Nonsection Radical

撮影と本の空間

昨日行った奈良の話

2013年05月26日 | Weblog
昨日は奈良市に行ったんだけど、実質40数年ぶりなので昔の記憶も定かでない。
街並みも変わったのだろう。
変わっていないのはお寺だけか。
近鉄奈良駅を出ると、想像していたよりもにぎやかで”近代的”な街並みが現われた。
実はもっと寂れているかと思っていたのだ。
どうしても京都と比べてしまっていたのだが、なんのなんの修学旅行生も外国人の姿も多かった。
観光案内所で地図をゲットして街を歩きだしたのだけど、今回の本命は「西大寺」にあった。
東大寺は有名であるのだけど、対になるはずの西大寺の方はあまり話題にはならない。
ではどうなっているのかと興味を持ったのだ。

近鉄には「大和西大寺」という駅があるけど、そこでは降りずに「近鉄奈良駅」で降りたのは様子見のため。
とにかく奈良に関して基礎知識を持っていないので、歩きながら考えようと思ったのだ。
そこらの商店街を歩きながら「たいしたものだねぇ」と感心しながら西へ向かった。
電車内から”野原”に建つ木造建築を見つけ、それが復元された「朱雀門」である事がわかったので、そこにも寄ってみようと歩き続けた。
行ってみてわかったのだけど、朱雀門だけでなく大極殿も復元されていたのね。
朱雀門が「平城宮」の正門で、大極殿が、天皇が国家儀式の際に御出座になる施設で、大極殿を含む政治行政エリアを平城宮というらしい。
そのエリアは塀で囲まれているんだけど1km四方あるという。
朱雀門から大極殿までは単なるだだっ広い野原なんだけど、それは当時でも同じだだっ広さだろうし、昨日のように風がビュービュー吹いてもいたはずなのだ。
また朱雀門から南へ3.7km下って突き当たりが都の南端「羅城門」で、そこへの通りが朱雀大路で道幅が75mあったというから、電気のない当時は、夜間は真っ暗な寂しい広場だったろうと想像してゾッとした。
とにかくそのスケールのデカさにビックリして、こんな人工の街を作った当時の人々の度量に感心したのである。
確かに京都は今でも基本的に碁盤目状の街路が残っているけど、現代の建築物が立ち並んで遠目は見渡せない。
平城京は75年間しか続かず、現在では碁盤目状の当時の街路はほとんど残っていないと言えるのだけど、ほんの一部であるけどこうして平城宮だけでも取り出してみると「実物大」の街のスケールが感じられて「実感力」は京都の比ではない。
大極殿に立ち、朱雀門、そしてその先に続く”京”の街を想像して、ミカドの気分を想像したのであった。

で、西大寺の話は次の機会に




日間賀島 4 愛知県南知多町


奥の町から熊本マンション前 兵庫県姫路市家島町
コメント
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