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中高年も『スマホ依存』でゾンビ化! “食欲不振・不眠・うつ症状”を招く危険な使い方

2021-04-04 15:00:00 | 日記

下記の記事は週間女性プライムからの借用(コピー)です

「うちの夫は1日中スマホを見ているんです」
 そうため息をつくのは40代の会社員、恵子さん(仮名)。40代の夫・英明さん(仮名)は昨年の緊急事態宣言以後、食事もトイレも入浴も肌身離さずスマホを持っている状態が続いたという。
仕事や将来の不安をゲームやSNSで解消
「浮気も疑ったんですが、ゲームとSNSしかやっていない。外出もしていないので、その心配はなさそうで……」
 英明さんの仕事は、イベント関連会社の営業。コロナ前は自宅に帰れないほど忙しい毎日を送っていたが、昨年は自宅待機が続いた。
 暇な時間が増え、英明さんは仕事や将来の不安をオンラインゲームやSNSで解消していたという。
 すると、ゲーム仲間もできて、協力して敵を倒すと楽しくなった。彼らと夜遅くまでプレーして盛り上がることも多くなり、英明さんはすっかり“スマホ依存”に。
「中1の息子も一緒になって遅くまでゲームをして、寝坊することが増えました」
 恵子さんはどうにか息子だけ起こしてから出勤、夫は寝たままだという。
「昼ごろ“なんで起こしてくれなかったんだ”とメールが来ることもあって、“うっせぇわ”ですよ。息子も使いすぎなので注意しても“パパはゲームしてよくてなんで僕はダメなんだ”って……」
 今年に入り、英明さんの仕事も忙しさを取り戻してきた。すると、物忘れが多く、情緒不安定になる日が増えた。
「前に1度、夫からスマホを取り上げたら大ゲンカになりました。今は帰宅してもスマホにしか興味を示さないし、家族の会話も減りました」
 前述の英明さんのようにスマホでのインターネットやオンラインゲームに依存するあまり“生ける屍”のような状態になる人がいる。日常生活や人間関係に興味を示さなくなる姿は人の生き血を求める『ゾンビ』のようだ。
 その名も『スマホゾンビ』が増えている。
 2019年に総務省が調査したデータによると、スマホの世帯保有率は8割を超えた。
 特に60代以上のインターネット利用率は飛躍的に上昇している。スマホやタブレットを使ってネットをする高齢者も増えているという。
中毒性が高く、やめどきがわからなくなる
 スマホを使えば、いつでも手軽に情報が得られ、SNSやゲームも楽しめる。今や誰にとってもなくてはならない存在。だが、いくら便利だといっても使いすぎると身体にも悪い影響が出てくるのだ。
 依存症治療に詳しい久里浜医療センターの松崎尊信医師が説明する。
「スマホやネットの使いすぎは医学的に“依存症”と認定はされていません。ですが、長時間の使いすぎが問題視されています」
 最近では『スマホ依存』『インターネット依存』という言葉も注目されている。
「依存、といえばアルコールやタバコ、薬物を思い浮かべると思います。ですが、スマホもギャンブルなどと一緒。何らかの物質を摂取しなくてもやめられなくなる傾向があることが研究されています」(前出・松崎医師、以下同)
 “たかがスマホ”と、甘く見てはいけない。中毒性が高く、やめどきがわからなくなることがあるからだ。
 例えば動画配信。ひとつ見終われば、AIが興味のありそうな作品を次々に紹介してくる。シリーズもののドラマや映画で続きが気になれば、延々と見てしまう。
 オンラインゲームもそうだ。時間かまわずプレーでき不特定多数のプレーヤーとも交流でき、クリアした達成感があれば、やりこんでしまう。
睡眠障害、低栄養などは子どもの成長を害する
 熱中して時間を忘れてしまい、自然と寝る時間も遅くなる。すると昼夜逆転し、夜眠れなくなる睡眠障害に陥る。
 ほかにもスマホに夢中になるあまり食事もおろそかになれば低栄養になる。トイレや入浴の時間すら惜しくなることもあるという。
 松崎医師は特に子どもたちの生活の乱れを懸念している。
「子どもにとって睡眠や運動、食事は心と身体の成長のために大切なことです。睡眠中は身体を成長させるホルモンが分泌されるので、睡眠を削ってスマホでゲームをすれば、成長を害することになります」
 リアルなコミュニケーションが断たれるおそれもある。ネットを優先するあまり、現実の友達が二の次になれば、人間関係も壊れていく。
 ギャンブルや買い物といった別の依存症の原因になることも考えられるという。
「ギャンブルに興味がある人で、賭け事がスマホで簡単にできることでドツボにハマってしまうおそれもあります」
 買い物もそうだ。
「好みのものをAIが分析しすすめてくるので、必要ないものまで購入してしまうことがあるかもしれない。“こんなに安いものが買えた”って喜んでも、実は巧妙に買わされている可能性がある」
『スマホ首』でうつ、米国では自殺が増加
 命に関わる場合もある。
 東京脳神経センターの松井孝嘉医師が警鐘を鳴らす。
「ゲームなどでスマホの画面を見るときに下を向き続けることで起きる『首こり病』の一種『スマホ首』です。実は海外では問題となっています」
 アメリカではスマホ首が原因とみられるうつ病や自殺念慮が増加、'10年から'15年までに中高生の自殺率が31%上昇している。特に女子では65%も上昇したことが調査でわかった。
 スマホの小さな画面でゲームをしたり、動画を見続けると首の筋肉に過度な負担がかかり、頸性神経筋症候群(首こり病)を発症する。首を支える筋肉が緊張して硬くなり、副交感神経を圧迫する状態が慢性的に続くことで、全身に不調が現れるのだという。
「首の痛みや頭痛、めまい。食欲不振や下痢などの胃腸症状。倦怠感、微熱、不眠などの体調不良が全身に起きます。コロナ禍で増えた若者や女性の自殺、うつ状態も実は外出自粛で長時間スマホを見続けたことで起きた『スマホ首』が原因といえます」(同・松井医師、以下同)
 スマホ首が引き起こす『スマホうつ』は精神疾患のうつ病と非常に似た症状があり、強い不安感を引き起こすことがある。首こり病患者が精神的な不調を訴え、自殺する割合も極めて高いという報告も。
 ほかにも集中力が低下して、物忘れがひどくなるなど、認知症のような状態を訴える人もいるという。
 前出の松崎医師は警告する。
「電車などで暇つぶしとして使っているだけならまだしも、仕事中や、家事をしながらでも肌身離さず持っていて、常にスマホを触っているのは、危険な徴候です」
『スマホゾンビ』になる目安は、1日3時間以上の長時間使用だ。
「内閣府のデータによると高校生の6割以上が3時間以上のスマホを利用しています。時間の線引きは正直難しいですが、毎日長時間使っていれば注意が必要です」
 特に20代未満で依存状態の傾向が目立つという。
 ゲームで長時間スマホを使用していることを心配した保護者が病院に相談。受診して初めて、依存状態であることに気づくことが多いという。
依存に気づけずに家族でスマホゾンビ
 前出の松崎医師が危惧するのは親でも子どもの依存状態を発見できないケースだ。
「ゲーム好きな親で子どもが長時間スマホでゲームをしていても関心がない。そうしたケースも増えていくでしょう」
 中高年も他人事ではない。今後は家族でスマホゾンビになんてことも……。
 40代、50代のスマホ保有率はこの10年で急激に増え、ほぼ100%。その約50%がSNSも利用している。今から使いこんでいれば、次の10年後、依存状態に陥っている中高年が増えているかもしれない。
年齢階層別 SNSの利用状況(総務省「情報通信白書令和2年版」より抜粋)
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 ハマりやすいコンテンツはゲームが圧倒的。それに続くのが中高年になじみのあるSNSや動画配信なのだ。
「オンラインゲームやSNSは、いつでも誰かとつながれます。現実社会で人から褒められることはあまりないですが、ネットの世界では反応してくれます。評価されたい欲求をスマホは気軽に満たしてくれる。だから手放せない」
 だが、睡眠障害や倦怠感、うつ状態になり、身体に不調をきたして日常生活が送れなくなっても誰もスマホの使いすぎだとは思わない。
「依存状態にある中高年を診察することはほとんどありません。ですが潜在的には、もっといるかもしれません」
 子どものことは親が気づけても、大人は自分で気づくしかない。隠れスマホゾンビは実は少なくないかもしれない。
 松崎医師も心当たりがあった。
「海外ドラマにハマり、止まらなくなって“これが依存か”と思いました。こうした経験がある人は多いと思います」
 すべての人が依存状態になるわけではない。
「私の場合、仕事が忙しくて“このまま見続けていたらまずい”と思えたことも歯止めになりました。大人は“仕事や家事をしないといけない”との理性が働けば、依存状態は防げるかもしれない」
 冒頭の英明さんはコロナ禍の外出自粛で時間を持て余し、スマホでのゲームや動画にハマったことで依存状態になった。
 緊急事態宣言は解除されたが、スマホを使いすぎる習慣が残っていれば危険だ。
使い方を家族でよく話し合おう
 スマホゾンビにならないためにはどうしたらいいのか。
「使い方を家族でよく話し合って、使用時間などルールを決めたら大人もそれに従うこと。夫婦の意見も合わせましょう。そうしないと子どもは混乱し、うまくいきません」
 ほかにもネットに接続できる時間を制限したり、スマホを視界に入らない場所に置いたり、工夫しよう。
「スマホは私たちの生活に必要なものです。ですが、優先順位がいちばんになってしまうことが危ない」
 大事なものを見失えば、誰でも『スマホゾンビ』になってしまうかもしれない。
■4個以上当てはまったら注意!
あなたのスマホの使い方大丈夫? 該当する項目にチェック!

●スマホでネットを見ることが多い
●1日3時間以上使用している
●ネットのドラマや動画にハマっている
●ネットでの買い物量が増えた
●朝起きられない
●仕事中もスマホを触る
●食事中もスマホを見ている
●スマホゲームのやめどきがわからない
●SNSに頻繁に投稿する
●最近やせた
●原因不明の体調不調に悩まされている
●気分が落ち込むことが多い

☆1~3個……気をつけて
☆4~6個……使いすぎに十分注意!
☆7~9個……使い方の見直しを
☆10個以上…専門家に相談して
________________________________

お話を聞いたのは…
脳神経外科医 松井孝嘉医師
東京脳神経センター(東京都)理事長、松井病院(香川県)理事長。画像診断を世界で最も早く始め、CTの日本への紹介・導入・普及に尽力。脳卒中死の激減に貢献
精神科医 松崎尊信医師
独立行政法人国立病院機構久里浜医療センターの精神科医長。日本初のゲーム依存症外来がある同院でゲームやギャンブルなどの依存症の治療、研究を行う。講演や著書も多数


「独身者の孤独死」は、なくすべき悲劇ではなく、尊重すべき選択のはずだ

2021-04-04 13:30:00 | 日記

下記に記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です  記事はテキストに変換していますから画像は出ません

孤独死は「かわいそうな死」なのか。精神科医でブロガーの熊代亨氏は「今起きている孤独死の大半は悲劇的であり、喪失や脅威と言える。だが、テクノロジーによって孤独死を不幸ではないものに変えることができるはずだ」という――。
「孤独死」が増え続けている
独り暮らしの人が誰にも看取られることなく死去する、いわゆる孤独死(または孤立死)が、右肩上がりに増えている。
日本全国の孤独死を網羅した統計資料は無いが、たとえば内閣府の「平成29年版高齢社会白書」によれば、「東京23区内における一人暮らしで65歳以上の人の自宅での死亡者数」は平成10年代から倍増し、年間3000人を上回るに至っている(図表1)。病院や施設での死が一般的な今日では、独居者の自宅での死の多くは孤独死であろう。
出所=平成29年版高齢社会白書、内閣府より
一般に、孤独死は悲劇として描かれる。「誰にも顧みられずに死んだ人は気の毒だ」「その実態は緩慢な自殺やセルフネグレクトだ」、といった具合にだ。最近は、新型コロナウイルス感染症によって自宅待機を迫られ、その結果として孤独死する事例もある。この、パンデミックに関連した孤独死は本論のカバーするところではないが、これもまた悲劇には違いない。
また、孤独死は経済的損失や脅威といった観点から語られる。孤独死が起こった住居は事故物件とみなされ不動産価値が下がり、遺族も大きな負担を強いられる。異臭騒ぎなどによって、近隣の生活が脅かされることも多い。
孤独死は日本人が望んできたゴールではないのか
こうしたことから、平成から令和にかけ、孤独死は専ら「防止しなければならないこと」とみなされ、孤独死する本人は「かわいそうな人、気の毒な人」として語られてきた。
そうした語りを筆者は否定するつもりはない。現に今起こっている孤独死の大半は悲劇であり、損失や脅威でもあるのだから。
しかし「孤独死を絶対防止する」という目標設定は、私には奇妙に思える。
なぜなら、昭和から令和にかけてこのかた、私たちはバラバラに暮らすことを望み、お互いにしがらみの少ない生活を目指してきたからだ。好きな人とだけ付き合う自由、または嫌いな人と疎遠になる自由を実現してきた日本人にとって、孤独死とは、選択したライフスタイルにふさわしいゴールではなかったか。
バラバラに暮らし、しがらみを避けあってきた私たちが、臨終だけは誰かに囲まれていたいと願うのは、虫の良い話である。それに、しがらみの少ないライフスタイルを貫徹するという意味では、一人で死ぬという結末はゴール設定としてそれほどおかしなものではない。
「楽に死ねて経済的損失や迷惑を避けられるなら、独りで生きて独りで死にたい」という人も、意外と少なくないのではないだろうか。
この文章では、はじめに悲劇や損失や脅威としての孤独死を振り返ったうえで、独りで生きて独りで死にたい人のあるべき孤独死の可能性について、テクノロジーの進展を意識しながら展望してみる。
孤独死には「自殺者」も含まれる
まず、孤独死の現状を確認しておこう。先述の通り、「65歳以上の独居者の死亡場所が自宅である事例」は増えている。
加えて、65歳未満でも孤独死は起こり得る。一般社団法人日本少額短期保険協会「第4回孤独死現状レポート」によれば、平成29年に起こった孤独死の平均年齢は61歳で、高齢者に満たない年齢の人が半分以上を占めている。孤独死の報道には現役世代も敏感だが、このレポートを踏まえれば過剰反応とは言えまい。
死因に目を向けると、病死や不詳死に加えて自殺の割合が大きいことにも気づく(図表2)。
第四回孤独死現状レポート、日本少額短期保険協会孤独死対策委員会より
同レポートによれば、孤独死の10%以上が自殺によるもので、40代以下では2割を上回る。孤独死として発見される人のなかには、たとえばゴミ屋敷のなかで暮らすような、いわゆるセルフネグレクトに相当する人も少なくない。
孤独死に詳しいノンフィクション作家の菅野久美子は、新著『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』のなかで、孤独死を統計の数字以上のものとして、生々しい筆致で描いている。
特殊清掃の現場には、急病で苦しんだ故人の形跡や、心身の病に疲れ果てた故人の形跡が残されている。およそ、幸せな死や平穏な死ではなかっただろう。引き取り手のない遺骨、死してなお知人縁者に疎まれるエピソードなども故人の境遇を思い起こさせる。菅野が描写する孤独死からは、うろたえるほどの不幸の気配が立ち込めてくる。
単身世帯の増加は、日本人が選んだライフスタイルの帰結
こうした、孤独死の統計やルポルタージュを追っていくと、たくさんの人々が不幸のうちに孤独死している現状が目に浮かぶ。だから現在の孤独死が福祉上の大問題として論じられることに違和感はない。
他方で孤独死は、人間関係の乏しい人や不幸な身の上の人だけの問題でもない。
たとえばパートナーや家族と暮らしている人も、死別や家族の独立によって独り暮らしが始まる。厚生労働省『国民生活基礎調査(2019)』によれば単独世帯の数は年々増え続けており、すでに高齢世帯の49.5%が独り暮らしだという(図表3)。メディアはそんな単独世帯の増加を、危機感をもって報じる。
国民生活基礎調査2019、厚生労働省
危機と言われれば危機に違いない。
だが昭和から平成にかけ、核家族単位で子育てを行い、子が独立していくことを当たり前とするライフスタイルを選び取った私たちにとって、単身世帯の増加とは、しがらみからの解放や自由な人生の選択と表裏一体だったはずである。これは、日本人が選んだライフスタイルがもたらした当然の帰結ではなかっただろうか。
「より望ましい孤独死」を模索しなければならない
個人が好きなように生きられ、しがらみも少ないライフスタイルを選んだ帰結が孤独死だとしたら、これから孤独死する人の数は増えるしかあるまいし、それをなくしてしまうのはきわめて困難である。選んだライフスタイルとも矛盾している。
だとしたら、孤独死とは絶対に回避すべきものではなく、悲劇や損失や脅威とならないものに形を変えていかなければならないものであり、より望ましい孤独死を模索しなければならないものではないだろうか。
現在進行形の孤独死対策、たとえば行政の取り組みや孤独死保険への加入などについては前掲『超孤独死社会』などを参照いただくとして、ここでは未来の可能性を展望してみる。
人々の生死や健康状態が「モニタリング」されるようになる
私は、そう遠くない未来に孤独死は悲劇や損失や脅威ではなくなっていくと踏んでいる。なぜなら、私たち自身の生死や健康状態が今後オンラインでモニタリングされ、マネジメントされる可能性が非常に高いからだ。
菅野久美子『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)
2021年現在の段階でも、たとえばiPhoneやApple Watchなどを用いて自分自身の健康状態をモニタリングし、オンライン経由でマネジメントすることはそう難しくない。健康意識の高い人やデジタルガジェットが好きな人なら、脈拍や血圧、睡眠や活動量などをすでにモニタリングし、セルフマネジメントに役立てていることだろう。
こうした健康モニタリング機器は、現段階では測定できる項目に制約があり、信頼性や制度上の問題も抱えている。しかし巨大情報企業はこぞってこの分野に投資し、そのテクノロジーの進歩には日進月歩の趣がある。
2020年3月から、日本でも5G回線が普及しはじめたが、これは、あらゆるモノがオンライン化していく趨勢すうせい(いわゆるIoT化やICT化)の基盤になるといわれている。通信インフラの充足がウェアラブル端末の発展と歩調を合わせていけば、自動運転やネットワーク家電などによって生活がより便利かつ安全になっていくだけでなく、私たちの健康管理も自動化・オンライン化され、濃密なモニタリングやマネジメントの対象となることは想像に難くない。
新型コロナウイルス感染症対策アプリである「COCOA」が象徴しているように、そうした健康管理のモニタリングやマネジメントは位置情報とも関連付けて行われよう。たとえば毎朝散歩をしている独り暮らしの高齢者が今日に限って散歩をしなかった時、最初に異変を察知するのはICT端末群と、それをモニタリングしている巨大情報企業だろう。
私たちの「生」はすでにオンライン化している
私は決して遠い未来の話をしているわけではない。「平成27年版情報通信白書」には「2030年の未来像―ICTが創る未来のまち・ひと・しごと」という章があるが、そこで描かれている近未来の相当部分は実用段階に到達していて、図らずも新型コロナウイルス感染症によって社会のIoT化やICT化は後押しされている。
それに本当は、私たちがスマートフォンを肌身離さず持ち歩くようになって以来、私たちの生はもうオンライン化され、モニタリングやマネジメントの対象になってきたのだ。巨大情報企業は、公共交通機関の利用履歴やオンライン決済の履歴、SNSの閲覧履歴などをとおして私たちをモニタリングしている。私たちをモニタリングしているということは、私たちのことを知っているということでもある。私たち自身よりも知っていることさえあるだろう。
そういう「私たち自身よりも知っていること」の一覧に、これから健康という項目が新たに加わるだけのことである。
近未来において、自分自身より巨大企業のほうがよく知っているもの一覧
・あなたが出かけたい場所
・あなたが欲しいもの
・あなたにふさわしい職業
・あなたにふさわしいパートナー
・あなたが関心を持つ分野
・あなたの悩みごと
・あなたの健康上の課題
「独居の高齢者が心筋梗塞」→「自動で救急車が出動」の未来
ICT機器に囲まれ、私たち自身がすっかりオンライン化された近未来の生活において、独り暮らし、ひいては孤独死はどう変わるだろうか。
たとえば独り暮らしの高齢者が心筋梗塞や脳出血になったとしても、ICT端末さえ設定しておけば自動的に救急隊を呼べるようになる。ガスや電力の消費量、オンライン/オフラインの活動履歴から異変を察知し、警備会社に注意を促すことも技術的にはさほど困難ではない。現に、ICT化で先を行く韓国では、これに類するサービスが実用化の段階を迎えている。日本でも、社会のICT化が進み、サービス需要が高まれば安価でありきたりの手段になるだろう。
また、セルフネグレクトや自殺といった医療的・福祉的介入が必要な人々についても、こうしたテクノロジーによって早期発見と早期対応が容易になるだろう。
困難があるとするなら、そうしたテクノロジーやサービスを行政という制度に結びつける難しさ、そして倫理上の難しさだろうか。だがコロナ禍が教えてくれているように、健康や生命がかかっている事案に関しては、制度や倫理のハードルはしばしば緩む。経済的損失が絡むなら尚更だろう。独居者のモニタリングとマネジメントが十分可能で費用対効果にも優れたメソッドが確立した時、独り暮らしの支援として、いや、むしろ独り暮らしの条件として、「最大限にプライバシーに配慮したかたちで」それらが導入される未来を想像するのはたやすい。
たとえば団塊ジュニア世代が高齢になった頃、こうしたテクノロジーに依存せずに孤独死対策を進めていくことは予算からいってもマンパワーからいっても可能とは思えない。だが順当にテクノロジーが進展すれば今よりずっと悲劇や損失や脅威を軽減できるはずである。
単身生活でも孤独とは限らない人がいる
前半で紹介したとおり、私たちの社会は単身生活者が増加していて、そういう意味では孤独は深まるばかりである。
だが一方、私たちの社会は今、単身生活をしていても孤独とは限らない人、オンライン化やICT化によって消息が追跡できる人が増えゆく局面にも向かっている。
今の世の中にも、まったく生活がオンライン化していない人、つまり、現金決済しかせずスマートフォンも使わずICT化した機器を一切持たない人は残っている。そのような人には従来型の孤独死対策が必要だろう。だが時代が進めば進むほど私たちの生活はますますオンライン化し、社会のICT化も進んでいく。セルフネグレクトのような、ハイリスクな人のモニタリングやマネジメントのテクノロジーも進展するだろう。
「悲劇としての孤独死」は減らせるはずだ
私は、オフラインでは活発とはいえない単身生活をしていても、オンラインでは活発に言葉を交わし、さまざまな娯楽を楽しんでいる人を知っている。そういう生き方は今ではそれほど珍しくないし、いちがいに悲惨という言葉をあてがうのも違うように思う。少なくとも、急病を見つけてもらえるシステムや急死に際して後の心配をしなくて良いシステムができあがれば、そうした生活や死を不幸の代名詞とみなす必要はなくなるはずである。
そのような近未来において、本当の本当に孤独になってしまう人、悲劇や損失や脅威としての孤独死を迎えてしまう人はもっと減らせるはずである。ひいては孤独死という言葉の意味を変え、孤独死という言葉を死語にすることさえ可能になろう。
個人をモニタリングしたりマネジメントしたりするテクノロジーには、自由を侵害するリスクや監視社会的な息苦しさもついてまわる。だが、新型コロナウイルス感染症が暗に示しているように、社会は健康という大義名分のためならそうしたリスクに目をつむるし、これからは、そうしたリスクを懸念するよりも健康を優先する傾向が強まるのではないかと私は推測している。
いずれにせよ、これからのテクノロジーが私たちのライフスタイルを拡充し、一人で生きたい人の意志をも尊重し、後顧の憂いなく生きる手助けとなることを期待したい。


眞子さまは何のために皇室に生まれお育ちになったのか 取材歴30年の記者に聞く「今後」

2021-04-04 11:00:00 | 日記

下記の記事はAERAdotからの借用(コピー)です

秋篠宮家の長女、眞子さまの結婚問題で、国民の心が揺れている。天皇陛下と秋篠宮皇嗣殿下はともに「多くの人が納得し喜んでくれる状況」を願っていると、お言葉にされた。今後、お2人は今後、どのような道を選択されるべきなのか。皇室取材歴30年の女性自身記者で、ジャーナリストの近重幸哉さんに聞いた。

*  *  *
――秋篠宮さまだけなく、天皇陛下もお誕生日の会見で、眞子さまと小室圭さんの結婚問題について「多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」と言及されました。これにはどんな意味があるのでしょうか。

近重さん(以下、敬称略):天皇陛下のお誕生日会見によって、眞子さまと小室さんの結婚に関することは、秋篠宮ご夫妻と眞子さまの親子間のみにとどまる問題ではなくなり、この国民的関心事のレベルが上がった、重大さのハードルがもう一段上がったという印象があります。陛下がお言葉にされたということは、国民に祝福されない状態のまま眞子さまが結婚へと進まれるのは、皇室としても賛同できないことだということを表しているのです。

 眞子さまと小室さんは、ご結婚の延期から3年をかけ多くの人が抱くようになった小室さんの母親の金銭問題や小室さんの突然のアメリカ留学などに対しての心配や不信感を払拭するだけの説明が必要になります。

 また、陛下は「眞子内親王がご両親とよく話し合い」とも口にされました。そのように述べられた以上は、秋篠宮ご夫妻と眞子さまは解決に向けてきちんと対話をしなければならないということでしょう。

――今回の陛下のお言葉の前に、昨年11月末、眞子さまと小室さんの結婚について、秋篠宮さまは「認める」とおっしゃいました。一方で「婚約は別」とも。国民にとって解釈が難しいところです。

近重:秋篠宮殿下の「結婚を認める」という言葉だけが、目立ってしまいましたが、ご発言の全体を読み解けば、もっと深い意味があるとわかります。憲法では、婚姻は両性の同意のみに基づくものとされています。なので、父親としては眞子さまと小室さんの気持ちを尊重し、憲法で定められている結婚は認めるということです。しかし、秋篠宮殿下が婚約を認めない限り、宮内庁としては一般の婚約に当たる納采の儀をはじめとした結婚に関する一連の儀式は行えません。つまり、今の状況のままでは、皇室としての結婚はできないということなのです。

――それでも、秋篠宮さまの「結婚を認める」というご発言が明らかになって以降、さまざまな憶測を呼び、「年内に結婚」という記事も見受けられました。

近重:お二人が早く結婚したいと望んでいることは、これまで繰り返し報じられています。しかし、小室さんが眞子さまと本当に早く結婚したいのであれば、陛下や秋篠宮殿下がお言葉にされてきたことに対して、誠意を示して取り組むべきではないでしょうか。小室さんは夏に米国で弁護士資格取得の試験を受ける予定とされていますので、代理人を通じての説明でもいいでしょう。しかし私は、試験の結果が出てからの方がいいと思っています。今はコロナ禍という特別な状況であり、急いでことを進めようとしても多くの人の納得を得ることが難しい社会情勢だからです。

 コロナ禍で、国民は気持ちにも生活にも余裕のない状態です。世の中がこのように厳しい状況では慶事もなかなか受け入れてもらえないものです。たとえ小室さんが十分な説明をしたとしても、皇族の結婚への国民の理解は得られにくいと思います。

 コロナ禍の悪い流れが収束へ向かう状況に世の中が変わって、社会が立ち直る兆しがみえたときに、明るいニュースがあると国民は喜んでくれるものです。例えば、秋篠宮殿下と紀子さまのご結婚は、昭和天皇崩御の翌年でした。喪が明けてから、納采の儀が執り行われ、一連の儀式を経て、平成2年6月に結婚されました。平成の御代になって皇室初の慶事に、国民は心から喜び祝福したのです。

 ですから、眞子さまと小室さんは国民の理解を得たいのならば、焦らないほうがいいと思います。

――とはいえ、眞子さまは今年の10月に30歳という一つの節目を迎えられます。眞子さまは昨年11月、小室さんとの結婚についてのお気持ちを文書で発表しました。眞子さまの言葉の一つ一つに、「早く結婚したい」という強い思いがにじんでいるように思えました。

近重:私は、もし眞子さまが今のままの状況で“強行突破”されたら、日本の皇室が大切にしてきた国民からの信頼が薄れてしまうかもしれないと思っています。

 眞子さまは上皇さまの初孫であり、将来、天皇となられる悠仁さまの姉であり、両陛下のご長女・愛子さまのいとこの中で最も年長であるわけです。そして今は、皇族数の減少が大きな課題となり女性皇族の注目度も高くなっています。

 コロナ禍の不安な状況で結婚を延期した方たちもいると思います。また初婚の平均年齢も上がっています。30歳まで、30歳のうちにというご自分たちの気持ちを優先され急いで結婚されたら、多くの国民は眞子さまと小室さんを心から祝福できないでしょう。眞子さまをお育てになった秋篠宮家にも、そのマイナスの印象はずっとついてまわります。

 仮に、小室さんと米国で生活をすれば、日本にいる国民の声は聞こえないかもしれません。でも、それでは眞子さまはいったい何のために皇室に生まれお育ちになったのでしょうか。

――「皇室に生まれた意味」とはどういうことでしょうか。

近重:少し話はそれますが、日本人とは不思議なもので、若いころはさほど皇室に興味がなくても、年齢を重ねるにつれ、皇室に関心を持ってくる人が多くなるのです。実は私も20代のころは、皇室に興味がありませんでした。

 しかし、30年にわたり皇室取材を続けるうちに、なぜ、日本の皇室がこれほど国民から敬愛されるのか、徐々にわかってきたのです。

 皇室のお務めといえば、国際親善の場や、オリンピック、国体などの開会式や大きな催しへの出席など華やかな場面が報道されます。もちろんそれらの公務も大切ですが、テレビで放映される姿だけが皇室としてのご活動ではありません。被災地の慰問では、膝をついて被災者と同じ目線になって、被災者の声にずっと耳を傾けてこられました。福祉施設や、高齢者施設、小児科病棟なども訪問され、少人数の入所者との交流をお続けになっています。そうしたお務めを何十年も続けてこられているのです。こうしたご交流の積み重ねを行ってきた皇室の方々の尊さに、敬愛の念が生まれるのです。

 国民から敬愛されることは象徴天皇制にある皇室には大切です。そのことを、天皇皇后両陛下、上皇陛下、美智子さま、そして秋篠宮殿下と紀子さま、他の皇族方も大切にされ、ご自身を律して過ごされています。平穏なときであっても、現在のように不安が世界中に蔓延しているときでも、国が安らかであるように、国民が安心して暮らせるようにと常に願い、祈られているのです。

 眞子さまは、そうした皇室に生まれ多くの国民に見守られてきました。ですので、これまで皇室が大切にしてきたものを守られて結婚してほしいと多くの人が望んでいるのです。祖父祖母である上皇ご夫妻、天皇皇后両陛下がさまざまな場面で国民の心、気持ちを大切にされるのを、眞子さまはずっとご覧になってきました。皇族としての振る舞いをご存じなのです。

 今回、陛下は言いづらいことにあえて言及されました。天皇陛下が東日本大震災の十周年追悼式でお使いになった「皆が心を合わせて」とのお言葉がありますが、それは天皇陛下と雅子さまが普段から大切にされているお考え、姿勢だと思います。

 天皇陛下は今、心が一つになっていないと思われる秋篠宮ご一家にも、皇室の将来のことも考えて心を合わせて欲しい、眞子さまにご両親の話に聞く耳を持って欲しいと願われているのではないでしょうか。

(まとめ/AERAdot.編集部 鎌田倫子


食べ合わせの奥義を知らない人が損している訳

2021-04-04 08:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインから借用(コピー)です

高校時代からプロのアスリートを目指していたものの、「ショイエルマン病」という脊髄が硬化する病にかかったためにやむなく断念。しかし、そののち「自分の人生には別の新たな可能性があるはずだ」と前向きに考えられるようになり、「運動療法」を学びはじめた。
その結果、行き着いたのが「オステオパシー」(人間の自然治癒力を最大限に活かそうとする医学)。そこから人間の体全体の働きに興味を持ち、やがて「アダムスキー式腸活法」の基本を構築したのである。
「腸の流れ」によって決まる
背中にかかわることだけでなく、偏頭痛、血行不良、肥満、不眠など、あげればきりがない体の機能不全のほとんどが、“たったひとつ”の基本的な要素、すなわち「腸の流れ」によって決まるという考え方にたどり着いたのです。(「はじめに……世界中で支持され続ける『アダムスキー式・最強の腸活法』誕生秘話」より)
そんな「アダムスキー式腸活法」の根幹をなすのは、口から取り込んだ食べ物が腸に下りてくる「速さ」がカギだという考え方。つまり食品を腸に「下りてくるのが速い食品(ファスト)」と「下りてくるのが遅い食品(スロー)」に分け、そこから食べ物を正しく学ぶ方法、そして腸に負担をかけない、腸を詰まらせない食事のとり方を学ぶものなのである。
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いたってシンプルではあるが、いわゆる「食べ合わせの悪いもの」がこれにあたると表現すれば、それが理にかなっていることであると理解しやすいかもしれない。
日本でも「ウナギと梅干」「カニと柿」などの食べ合わせが悪いという言い伝えがあるが、そこには根拠がある。食べ物の組み合わせを間違えると、腸内で発酵や腐敗が繰り返されるため毒素が生じてしまうのだ。
腸の流れが極端に遅くなるということは、食べたものが腐敗し、消化管の壁に漆喰のようにへばりつく時間が長くなるということ。消化管に着目した包括的な健康法である「アダムスキー式腸活法」は、そうしたダメージを避ける簡単な方法だということである。
食事においては、食べ物を正しく組み合わせることが重要。なぜなら、そうすれば「腐敗」を引き起こすさまざまな組み合わせを避けることができるからである。
なお、ここで意識しておきたいのが「腸の2つの流れ」だ。
★腸の2つの流れ❶「タテの流れ」
口から取り込んだ食べ物を大腸の終わりまで下ろし、不必要な成分や有害な成分を体から取り去ります。
★腸の2つの流れ❷「ヨコの流れ」
体が消化によって蓄えたい物質を取り込み、血液中に存在する有毒な物質を除去します。
このように、腸には食べ物を消化吸収するための完璧なシステムが備わっている。しかし消化管の中で食べ物が腐敗すると、腸の「タテの流れ」も「ヨコの流れ」も遅くなってしまう。そして、その腐敗が万病のもとになるというわけだ。
「食べ物が消化管を下りてくる速度」に着目
そこで著者は長きにわたり、「食べ物が消化管を下りてくる速度」を研究してきた。その結果、食べ物には大きく2つのカテゴリーがあり、その2つはどんな理由があっても絶対に1回の食事で結び付けてはいけないことがわかったという。
まず「消化の速い食品(ファスト)」。これらは消化管全体をたった30分で「走り抜け」ます。
もうひとつが「消化の遅い食品(スロー)」。これは、口から胃までを4〜5時間、さらに小腸を通過するのに7〜9時間かかります。
そのほか、この2つに比べれば数は少ないのですが、どちらにも当てはまらない第3のカテゴリーが存在します。これが「ニュートラルな食品」です。
これは、腸の流れの促進剤になるので、「消化の速い食品」でも「消化の遅い食品」でも関係なく組み合わせることができるのです。(124〜125ページより)
食品によって消化の速さに差があるというのは、考えてみれば当たり前の話だ。だからこそ「消化の速い食品」と「消化の遅い食品」を絶対に組み合わせないこと、それが「アダムスキー式腸活法」の肝となるのである。
そのような食べ合わせをすると、消化に通常の3倍以上の時間がかかるため、消化管は自浄に必要な時間がとれなくなる。そのため、有害な汚れがこびりついていくわけだ。
では、なにが「消化の速い食品」なのだろう? 著者によれば、ほぼすべての果物は「ファスト=消化の速い食品」のカテゴリーに入るそうだ(ただしココナッツやアボカドなどの例外もある)。
生の果物だけでなく、加熱したものやアルコール漬け、ジャムも同様。したがって、いちじくやナツメ、あんずやプルーンを乾燥させたドライフルーツも「消化の速い食品」と考えていいだろう。
意外なのは、リモンチェッロ(レモンのリキュール)など、果実ベースでアルコール度数の高いお酒も「消化の速い食品」と考えていいということ。それらが「食後向き」とされるのは間違いだというのだ。
お腹いっぱい食べたときには、無色透明でアルコール度数の高いものを飲むようにするといいのだとか。例えばグラッパはブドウ由来だが、発酵の過程で「ファスト」から「ニュートラル」に変わるので、食後に飲んでも心配はないようだ。
果物は1日1回だけ食べるのが理想
果物は、食事から時間を空け、1日1回だけ食べるのが理想です。
午後6時の軽食は、消化の遅い昼食の4〜5時間後、消化の遅い夕食の最低1時間半前ですから、果物を食べるのにぴったりのタイミングです。
そして、世界中どこにいても守るべきことがあります。それは、その場所で育ったものを、その場所の気候に合ったタイミングで食べるということです。
つまり、旬のものを食べるということです。(128ページより)
そうすれば、消化もうまくいくようにできているということだ。
なお消化管を30分で通過する「消化の速い食べ物」もあり、はちみつ、緑茶、ヨーグルトがそれにあたる。トマトやかぼちゃ、パプリカ、唐辛子といった意外な食べ物、またカレー粉やパプリカパウダーといった唐辛子やパプリカ由来のスパイスも「消化の速い食品」。
そして、この「発見」から誕生したのが、「アダムスキー式腸活法」における第1の戒律。それは、トマトは健康に欠かせない食べ物だということだ。定期的に、可能であれば毎日でも摂取するべきだという。
ただし、絶対に「消化の遅い食事」の中で摂取してはいけない。果物と同じように短時間で消化管を下りてくるため、組み合わせを間違えると消化トラブルの原因になるのだ。
したがって、「ファスト(トマト)」と「スロー(パスタ)」を組み合わせた「ファストトマトソースのパスタ」や、「ファスト(トマト)」と「スロー(ピザ)」を組み合わせたピッツァ・マルゲリータなどはNGということになる。残念な話ではあるが、心にとどめておいたほうがよさそうではある。
となると、なにが「消化の遅い食品(スロー)」なのかが気になるところだが、「消化の速い食品(ファスト)」以外のほぼすべてがそれにあたるのだという。つまり私たちが栄養成分を摂取している食べ物の大半が「消化の遅い食品(スロー)」に該当するということだ。
まずは野菜で、生か加熱済みかは無関係(かさが大きいほどよい。繊維が多く含まれるため、消化管で「煙突掃除人」の働きをするからだ)。例外として「スロー」に含まれないのはナスで、これは「ニュートラル」。
「スロー」の食材には、このほか、パスタ、パン、米、ピザ、じゃがいも、とうもろこしなどの穀類、肉、魚、チーズ、卵、豆、豆腐、グルテンミートなどの動物性・植物性たんぱく質、くるみ、ヘーゼルナッツ、アーモンド、栗、ピスタチオ、ピーナッツなどのナッツ類があります。(131ページより)
ニュートラル=どちらでもない食品
「ニュートラル」は「ファスト」でも「スロー」でも関係なく組み合わせられる食品で、腸の流れを速くしてくれる。
油、酢、にんにく、玉ねぎ、エシャロット、ハーブやスパイス(ただし、カレー粉や唐辛子やパプリカ由来のスパイスは除く)、そして「遅い食品」に入らない野菜、ナスです。
ワイン(赤がおすすめ)、牛乳、砂糖、紅茶、コーヒー、チョコレート(ミルクチョコレートではなくビターチョコレート。カカオ70%以上のチョコレートを選ぶこと)もそうです。(132ページより)
さて、著者はここで、約2500年前のギリシヤを生きた「現代医学の父」、ヒポクラテスが提唱した“心構え”を引き合いに出している。
<治療にとりかかる前に、病の根源をすべて放棄する覚悟ができているかどうかを患者に尋ねよ>(133ページより)
なぜ、何千年も前の言葉を持ち出してくるのか、それには理由がある。「アダムスキー式腸活法」を進めていくと、人によっては大好きな食べ合わせを我慢しなくてはならなくなるからだ。
とはいえ「身を切るほどの犠牲を払え」ということではなく、「ちょっとした美食の誘惑を断とう」ということなのだが。
つまり、その準備さえできていれば、健康面でも美容面でも、一時しのぎではない具体的な効果が得られるということ。なにかを100%我慢しろというわけではなく、これまで食べてきたものを食べてもOK。ただ、食事の構成を変えることが必要だという考え方なのだ。
「奇跡」でも哲学思想でもない
「アダムスキー式腸活法」は、一時的にやりさえすればどうにかなるというものではないと著者は記している。「奇跡」の健康法でも、哲学思想でもないと。
ただし効果は開始してから数日で表れ、8~12カ月実践することで、機能不全から解放されるために基盤が体の中に整うという。
❶消化管の滑りをよくする
❷蒸発残留物の少ない水を飲む
❸食べ物を正しく組み合わせる
こうすれば食べ物はひとりでに消化管を滑り落ち、体に必要な物質が正しく吸収されるようになるというのだ。
そう考えると「アダムスキー式腸活法」は、あらゆる視点を考慮しながらバランスをとってつくられた食事健康法にすぎないと言えるのかもしれない。
体や心だけでなく、私たちを取り巻く環境のことも、きちんと考慮に入れてあるわけだ。
個人的には、「奇跡」でも哲学思想でもなく、ちょっとした工夫をすればいいという考え方に納得できるものを感じた。これなら、無理なく取り入れることができる気がするからだ。