
 今回は、私の話にお付き合いください。
 2020年12月、要介護2だった私の母が、自宅での入浴中に亡くなりました。
 たった一人で、浴槽の中で最期を迎えていました。
 自身も両親の介護の真っただ中(父の老人ホーム探しを書かせていただいたこともありました→「実録・父のために介護施設7カ所を一気に見学」)で関わることになった、この連載。毎回、自身の介護と照らし合わせながら記事をつづっています。
 介護のその先にある「親の死」に関する内容にも触れることもありました。そのたびに、両親共に要介護状態だったため、常に自分の問題としても考えてはいましたが。
 まさか、この連載中に、直面することになるとは。
 さらに、母の最期を看取ることができないなんて。  それは私が“イメージ”していた、母との別れとはあまりにもかけ離れていたのです。
 「同居すべきだったのだろうか」「私の母への介護は、何かが間違っていたのだろうか」など、母の死から間もないころは、自分を責め続けました。
 母の死の様子を知った人から、
「親の最期を見送れず、また、お母さんも見送られることができなかったのは、お互いにかわいそうだったね」
 といったような声をたびたび掛けられました。そのたびに深い心の闇に沈んでいく私。
 ですが、ある日。
「お母さんは最期まで自分の思った通りに生きられて幸せだったね」
 と、母の親友とも呼べる人が、私にそう声を掛けてくれたのです。
 この声によって、私の中に「“最期を見送れない、見送られない”のは、本当にお互いがかわいそうなのだろうか?」という疑問が生まれてきたのです。
 私はこの連載から“介護の要”は、「介護される人の気持ち、望むことを大切にする」ということだと学んできたつもりです。
 以下に述べる私の考えに対して、「ただの言い訳だ」「自身の介護を正当化している」と受け取る方もいるでしょう。価値観はさまざまですし、実は私自身も、今なおそちらに気持ちが動いてしまうことがあります。
 皆さんがどう思われるのかは分かりません。以下、淡々とこれまでの経緯と、自分の気持ちを綴らせていただこうと思います。
母が自宅での暮らしにこだわった理由
 母は、認知症の父が施設に入所して、要介護で独居となっても、訪問ヘルパーや福祉用具をフルに利用して、それまで暮らした家での生活にこだわっていました。
 その一方で母は、育児やこれまで父親の介護をしてきた私に、自分(母親)の介護までさせたくない想いや、そもそも、私と母は性格的な面で合わないところもあり、物理的にも心理的にも一定の距離を取ることの大切さはお互いに心得ていました。
 私が、川内さん的に言えば「母が安全に暮らせるのか、という、自分の不安を解消するために」同居を提案しても、母は利点よりも欠点が多いことを見抜き、拒否しました。
 時間を拘束される“デイサービス”の利用も、ご近所にたくさんいる母の友達が、しょっちゅうお茶を飲みに来るような環境を手放したくない、という理由で拒否し続けました。
 母がデイサービスを嫌がる理由も、よく分かります。でも、パーキンソン症候群により、著しく低下した運動機能を心配するケアマネジャーは「お風呂だけは1人では危ないので、ヘルパーかデイサービスを利用してください」と訴え続けていました。
 私もそこはケアマネジャーに同意して、2人であの手この手を使い、時には衝突をしながらも、説得を試みました。それでも、なかなか首を縦に振らない母には、大きな理由があったのです。「お風呂は寝る直前に入りたい」という長年の習慣を変えたくないこと。そして何よりも、母のお腹には卵巣がんなど2回の手術でできた十文字のような大きな傷があります。私や友人が温泉旅行に誘っても「傷があるから、人とお風呂に入るのはイヤ」と気にしていました。
 「本人の気持ちを一番に考えよう」というケアマネジャーの助言で、一度は諦めたデイサービスの利用。それでも、こちらの気持ちを少しは察してか「半日タイプのデイサービスになら」と言ってくれて、見学の予約を1週間後に控えていたところで、母はこの世を去ってしまったのです。結果的に、母はデイサービスを利用しない、という意思を貫いたわけです。
 「もっと、早く、無理やりにでもデイサービスに行かせていれば……」と後悔したこともあります。一方で、その決断に半年も要するほど“嫌だったところ”へ行かせずに済んだ、と、安堵している気持ちがあることにも気がつきました。
母はどちらを幸せに感じたのだろうか
 “介護の要”を理解できていなかった、この連載に関わる前であれば、母が大切にしたかったことよりも、「同居をしていたら」「デイサービスに行ってもらっていたら」「ヘルパーさんにお風呂をお願いしていたら」と、自分が介護で後悔したくないための思いにしか目が向かなかったことでしょう。
 母の思いを自分の考えで押し切ることができれば、母は今も生きていたかもしれない。事故(お風呂での溺死は事故扱いになります)ではなく、天寿を全うして、病院のベッドで家族に見守られて、私が“イメージ”していたように、母の手を握り、看取る。
 母もそれを望んでいたかもしれません。一方で、娘の“イメージ通りの看取り”のために自分の希望を通せなかったとしたら、母はそれを幸せだと感じたのかどうか。
 こればかりは、母はもう、この世にいないので、正しい答えを知ることができません。要介護状態で一人暮らしを選んだ段階で、母なりにそれなりの覚悟をしていたのかもしれない。どんな思いを抱えていたのか、今は知る由もありません。
 正直、「一人で旅立たせてしまった」ということに、現時点ではまだ心の整理ができていません。
 どんなに悔やんでも、浴槽に浮かんだ、すでに逝ってしまった母を一番に発見したことが、私にとっての“看取り”という現実は変わることがないのです。
 それでも、「一人で入浴する」ことを含めて、「自分の譲れない部分を貫き通すことができた」ということに母は納得していて、私も(結果的に、ではありますが)彼女の意思を尊重できたことは、意外にも母の「介護」に関しては、後悔は少ないのです。
 父の介護も合わせて、人生の半分以上を介護と共に歩んできた私は、ずっと「介護が終わる日」の後に来る焦燥感におびえていました。
 でも、今は少しずつ前を向くことができています。それは、この連載に参加することができ、川内さんから“介護の要”について考える機会を与えてもらっていたことが、大きく影響していることは間違いありません。
 今、介護中の方がそこまで先を考えることは難しいかもしれません。
 ただ、この連載には「介護が終わる日」の先のこと、さらには親の介護を通して「自分はどう介護されたいか」「どんな最期を迎えたいか」までを包括する内容になっている。それを改めて、自身の体験から気づかされ、読者の皆さんにも伝えたく、今回、記事を書かせていただきました。
 この連載から学んだことと母の死により考えたことを、川内さんに話しました。
 すると、川内さんは、
「“介護”や“看取り”は、皆さんが思い描いているようなイメージ通りでないと、ダメですか?」
「“介護”や“看取り”って、誰かが近くにいてあげることが、正解なのでしょうか?」
いい介護、いい人生、いい旅立ち方とは……。
 他人から見たら、どんなにつまらないことでもかまわない。自分の本当に好きなことを、思い通りに貫いて生ききることができたら、それは、ご本人にとっても、ご家族にとっても、いい介護、いい人生だったと言えるのではないか――。
 人生同様、死に方もその人だけのものなのだ。
 川内さんはそうおっしゃっているのだと思います。
 きっと、「これが正解だ!」というものはありません。そんな中で私は自らの経験から考えた答えは、“介護”も“看取り”もイメージ通りにならないことが多く、現実に起きたことを受け入れていくしかない。誰も近くにいなくても、本人が大切にしていたことに気づき、家族として少しでも寄り添うことができれば、「介護が終わる日」の先も前を向いて生きていける、ということでした。
 あなたの答えはどうでしょうか?
 私の話にここまでお付き合いくださった読者の皆さんには、この機会に川内さんからの問いに対して、“イメージ”にとらわれず、“介護の要”である「介護される人の気持ち、望むことを大切にする」を真ん中に、“介護”と“看取り”について、それぞれの答えを考えていただければと思います。
 ぜひ、皆さんが感じたことをコメントに投稿してみてください。“介護”と“看取り”について、一緒に考えていきましょう。


眞子さまが結婚に一途なのはチャンスは二度とないと知っているから

2021-04-25 11:00:00 | 日記

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こじれにこじれてしまった秋篠宮家の眞子さま(29)と小室圭さん(29)の結婚問題。天皇陛下は誕生日会見で「多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」と述べたが、とてもそんな状況にはなりそうにない。

 週刊誌やネットニュースでは相変わらず、小室さんと母親に対するバッシングがやまず、2人を擁護したり応援する声は皆無に近い。

 巷間でも、「眞子さまのことを思えば、小室さんは身を引くべきだ」「あんな男と結婚したら必ず離婚する」――などとかまびすしい。

 では、眞子さまと小室さんの結婚問題はどうなるのか。もし眞子内親王が婚約を破棄するとか、あるいは結婚しても離婚するとしたら、近代の皇室が始まって以来の出来事だろう。その意味でも、今の皇室は危機的な状況にある。

 秋篠宮さまが、昨年のお誕生日前の記者会見で、「結婚と婚約は違う」という付帯条件つきながら、「2人が結婚することを認める」と述べられた。結婚は自由だから親として認めざるを得ないが、今の状況では皇室の正式な婚約である納采の儀を執り行うのは難しいということらしい。どちらかといえば勘当も同然の結婚容認だが、少なくとも今後は秋篠宮家から「結婚を認めない」とは言えなくなった。意志が強固で頑固だといわれる眞子さまのことだから、小室さんとの結婚が成就するまで諦めないだろう。

ただ、眞子さまが結婚したとしても、性格が合わなかった、小室さんの収入が不安定とかで離婚することもあり得る。離婚となればどうなるのだろうか。

 眞子さまの身分は「皇統譜」に記載されている。皇統譜というのは皇室の戸籍のようなもので、皇族の身分を定めている。民間人と結婚が決まれば皇統譜から除籍される。小室さんと結婚すれば、眞子さまは「小室眞子」となって一般の戸籍に移るわけである。

 ただしこの逆コースはない。つまり、もし離婚となれば、二度と「秋篠宮家の眞子さま」には戻れない。さらに民間人は国有地である赤坂御用地に住むことも認められない。一般の女性が離婚して実家に出戻るのと訳が違うのである。

「小室眞子」のまま生きるか、あるいは母親の紀子さまの実家である川嶋家の養子になるかは分からないが、どちらにしても丸腰になって生きていくしかない。

では、その後に再婚の可能性はあるのだろうか。ある皇室記者はこう言った。

「再婚の可能性は否定できませんが、かなりハードルが高いですね。まず、太陽だの月だのと、小室さんに熱烈なラブコールを送ったことは全国の人が知っています。次に現れる男性には気分がよくないでしょう。それに育ちから言って、普通の家庭に収まるのは無理です。お相手探しはかなり難しくなります。従って、小室さんに問題はあっても、ここまできたら結婚し、添い遂げるしかないでしょうね。眞子さまも内心では、ここで破局になったら二度と結婚のチャンスは巡ってこないと思っていらっしゃるのではないですか」

 詰まるところ、そういうことだろう。眞子さまにとっては、巡ってきたチャンス、二度とないチャンスなのである。

 外野が「結婚するな」「別れろ」と安易に口を入れられるほど、単純な問題ではないのだ。皇族の結婚相手探しがどのくらい困難なことなのか


コロナ禍の運動不足を「時速7kmウォーキング」が救う

2021-04-25 08:30:00 | 日記
下記の記事はビヨンドヘルスからの借用(コピー)です   記事はテキストに変換していますから画像は出ません

時速7km以上ならば、ランニングよりもウォーキングの方がエネルギーを消費する──そんな検証結果が明らかになった。加えて、こうした速いウォーキング(速歩、ファストウォーキング)はランニングよりも足裏への衝撃は少なく、ケガや貧血といったリスクは抑えられるという。同研究はアシックスジャパンと包括的連携交流協定を結ぶ立命館大学のスポーツ健康科学部 スポーツ健康科学科で教授を務める後藤一成氏が行ったもので、アシックスジャパンの発表会にて紹介された。
発表会に登壇した立命館大学 スポーツ健康科学部 スポーツ健康科学科 教授の後藤一成氏(写真:アシックスジャパン)
 ランニングは比較的手軽に始めやすいうえに、エネルギー消費量が多く脂肪分解・燃焼が亢進するため、ダイエットなどの手段として取り組む人が多いスポーツだ。ただし、蹴り出し時には体重の2倍以上の力が加わるなど衝撃が大きくケガのリスクは高い。また近年では、1カ月に200~400km以上といったランニング練習をこなすランナーにとって貧血などのリスクを高める一因になると指摘されている。これは、ランニングでの足裏への衝撃によって赤血球が破壊され血中鉄濃度が急増する結果、肝臓から鉄代謝調整ホルモンであるヘプシジンが放出されて食事からの鉄の吸収を抑制し、鉄欠乏状態が生じやすくなるからだ。
 そこで後藤氏らはランニングに代わる手軽な運動手段としてファストウォーキングの効果を検証した。その結果、時速7kmあたりを境にそれ以上の速度では、同一速度でのランニングよりもファストウォーキングの方がエネルギー消費量が多いことが明らかになったとする。例えば時速8kmのファストウォーキングは時速約9.3kmのランニングのエネルギー消費量と同等になる。
20歳代の男性18人、女性18人を対象に、時速3km以上~追随可能な最高速度までのウォーキングと、時速5km~ウォーキング条件を上回る速度のランニングを行い、酸素摂取量やに参加炭素排出量などからエネルギー消費量を計測した(画像:立命館大学 後藤一成氏)
 一方、足裏への衝撃(鉛直方向の地面反力)が、ランニングの場合は最大で体重の2.2倍だったのに対してファストウォーキングの場合は最大で体重の1.5倍になるなど、同速度であればファストウォーキングの方が衝撃は小さいことが確認できたという。そのため、鉄欠乏状態やケガなどのリスクは抑えられるとする。
 大腿直筋や大殿筋といった太ももや臀部の筋肉の活動はランニングもファストウォーキングも同等程度であり、すねの前脛骨筋やふくらはぎのヒラメ筋など、ひざ下の筋肉についてはファストウォーキングの方が活動が活発になったという。また、ファストウォーキング中は高強度の運動と同様に筋中の糖質が消費され、運動後の活動では脂肪が分解消費されるのでダイエットにも向くとする。
ファストウォーキングの注意点は4つ
 後藤氏は「コロナ禍により、日本だけでなく世界中の調査でも活動量が低下していることが明らかになっている。これから肥満やストレスの増加など、今後の影響が懸念されている」とした。アシックスジャパンによれば、コロナ禍ではウォーキングをする人は2割ほど増加しているという。後藤氏は「運動効果は続けることで現れる。歩くことは誰でも取り組みやすい。運動をする時間があまりない人、筋力が小さい女性などにはファストウォーキングが適している」と話す。
 後藤氏とアシックスジャパンは、時速4km程度の比較的ゆっくりした歩きと、時速7km程度のファストウォーキングを3分ずつ繰り返すインターバル方式を勧める。「時速7km」とは、歩く速度を速めていった場合に“自然と走り出したくなる速さ”に相当し、歩く速度としてはかなり速い。走り出したくなるところをあえて跳ねずに歩くことで、ひざ下を効果的に利用できるとする。
発表会の中で実際にファストウォーキングを体験する朝日奈央さん(中央)と指導するアシックス スポーツ工学研究所 主席研究員の市川 将氏(右)。肩の力を抜き、ひじの引きを意識することで歩幅が大きくなり、時速7kmという速さでも意外に歩けるという。インターバルの3分間という時間も、頑張り過ぎずにできるポイントになるようだ。ファストウォーキングのブランドアンバサダーを務める畠山愛理さん(左)は「ファストウォーキングは日常の中に取り入れやすい。(通勤時などに)一駅歩くという場合もファストウォーキングを実施できる」として日常生活として取り組むことを勧めていた
 ファストウォーキングの際の注意点は、(1)軽く息が上がる程度の強度、(2)ひじをしっかりと後ろに引き、腕の振りを大きくする、(3)歩幅を大きく、(4)よい姿勢を保つ(背筋を伸ばして目線をまっすぐにする)の4つ。時間について、後藤氏は今後の研究課題としながら、一般的にはゆっくりしコロナ禍の運動不足を「時速7kmウォーキング」が救うた歩きとファストウォーキングを併せて30分程度(インターバルの場合は4~5セット程度)行うのがよいと考えられるとした。また、朝、起床後にウォーミングアップしてから実施すれば、日中、食欲を増進させるホルモンのグレリンの分泌が抑えられるとする。頻度については毎日行うことも可能で、1週間に3~4回程度を目安とする。
 アシックスジャパンでは、歩くことは究極のスポーツであるとしてファストウォーキングを提唱していくとする。同社では、ランニングシューズに比べて靴底に適度に硬さをもたせ、材料や構造などの工夫によって地面をけり出す際に反発感を生じさせて前に進みやすくしたウォーキングシューズを提供するなど、多くの人がスポーツやトレーニングとして歩くことを取り入れられるよう、サポートしていくとする。
宇野 麻由子=日経BP 総合研究所
 
追記:私は膝が悪く息が上がるようには歩きませんでしたが、ある時腿を上にできるだけ大きくあげて手を振って着地するとひざに痛みを感じずに息が上がりました。着地するときに足の裏全体で着地します。そしてあまり褒めたことではありませんがエスカレーターは最上階まで歩いて上がります。息がすごく上がります。これをほぼ毎日やっています。