耳に流れ込んできただけだった。
お互いの心を放し飼いにして
暮らせば
たまに寂しい自由
金 K18 ¥6170
プラチナPT950 ¥4100
【買取値】
佐久市野沢93番地十二町
ケヤキの木の真向かい
アーケード十二町側
~ヤナギダ~
☎0267-62-0220
金 K18 ¥6170
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いちごジャム、りんごジャム・・
・・・
くだものを煮詰めていると、ど
こにこんな香りの袋が隠されて
いたのか、と思われるほど、部
屋じゅうが、うっとりするよう
な甘い香りに包まれる。そして
その香りは、くだものによって、
さまざまだ。
もし、「私」という果実をジャ
ムにしたなら、いったいどんな香
りがたつか、私のなかにはどんな香
りが秘められているか、甘くて
酸っぱくておいしいジャムにな
れるだろうか・・・・
実際にはありえない「もし」だ
が、空想としてはユニークで
ロマンチックな「もし」。
そしてまた、ナルシスティック
でエロティックな「もし」でも
ある。つまりその気分のなかに
は、今の自分を果実にたとえる
なら、ジャムにできるぐらい熟
れている、という意識があるし、
また、自分という果実を、これ
から食べようとしている相手の
存在も、見え隠れする。
結局の「ブラウスを脱ぐ」は、
まるでくだものの皮を剝ぐよう
な、軽やかさだ。脱ぐ、という
動詞の現在形で、臨場感を出し
て読み手をちょっとどきっと
させた。
とことん愛されている、いや、
愛し合っているという自信が
なくては、こうはなれない。
エロティックではあるのだけれ
ど、そこには前向きの明るさ
が漂うのを感じとって欲しい。
セックス前の一場面をとらえ
た歌ととらえるなら、次にく
る一首は、
雨上がりの楓(かえで)のように
ぬれしままに君が浴室よりも
どりくる
目をそらすでもなく、変に見
つめてしまうわけでもない。
「普通の」視線が、ここにはあ
る。肩の力が、抜けているのだ。
この普通さに歌の伸びやかさと、
無縁ではない。
太古のときから今日にいたる
まで、連綿と繋がってきた生
命。 その生命の鎖の一番先端
にいる私とあなたの心が、そ
っと並んだ・・・・・・。
二人の人間が、同じ時代に
生まれ、そしてめぐり会うこ
とのできる確率というのは、
どれぐらいなのだろうか。
幾億の生命を母集団と、考え
るとき、それはほとんど奇跡
に近いことかもしれない。 そ
んな「出会い」に対する喜び
と敬虔(けいけん)な気持ち
とがあふれている。 「そと」
は控えめな表現だが「けり」
は強い感動だ。
人はよく「あと数年早く出会
えていたら、よかったのに」
とか「出会うのがもう少し遅
ければ、違った展開になった
かもしれない」とか言うけれ
ど、そんな贅沢すぎる言い分
というもの。 出会えただけで
も、感謝しなくては。 そして
その後、その出会いをどう受
けとめてどう発展させていく
かは、本人次第だろう。 だっ
て、生まれるのがほんの百年
ずれていたら、二人は会うこ
とさえできなかったのだから。
「出会い」といものを、「私
が独身のときに出会ってい
れば」とか「二人が、もっと
違う立場だったなら」とかい
う思いは、「幾億の生命の末
に奇跡的に出会えたのだ」と
いう思いの前には、まことに
小さなものでしかなかったこ
とだろう。
出会いを、偶然のままに終わ
らせるか、それを必然のもの
にまで育ててゆくか。
一番悲しいのは、大切な出会い
に、自分からブレーキをかけて
しまうことだろう。