6/18 10時過ぎバイパス田の原からバスに乗り、13時前博多着。
駅中で昼ご飯。イタリアンレストランへ。
前菜。お皿はオリジナル?
海鮮いろいろ。手前、金継ぎ?
ポップな柄が楽しくて食欲をそそられます。
コーヒーとケーキ。
照明の傘も陶器。きれい。博多駅9階?の店でした。
広島駅もこんな店が進出してくることを希望。
駅前で、山笠の組み立てをしています。
博多の夏は山笠なしには始まらない。男たちが頑張ります。
帰宅するには早いので駅の近くを歩きます。
柳橋連合市場へ歩いて行きます。
鮮魚を中心とした小売店街。駅から歩いて15分くらい。
博多口出て左へ。橋を渡ると右へ。すぐにあります。
出たところ。
信号渡って別の商店街へ。こちらは八百屋、食堂、衣料品、小さなスーパーなど。
この日のお買い物。夫。カボチャ、太いキュウリ。まるいズッキーニ。結局、水彩画のお稽古に持参して描いた後、現在消費中。
私はトウモロコシとズッキーニ。この後、駅で夕食用のお弁当も買い、荷物が増えた。
博多駅前には古いお寺や、櫛田神社、物産館などもありますが、以前行ったことがあるし暑いので今回はパス。
車で行かないと行動範囲は限られますが、もう遠くは無理な運転したくありません。無事に帰れたことにまずは感謝。三男がクーポン券くれて行って見たらいい所でした。好みは別れると思いますが、母の実家を思い出して、まだこんなところが日本にあるのだと嬉しなりました。
さりながら、農山村の人たちは都会から行く人を癒すために存在しているのではありません。
最近読了した串田孫一の本に・・・私は山に行くたびに、「・・・自然の中に一種の意地をもって生きている人たちの態度を新しく学びとってくる。その意地は賢さでもあり、たとえ彼らがそれに気付いていなくとも、私にとっては糧となり、消えてしまうものではなく、心に抱き、またそれを思い出すたびに、いよいよ貴さを増してくるような糧となる。・・・力強いねばりや、いつも自然の一部となって生きている人たちのみが持っている一つの立派な徳を学ばせて貰う」という一節があった。
その土地の人と暮らしぶりから学ぶことも多そうです。都会人は生きるために最も必要な食べ物を作ったり、獲ってくる術を忘れて久しい。大災害や戦争で、食糧供給のシステムが壊れたら何もできないか弱い存在。
自然をよく知り、働きかけて生きていく。そのためには苦労や我慢もある。その中から培われたのが串田孫一の言う徳であろう。
いえいえ、そう思うのも迷惑かも。普通に生活して都会の人と何も変わりません。仕事は車で日田へ行くし、遊びと買い物は高速に乗って博多まで。とか言われそう。
何を見るかはこちらの自由。しばし自分の暮らしを振り返る。それを相手に向かって口にはしない。
土曜日、人に誘われて県美展鑑賞。一つの描き方にとらわれず、レベルが高いと思った。工芸もたくさん。
その後APAホテルで昼ご飯。あの田母神氏が、ユダヤ人虐殺はなかったという論文発表したのが、APAホテルが作っていた雑誌でしたか。←うろ覚え。
自衛隊幹部の現職だったか、もう退職していたのか知りませんが、大騒ぎになった記憶があります。
私は2017年にポーランドのアウシュビッツとビルケナウのユダヤ人収容所を見学したので、あれがつくりものとはとても思えません。収容所ではなくて、人間の虐殺工場。例えば人の髪の毛を何部屋も何部屋も天井まで積み上げて、周辺には工場が進出して毛織物を作っていたそうですが、あまりに量が多くて使いきれないままドイツ軍は敗れました。
所長の官舎はガス室のすぐ近く、人はそんな場所で家庭生活を営めるものなのかと。それはユダヤ人を人間と思っていないからでしょう。
そのAPAホテルです。一私企業が、経営者のだか何だか知りませんが思想信条を公にするのは経営面から見てもあまりいい戦略とは思えません。そのホテルのビュッフェに誘われて半ば嫌々。ビュッフェスタイルはたくさん食べられないので、自分から行くことはありませんが、(ホテルの朝食も自分でパン焼いたりして億劫)、土曜日は付き合いで。
お味はまあまあでした。
今朝、いきなり長男が来る。出勤前に庭で採れた青じそを持って来てくれた。自転車通勤、ヘルメット被って疾風のように去っていった。
追記
今調べたら田母神論文は日本は「侵略国家だったか」というようなタイトルだったようです。アウシュビッツ否定はまた別の人だったようです。
うろ覚えで失礼しました。政府見解と違うので航空幕僚長を解任されたようです。今度の都知事選にも出ていますね。
写真追加
まだ作業が続いています。
でももう帰ります。
左端、今回の同行者。リュックに野菜がたくさん入っています。