沢木耕太郎著「地の漂流者たち」文春文庫を読み終わる。
沢木耕太郎と言えばスマートなカッコいい万年青年で美しい文章を書き、いつも冷静沈着みたいな印象があるのだけれど、この本はルポライターになったばかりの20代前半の頃の文章を集めたものだ。
青くて、若くて、燃えていて、怒っているのである。
その心情が文章に現われているのである。
読みながら思わず「若いね~」とつぶやいてしまった。
現在の洗練された文章とは違ったものだ。
時代とは、そうやって人を変えていくのだろう。
いや、人が変わったとはいえない。
同じ心情を”上手く”表現に変える事を身につけたのかもしれない。
それでも、沢木も若い頃はパッションをほとばしらせていたんだぁ、と嬉しかった。
話は70年代前半の若者を追ったものであるが、ここで取り上げるのは、当時すでに”問題”になっていた「だらしない若者たち」の実態に迫るものと言えよう。
現在、なんとか戦後の社会生活を生き延びた人達(年寄りの事だ)は、「今の若いヤツは辛抱がたらない」とか「すぐに仕事をやめてしまう」とか「俺らの若い頃は」とか言っているが、この本の中でも、そう言われている若者たちを取り上げているのだ。
ということは40年経っても、同じ世の中であるという事なのだ。
若者の心理も、社会の構造も、驚くほど変わっていない。
ただ、”苦言”を呈する層が世代交代しただけなのだ。
学校を卒業して就職してもすぐに辞めてしまうという話は、当時の中卒高卒から高卒大卒にシフトしただけで、辞めてしまう心理も辞めて当然と思える会社側の実態(現在のブラック企業)も似ている。
こういう「今現在」を扱ったルポルタージュというのは、いつの間にか変質してしまう記憶や感情と当時記された状況との乖離を埋め合わせてくれる効果がある。
高度成長期にガムシャラに働いて、みんな上を目指して生きてきたんだという”美談”も、当時の文章を読むと「生き抜けた者だけが語る成功物語」である事がわかる。
また文中には、現在問題になっている事が当時も問題にされていた事例である事もわかるものがある。
たとえば”尖閣問題”とか会社からのドロップアウトとか。
つまり、様々な問題はそのまま問題として解決されずに持ち越しをされ、いつのまにか忘れ去られてしまい、新たな問題として時代を経て浮かび上がってくるのが日本の歴史といえるのだ。
したがって本の中に書かれている若者の姿や状況は、40年経っても現在の若者の姿や状況の書き写しなのだ。
そういう現在の日本の姿を、沢木耕太郎ならどのようなタッチで取り上げるのだろうと想像するのは自分だけではないと思う。
総合運動広場から網手の浜 姫路市家島町
測候所前から上地 和歌山県串本町
沢木耕太郎と言えばスマートなカッコいい万年青年で美しい文章を書き、いつも冷静沈着みたいな印象があるのだけれど、この本はルポライターになったばかりの20代前半の頃の文章を集めたものだ。
青くて、若くて、燃えていて、怒っているのである。
その心情が文章に現われているのである。
読みながら思わず「若いね~」とつぶやいてしまった。
現在の洗練された文章とは違ったものだ。
時代とは、そうやって人を変えていくのだろう。
いや、人が変わったとはいえない。
同じ心情を”上手く”表現に変える事を身につけたのかもしれない。
それでも、沢木も若い頃はパッションをほとばしらせていたんだぁ、と嬉しかった。
話は70年代前半の若者を追ったものであるが、ここで取り上げるのは、当時すでに”問題”になっていた「だらしない若者たち」の実態に迫るものと言えよう。
現在、なんとか戦後の社会生活を生き延びた人達(年寄りの事だ)は、「今の若いヤツは辛抱がたらない」とか「すぐに仕事をやめてしまう」とか「俺らの若い頃は」とか言っているが、この本の中でも、そう言われている若者たちを取り上げているのだ。
ということは40年経っても、同じ世の中であるという事なのだ。
若者の心理も、社会の構造も、驚くほど変わっていない。
ただ、”苦言”を呈する層が世代交代しただけなのだ。
学校を卒業して就職してもすぐに辞めてしまうという話は、当時の中卒高卒から高卒大卒にシフトしただけで、辞めてしまう心理も辞めて当然と思える会社側の実態(現在のブラック企業)も似ている。
こういう「今現在」を扱ったルポルタージュというのは、いつの間にか変質してしまう記憶や感情と当時記された状況との乖離を埋め合わせてくれる効果がある。
高度成長期にガムシャラに働いて、みんな上を目指して生きてきたんだという”美談”も、当時の文章を読むと「生き抜けた者だけが語る成功物語」である事がわかる。
また文中には、現在問題になっている事が当時も問題にされていた事例である事もわかるものがある。
たとえば”尖閣問題”とか会社からのドロップアウトとか。
つまり、様々な問題はそのまま問題として解決されずに持ち越しをされ、いつのまにか忘れ去られてしまい、新たな問題として時代を経て浮かび上がってくるのが日本の歴史といえるのだ。
したがって本の中に書かれている若者の姿や状況は、40年経っても現在の若者の姿や状況の書き写しなのだ。
そういう現在の日本の姿を、沢木耕太郎ならどのようなタッチで取り上げるのだろうと想像するのは自分だけではないと思う。
総合運動広場から網手の浜 姫路市家島町
測候所前から上地 和歌山県串本町