今日は、画像の中から、二枚、翻訳のお勉強
Histoire de Paris パリの歴史
Hôtel Radix de Sainte-Foix ラディックスホテルサントフォワ
Sur des terrains autrefois propriété des religieux Mathurins,
le fermier général Charles Marin-Delahaye fit construire vingt-huit hotels,
à la fin du XVIIIe siécle,par l'architecte Aubert.
かつて宗教的なマチュリンが所有していた土地で、
農夫のチャールズマリンデラヘイは
18世紀の終わりに建築家オーバートによって28のホテルを建設しました。
農夫のチャールズマリンデラヘイは
18世紀の終わりに建築家オーバートによって28のホテルを建設しました。
Ici vécurent en 1780 le financier Radix de Sainte-Foix,
et Mirabeau en 1789.
ここには1780年にサントフォワの投資家の基数が住んでいました。
1789年のミラボー。
1789年のミラボー。
Un jardin-terrasse orné de treillages,de pyramides,d'arcs de tromphe et de fausses ruines destinées à cacher les cheminées occupait le toit jusqu'au XIXe siècle.
19世紀までは、煙突を隠すために、格子、ピラミッド、だまし絵のアーチ、偽の遺跡で飾られたガーデンテラスが屋根を占めていました。
Deux petits ponts chinois enjambaient un ruisselet qui distribuait l'eau dans la salle à manger et,depuis la terrasse,dans les salles de bains de I'immeuble.
2つの小さな中国の橋が小川にかかっていました。小川は食堂とテラスから建物の浴槽に水を分配していました。
En face,au n゜2,I'hôtel d'Aumont présente la mème façade en rotonde.
2番地の反対側にあるホテルドーモンには、同じ円形建設のファサードがあります。
Cet autre vestige de I'énorme opération immobilière de Marin-Delahaye fut habité,à partir de 1785,par le maréchal d'Aumont, duc et pair de France,qui rallia la Révolution avec enthousiasme et reçut enrécompense le commandement de la garde nationale.
マリンデラエの巨大な不動産事業のこの他の痕跡は、1785年からフランスの公爵であり同盟国である元師D’オーモンが居住していた。公爵とフランスの仲間は熱狂的に革命を結集し、国家警備隊の指揮を受けた。
こちらは、パリ市内の記念樹の根元にあったプレート
セコイヤセンベルビレンス(常緑樹セコイヤ)
カリフォルニアから
アメリカ人の寄付
フランス人に
百周年の記念に
権利章典
人と市民の
アメリカ合衆国の権利章典
1789-1989
二世紀にわたる友情の証
によって提供された
アメリカ委員会
フランス革命
F.A.バートレット
ツリーエキスパート会社
パソコンの翻訳機能に、一文字ずつキーボードで打ち込んでの直訳ですから、意味が分からないところがたくさんありますね。
外国語が全面的に苦手な私の頭に、ものすんごい刺激・・・ふー、疲れたO-O)
外国語が全面的に苦手な私の頭に、ものすんごい刺激・・・ふー、疲れたO-O)
画面に出てくるフランス語バージョンのキーボードは左端のQとA、WとZが入れ替わっていて・・しかも、普通のeのほかにèやéのキーボードが見つかったものの屋根付きは見当たらず、これはâについても、言える状態でして・・・普段からR文字入力はしていたのですが、これにはまいりましたわぁ><:)
そういえば、フランスに住んでいらっしゃるどなたかのブログで、ブラインドタッチで困難が付きまとう・・と、そんなことをおっしゃっていたなぁ・・というところまでは思い出しましたが、海外に住んでいるどなたの記事だったのか…分かりかねまして…ごめんなさい。