精華よもやま話   佐々木まさひこ議員のつぶやき

京都・精華町会議員佐々木まさひこのローカル日記

民間なら・・・

2008年12月27日 18時01分42秒 | 各地・分野の動向
 「民間なら・・・・」
 このフレーズは、最近までいろんなところで聞かれていた。例えば、「民間ならこんな放漫経営しないのに」「民間なら残業があって当り前」「民間ならもっと知恵を出すのに」などなどである。マスコミの論調でも聞かれたし、議会内の議論でも、特に行財政改革の議論の際によく聞かれた。
 ところが、最近は余り耳にしない。なぜだろうか。今年の夏が過ぎた頃から、経済の冷えも急速に進行し、民間の調子が悪くなったからか・・今「民間なら・・」というと何を想像するだろう。トヨタや大銀行などにみられるように、バブル期をはるかに凌ぐ利益剰余金いわゆる内部留保資金=貯めこみ=一説では有名な企業では5年間ほど従業員を遊ばせておいてもまだ使い切れないほどの資金があるとのこと。また、ある大企業では、株主配当金を1株あたり3円低くするだけで、非正規従業員も含め首を切らずに1年間維持できるとのこと。
 こういう反社会的な行為が目立ってきて、民間のイメージもダウンしている。公共(市町村役場など)も、税収が落ち込んだら職員をバサバサと切り災害以外の公共事業もすべてストップさせれば済むのだろうか。
 1929年頃の世界大恐慌で、税収が落ち込んだ際に、アメリカはニューディール政策という公共投資を増やし、民間にマネーを流すことで景気回復を図った。「民間なら」倒産している政府の懐事情だ。現在は、経済の規模やグローバル化など環境が異なるので同じ効果は期待できないが、全世界の政府は今、金融=銀行や大手企業に巨額の資金を回している。金利を調節してお金の流れをコントロールしようとしている。なぜだろう?アメリカ・イギリスに始まった新自由主義というのは、規制を緩和して儲けたい人・企業はビジネスチャンスを生かしてどんどん儲け、失敗したら「自己責任」で守ってもらえないことが基本だ。これで、貧富の格差は大きく広がった。自由主義・資本主義の成果だと言われた。私は好きな言葉ではないが、「自己責任」の原則はどこに行ったのだろうか?
 今、全国では、失業者・内定取り消し者対策として、自治体が職員募集をしたり公営住宅の入居枠を広げたりしている。一部の小さな民間企業も、募集に乗り出している。昨日・今日の新聞報道では、さらに8万5000人が失業する見込みだという。
 「民間なら・・・」という言葉は、地域の小さな企業ではなく、主に大手企業モデルを指して使われてきた。しかし、この現実を直視した時、まだ「民間なら・・・」の論法で、公共セクターを巻き込むことは、これくらいで終わっておくべきではないか。公共セクターと民間セクターでは、存在する目的や意味が異なっている。外見上、同じように見えるものでもやはり違う。今は、それぞれの存在目的を改めて確認し、その目的に沿ったあり方を模索すべき時だ。
コメント
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