Nonsection Radical

撮影と本の空間

年の功は謙虚さから

2013年05月17日 | Weblog
ほらさぁ、ムダに歳を取るとその間の”歴史”も知らず知らずに”体験”していくわけじゃない。
ああ、あんなこともあったなぁ、そんなこともあったなぁと。
そんなふうに”時代”と共に添い寝していくわけだけど、じゃあその時々に起こった事を理解しているかというと、それはまた別の話だね。
勝手な解釈や時代の風潮でそう思っているだけという認識もたくさんあるわけじゃない。
それが後世に正しく解釈されて正されるかというと、案外当時のままの認識で”理解”していることもたくさんあるのね。
また逆に当時とまったく違った考え方が時代の主流になって、今と当時では違ったふうに理解していることも多いな。
そこでぶっちゃけどうなのよ?と考えた時に参考になるのが新聞縮刷版と本だと思うのよ。
新聞社のサイトでは以前の新聞のデータベースを閲覧出来るけど有料だし、テレビはコチラが望んだ映像を何でも見せてくれるわけないし、そういう点で図書館に行けば常備されている新聞縮刷版は一番簡単に当時の”報道”を知る助けになると思うのよ。
縮刷版にはテレビ欄や雑誌書籍広告も載っているので、他のメディアでどんな事を取り上げているかも知る事が出来るし。
また本は、最近は新書や文庫の類いでも結構最近の史実について取り上げたものが多いし、巻末に参考文献もリスト化されていて便利だね。
ウェブサイトでもウィキペディアみたいなものがあるけど、多様性と情報量、信頼性という点ではまだ不満があるよね。
だからじっくり”検証”するには図書館に通う事が一番有用だと思うんだよね。
そこで片っ端から(これが大事)文献に当たれば、大まかな事は理解出来るようになるよな。
それでやっと「ああ、そうだったんだぁ」とアンチョコ本では得られない認識が得られるんだと思うのですよ。
案外自分の”知っている”とおりだったり、まったく違っていたり、わずか数十年の自分の生活の中で起こった事にも再認識ができるわけ。
もちろん自分の誕生以前の事も知る事が出来るわけね。
そうやって再認識して今の状況を考えないと、事実とウソと間違いがごちゃまぜになった濁流を泳いでいけないと思うのね。
ところが、そういう事をないがしろにして、自分が思っている事が”事実”で正しいと思ってしまう人が多いような気がするし、自分もそう思っている一人だと思うのよ。
でもそれってどうなのよ?と思う気持ちで”検証”すれば、新しい事実に触れる事ができると思うのよ。
そういう”謙虚”な気持ちって、歳を取れば取るほど必要になってくるんだよねぇ。





美川駅前 石川県白山市


鳥取県岩美郡岩美町沓井 1
コメント
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