さっと

東北・秋田県南での田舎くらし

壊れていく

2017-06-28 23:56:56 | 日記
夕飯を食べようとして、お気に入りの大きさのカップを持ち上げたら
以前にぶつけたらしく「ちょっぴり欠けていた」ふちのところの欠け方がひどくなっていた><

私の心も、こういう風に、ドンドンかけていくのだろうか…どこまでかけていったら
いや、陶器は、中心に向かって、一度大きくひびがはいってしまったなら、
ぱっかりとわれてしまって使い物にならなくなって、単純に「捨てられる」のだが、
人間の心は、どこまで壊れていくと「つかえない」というのだろうか…
どこからが「普通」に生活している人間じゃぁ無くなるのか・・
すでに「かけている」・・どころでなく、ひびが入っている私は、いつ器として
きのうしないようになるのか・・とっくに使い物にならなくなっているのだろう。
気力・意地だけで、こうやって今のところ、社会になんとかかんとか生きながらえている
…じつは、薬の力で=薬頼みで、かろうじて正常そうに見せている・・そんな状態なのだが、
まわりのひとは、そこまで「病んでいる」とは、気が付いていないらしい。
まぁ、最初から「普通」じゃぁないのだろうから、
私の場合には、そういう基準は当てはまらないのかもしれない

あなたのレベルは「病」ではなく「症」だから…とは、いろんな方々が、簡単に云ってくれるのだけれど
生きているのがつらいのは・・・本人が「つらさを感じている」と「わかる」のは、
へんなひと・・と、簡単におもわれるだけで、
そこから「壊れている」という状態まで、とっくのむかしに、そこまで行っている・・とは
気が付かないのだろう…分かる気がない人たちには、わかるわけはないかぁ

こういう自分を振り返ることができる「客観的視覚」を持っているのは、
人間として「強い人」なのだそうだ…傷の痛みがわかりすぎてまして
マゾだかサドだか・・・どっちがどっちなのか忘れたけれど、
今、ドンドン、言葉の意味が分からなくなってきている。
気持ちが入っていないこともあるのだろう。
もしかしたら、単純に「精神的拒否」をしているだけの症状なのだろうか?

このごろの付き合いの人たちは、言葉の裏にいろんな意味を含む発言をしてくださる人ばかりで
どこまで裏を読めばいいのか…ものすごく疲れる。

まぁ、確かに「他人の痛み」がわかるような人たちではないから、ああいう風に、自分勝手でいられるのだろう…
ああいう人たちを「福祉畑の人間」とは思えない・・・そうなんだと認めることができない自分がいる。
私だって、聖人君子ではないのだけれど・・・・どうやっても、
そういう人がそういう仕事をしていることが「ゆるせない」のだろうかねぇ・・人間ができていない=だめだなぁ。
コメント
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