自分の名前の由来知ってる?
妹たちの時代に、そういう宿題がありましたので、その時についでに聞いたことがあったような気がしますが、私の名前には、今どきの子どもたちのようにはっきりとした具体的・決定的な答えがありませんでした。
11月の書道提出課題14のうち、まだ仮名にしか手を付けていません。
テレビを見る事は出来ますが、寝てばかりいます。
いろんな課題に取り組むのが”楽しい”という若い人たちと異なって、ずいぶん以前から、ひーこら言いながら、しんどいまんまで取り組んでいて、成長がないままなので、ドンドンどんどん苦行になってきています。
絵のように文字を書くような美的空間認知力も無いので、一定のところまで努力で成長できたなら、そこから上にはいけないんです。
元々が、一流の段階にまで登れるだけの実力のための器や感性が備わっていないので、輝く力が無いのです。
私の「手」と呼ばれる性質は、もともと型にはまって書く実用書道向きではないので、賞状を書いたり、お手紙向きでもないのです。
文部省推薦用に子どもたちのお手本を書く力もありませんので、兎にも角にも・・・なんにも使いみちがありません。
元々の美的才能・センス自体が無いのですから、こういう場合には、もう、これ以上は、努力による成長は望めないんだと思います。
ココからは、素質を持っている・才能がある人達を成長させていくこと=支えることを主流にして、生きていくしかないのでしょう。
私の年賀状の様式は、ちょうどこんな感じで仕上げています。