昨日から雨です。今も降っている。いよいよ梅雨入りでしょうか。
でもこの梅雨の季節、豪雨は困るけど私はそう嫌いではありません。
涼しくて、雨の音以外は聞こえないし、家にこもって好きなことしていると、いろんな思いも水に溶けて流れてしまい、また新しい自分に生まれ変わるって・・・この年でもう生まれ変わらなくていいのですが、心が軽くなる気がするので。
二階へ用事で上がったついでに、手に持てるだけの本を本棚から抜いてきました。
もうきっと読み返さない。
江上波夫、騎馬民族説、一時流行りましたが、今はどうなってるんでしょうか。
多分ご本人の逝去後、受け継ぐ人もいなくなったのでは。一時はあんなに華々しく世間をにぎわしていたのに。
上田正昭先生との対談。しみじみと時代を感じさせます。
上田先生は集中講義で我が学校に来られ、二週間だったか毎日講義があり、2単位だったか4単位、もらった記憶があります。
それまで、地元旧家の地方史料をもとにした講義が多かったので、スケールの大きな話が興味深く、また当時はお若くて話も面白かった。
二人の対談、何書いているのかなあ。でももう読み返さない。通り過ぎた遠い過去。
これだってもう読み返さない、はず。でもしばらく捨てない。
寒村翁は1970年代、まだご存命だった。
これは明治時代?社会主義関係の書籍を大八車に積み、地方を行商して歩く話。
たいそう面白かった。
今アマゾンで見ると2,550円で中古本が出ていた。
社会主義伝道行商日記 | 荒畑 寒村, 平田 順 |本 | 通販 | Amazon
正価は当時で900円。消費税は当然なし。
売ろうかな・・・一度ページをめくってから出すかも。
今朝は雨の中、姑の布団の残り三枚を大型ごみで出した。排出量は750円。
二週間前には五枚を1,250円で持って行ってもらう。これで布団は終了。
布団をなんでこんなに大事にするのかと言えば、布団は昔は財産だったことでしょう。
以前、被爆証言を聞く活動していた時、嫁入り布団を母親が闇ルートで手に入れ、運ぶのも禁止されていたので、中身と外側に分けて送ったと、さも大切そうに話していただいたのでした。
関東段震災の映像でも、布団を大八車に積んで避難していますよね。
何で布団?そんなもの持たずにさっさと避難!!と思うのは現代人の感覚。行った先でたちまち要ると思ったのでしょう。
この他に一間幅の押し入れから出たものは座布団10枚くらい、タオルケット、シーツ、ソファーカバー、義妹の洋裁学校通学時(50年くらい前)の、縫いかけのスカートなどなど。
布類の資源ごみが大きな袋に3個、座布団などの綿は燃えるゴミ、これが30リットルの大型の紙袋に5個。
それからプラスティックの衣装ケースが3個。これは夫が小さく切って出すと言ってますが、当然、全然やってません。ああ、腹立つ。
姑存命中なら表へ出せたのですが、今は誰も住んでいないので、自宅前まで運んで来て出す。運ぶのは私です。
姑はすでに亡く、捨てないでと言った遠くの義妹が持って帰るわけもなく、夫は重いものが持てないので、結局は私が捨てる。捨てるのはやぶさかではありませんが、古いゴミを見ているといろいろな負の感情がよみがえってきます。
いかんですねぇ。でも古い本を写真に撮り、あれこれ書くうち元気になった。
昔はよく本読んでいた私。読んでも読んでも賢くはならなかったけど、私には時間潰すにはこのくらいしかすることなかった。スポーツも人付き合いも苦手で、子供たちが小さい時はママ友との付き合いが大変だった。ダメな母親でした。
昨日、次の登校日のための糸は巻き、用意も出来たので、今日からは自由な日。何をしてもいいのだけど、とりあえずは自分の要らないものを捨てる準備。
人のふり見て我がふり直せであります。
本は読まなくても手元に置いておきたいですよね。
でもやはり最後は困ると思うので、次に読む人に回そうかなと思っています。
興味は次々変わるので、いくら感銘受けても読み返すのは辛いものがありますよね。
それでも残ったのは自分の分身。そのくらいはいいかなと思っています。
収納場所が多いと物はどうしてもたまるんでしょうか。広い敷地に広い家は憧れですが、物の管理は大変ですね。
大学は織り始めたら、後は地道にやるだけですので、何とかめどは立ちました。学生さんからはすごいばあちゃんに見えるだろうなと思いつつ、通学しています。応援、ありがとうございます。
本の断捨離は何回もやってきましたが、現在マイルームにある本はやらないでおきます(*^^*)
今だと後悔しそう。
夫はお片づけ下手でしませんので、少しずつ私がしてますけど、
田舎って母屋は片付いていても外に建物がいくつもあるのですから量が半端なし。
何代もの人が押し込んで置くのですもの(;^_^A
大学頑張ってください。