今日で東京の街並みを撮影した動画がネタ切れ。
100本以上の動画は、年末年始にかけて駆け足で撮影したもの。
もちろん駆け足というのは比喩である(笑)。
歩いてわかったのは、「東京は広い」。
ずっと取り組まないと撮影しつくす事などできない。
東京というと都会のイメージだけど、山手線の外へ出ると、そこは”都会”ではなく”町(まち)”のイメージが濃くなる。
山手線内でもそこかしこに”昭和”が残っている。
もちろん急激に街は変化して、効率の良い建物が覆いつくそうとしている。
どこかの時点で記録しておかなければ様変わりの変化にさえ気がつかない。
どこかの時点も定期的である方が望ましい。
なくなってしまった景色を映像で残しておく事は、ノスタルジーや記録というだけでなく「表現」でもあると思うのだ。
その場所に立ち、何をどのように撮影するか思考を巡らし、時間とともに切り取る。
それは表現作業なのではないのか。
撮影者がそれぞれの方法で見つめたものを定着させているのだ。
そう考えれば、”何気ない風景”も意味のあるものになり、創作意欲もわいてくるのではないか。
そうやって残されたものをあとで他人がそれぞれの思惑で評価してもいいではないか。
次に東京に行けるのはいつになるかわからないけれど、歩きたい場所は数えきれないほどある。
知らない場所も数しれない。
それは東京だけではなく、自分の身の回りの街でも同様だし、「いつのまにか」様変わりしているのも同じだ。
歩けば歩くだけ目の前に新たな景色が現われてくるのだ。
カメラあるのなら、それを景色に向ける事は意味のない行為ではないはずだ。
潮岬灯台前から中の店 和歌山県串本町
南阿佐谷すずらん通り商店街 東京都杉並区
100本以上の動画は、年末年始にかけて駆け足で撮影したもの。
もちろん駆け足というのは比喩である(笑)。
歩いてわかったのは、「東京は広い」。
ずっと取り組まないと撮影しつくす事などできない。
東京というと都会のイメージだけど、山手線の外へ出ると、そこは”都会”ではなく”町(まち)”のイメージが濃くなる。
山手線内でもそこかしこに”昭和”が残っている。
もちろん急激に街は変化して、効率の良い建物が覆いつくそうとしている。
どこかの時点で記録しておかなければ様変わりの変化にさえ気がつかない。
どこかの時点も定期的である方が望ましい。
なくなってしまった景色を映像で残しておく事は、ノスタルジーや記録というだけでなく「表現」でもあると思うのだ。
その場所に立ち、何をどのように撮影するか思考を巡らし、時間とともに切り取る。
それは表現作業なのではないのか。
撮影者がそれぞれの方法で見つめたものを定着させているのだ。
そう考えれば、”何気ない風景”も意味のあるものになり、創作意欲もわいてくるのではないか。
そうやって残されたものをあとで他人がそれぞれの思惑で評価してもいいではないか。
次に東京に行けるのはいつになるかわからないけれど、歩きたい場所は数えきれないほどある。
知らない場所も数しれない。
それは東京だけではなく、自分の身の回りの街でも同様だし、「いつのまにか」様変わりしているのも同じだ。
歩けば歩くだけ目の前に新たな景色が現われてくるのだ。
カメラあるのなら、それを景色に向ける事は意味のない行為ではないはずだ。
潮岬灯台前から中の店 和歌山県串本町
南阿佐谷すずらん通り商店街 東京都杉並区