Nonsection Radical

撮影と本の空間

気分は・・・

2014年07月26日 | Weblog
あおはる18きっぷで出かける予定だったが、あまりの暑さと明日も出かける都合上、近場でブラブラする事に。
ニコンサロン大阪でチベットの匂いについてお話を聞き、Acru galleryで観覧者の支持を集めた理由を聞き、Nadarで黙って鑑賞し、壹燈舎でリー・フリードランダーと須田一政を堪能し、BEATS GALLERYで赤外写真のお話を聞いた。
今日の目的は壹燈舎のフリードランダーの写真。
題名を調べようと手持ちの写真集を見て、見て、見て、見ようとした写真集がない!
狭い部屋を探してはや1時間。どこにもない。お気に入りの写真集がぁ orz
で、その写真を見るために会場まで大阪市内を歩いたんだけど、気分はさ、もう完全に本人モードなわけね(笑)。
ライカに35mmをつけて(別名コンデジ)歩いたわけさ。
で、実物を見て、また須田一政のも見て、思ったのは、プリントにすると今の高画素のデジカメなんか必要ないんじゃないの?って事。
そりゃぁ大きなサイズのプリントとかなら別だろうけど、目を凝らしてみれば確かに粒子はあるし、ピントも甘くなるけど、実際にプリントを目の前にして見る限り、極めて立体的でトーンが豊富で何の問題もない。
パソコンモニターで拡大してああだこうだというのとは別の世界なのねプリントは。
それにさ、展示してあったフリードランダーとか須田一政とか田村彰英とか築地仁とか中藤毅彦とか吉田功とかの名前を知らなくても、写真を見れば一目瞭然「こりゃすごいわ」って写真なわけね。
そこには解像感とかレンズがどうのとか、等倍で見ると、なんてのと違う「写真」の世界があるのね。

追記 途中に立ち寄った図書館で読んだ篠山紀信の「写真は戦争だ!」は大変面白い。





















気分は・・・のつもりだったのに、途中から人情、愛情、みな友情 がにじみだしてきて・・・






本町1丁目の街並み
奈良県五條市本町1丁目
撮影 2014年6月21日 土曜日 12時50分
コメント (1)
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時代錯誤は覚悟

2014年07月25日 | Weblog
最近は昭和の終わり頃に出版された本ばかり読んでいるんだけど、なんかさぁ当時の本の方が知りたい事が書いてある、あるいはすでに当時取り上げられているような事項が多いような気がするんだよね。
実際には、最近の出版物に目が追いつかずにチェック出来ていないからなんだろうけど、当時社会的問題とされた事を振り返り総括してあるような本は出ているのかね。
まあバブル時代の一部カルチャーについて“懐かしい”レベルでのサブカル本はあるけれど、バブル時代の経済や政治、あるいはバブルが来た事によって覆い隠されたそれ以前の問題なんかを考察したものなんかあるのかね。
当時と現在と違う点は、現在は当時がその後どうなったかがわかっている事なんだね。
だから当時「今後どうなるだろう?」と思っていた点も結果がわかっていて、さかのぼる事で当時問題とされていた事の原因もわかるはずなんだよ。
また当時「これでいいんだ」って強行したような事、たとえば国鉄民営化なんてのも、あるいは銀行統廃合なんてのも、今から検証すれば人の動きや事象、成否なんか結果が出ているんだから、十分調査出来るはずなんだけど。
でもその手の本は、”当時”出たけど、今となっては”過ぎ去った過去”というわけか出ないんだよね。
いつもいつも”今”を不確定な情報で記述する本ばかりなんだよ。
それでいてネットなんかでは、当時の本を根拠に”解説”したりしているんだけど、「ホントかよ?」って思ってしまうんだよ、検証されていないから。
そんな昔のことを調べたって、なんて声は当然なんだけど、でもJR北海道の多発事故なんて民営化前に危惧されていた事がそのまま現われたのだし、当時の危惧がなぜそのまま21世紀にまで続く事になったのかなんて今なら書けると思うんだけどね。
そんな例は郵政民営化の危惧とか、少子高齢化の危惧とか地方過疎化の危惧とかいっぱい危惧があって、危惧がそのまま危惧のままに放置され続けているのを今検証しないのかね。
そんな事をしていると、イザという時になって何にも対策が立てられない原発事故対応の二の舞になるんじゃないのかね。
何十年も前から言われ続けてきた危惧が現実になった、さあ大変って事を繰り返して行くのかね、
行くのだろうな。だよね。そういう国、国民なんだものね。

まあそういう事を考える”効果”もあって、”当時”の記録になる古本をあさって今日も読んでいるんだな。




千本通から仁和寺街道へ
京都府京都市上京区仲御霊町,五番町,六番町,七番町,四番町
撮影 2014年4月13日 木曜日 15時10分
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なぁ~んも考えてない

2014年07月24日 | Weblog
ムスメが小さかったとき、いつもボ~っとしていたので、そんなときには「何考えてんの?」と訊くと、いつも「なぁ~んも考えてない」と答えたものだ。

このところ珍しく仕事が立て込んでいて、ずっと座りっぱなしなんだけど、あいにくいつも聴くラジオが夏休み中で、かといって気が利いた他の番組も見つけられず、ポッドキャストを聴いているのだけれど、あまり”効果”がない。
効果とは、集中しているのを適当に気を散らせて、集中を長引かせる効果だ。
集中力なんてたかが知れていて、まともに集中すると30分も続かない。
いかに気を紛らわせる”瞬間”を組み込むかで、集中する時間の長さが決まってくる。
今のところ、それがラジオ番組だったりしたのだが、関西中心の「予定調和」的な番組は、単に退屈で効果が薄いのだ。
だからそういう時には妄想を最大限に働かせて脳を活性化するしかないのだが、あいにくのこの暑さで脳はひたすら「おネムちゃん」状態へ突入しようとする。
その結果、目は開いているが、脳は働かず、当然なぁ~んにも考えていない状態になる。
効率は最低だ。
そこで席を立って、冷たい水を飲みに行くのだが、冷凍庫の水もまともに凍らないまともでない環境の中、メールをチェックしたり、注文書を書いたりと事務作業をして気分転換に励む。
その際、多少は冷えたペットボトルを脇に挟んだり、お股に挟んだりすると、冷たさがカラダの芯(どんな芯だか知らない)に響き渡り、覚醒することに気がついた。
ただ、お股の場合、下半身の力が抜けて放心状態になる。
ちっちゃくてかわいらしいムスコが「なぁ~んにも考えていない」状態になってしまう。
心地よさにひたりながらも、これでは仕事に復帰出来ないので、”親子の会話”によってオヤジの権威を示して現場復帰するのであった。
とまあ、こんな話を800文字以上綴っているが、暑さのためにやはりなぁ~んにも考えていないのである。





サンモール中園 2
長崎県長崎市中園町
撮影 2014年3月22日 土曜日 12時45分
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置いてけ堀

2014年07月23日 | Weblog
ニュースとかネットを見ていて思うのは、いわゆる”大衆”は躊躇がないのだなという事だ。
たとえばmixiとかTwitterとかFacebookとかLINEとか話題になると、すぐに使い始める。
使い方がわからなくても、いろいろいじったり、誰かに訊いたりして動かす。
それで便利さを手に入れるのだが、一方でセキュリティとかがわからなくてエラいことになる場合もままある。
でもそれに懲りるわけでもなさそうで、次々現われる新手のサービスに手を出していく。
まあ多くが「コミュニケーションツール」と呼ばれるもので、コミュニケーションを円滑にするのに便利なものだ。
ところが、コミュニケーションをとる相手がいなくて、ツールを使ってコミュニケーションをとる相手を捜すという本末転倒な人も多いのも事実だが。

他の”大衆”と違って、どういうわけだかこの手のツールに手を伸ばすことに慎重なのは単なるジジイだからだが、そもそも用途が浮かばないんだな。
そして使うには使用法を知らないとダメと思うタチなのだ。
誰かに訊いてホイホイと使える柔軟性も持っていないし。
スマホにしても使う用途が思い浮かばないので買い替えない。
ケータイは電話とメールが出来ればイイとしか思っていないので、いまだにカメラ機能もメモリーカードの使えないガラガラケーで満足している。
ガラパゴスと言いながら、独自進化もしていない。

でもさ、電車とか運転中とか歩行中にスマホを使っている人を見ても、ちっとも便利そうに思えないんだよね。
ただの暇つぶしの(その割りには高価な)ツールにしか見えないんだよ。
残念ながら暇がない貧乏人なのでニュースや天気なんかは、あとでパソコンで見ればイイと思うし、ゲームをしている暇があれば山積みの本を読み進めていかないとと思うし、四六時中”無駄話”でつながっているわけにもいかないし。
そうやってひとつひとつを吟味していくと必要がない事がわかってしまうんだな。
それはすごく大きな画像が撮れる一眼なんとかという大きくて重いデジカメの場合も同じなんだよ。
身のたけにあった生活を考えると自然にそういう”付加価値”の必要性がなくなる。
そうやって情報化社会から置いてけぼりをくらうんだけどね。
まあしかたないや。




須恵1丁目の街並み
奈良県五條市須恵1丁目
撮影 2014年6月21日 土曜日 12時30分
コメント (2)
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慢心相違

2014年07月22日 | Weblog
若い頃からの無理がたたって体中が不具合だらけだ。
特に関節が悪く、腰、膝、手首、足首、首首・・・
それが原因で体力づくりの運動が出来ない。
腹筋も背筋も即腰痛、スクワットは膝痛、腕立て伏せは手首痛、美人を振り返れば首痛と何かをすればどこかが痛む。
そして決定的なのは足底筋膜炎で、これはある暴挙からなってしまったのだが、当時は治療に通って直した。
でも加齢で筋力が弱り、アーチが保てなくなって扁平足になってからは時々痛みが出る事があった。
それで靴を選び、歩き方を研究しとごまかして来れた。
ところが最近、撮影で歩くのが疲れるようになり、ちょっと足を”鍛えようか”と思ってしまったのだ。
もちろん自分の体調はわかっている(つもりだった)ので、無理はせずに軽く負荷をかける運動を始めたのだった。
2日続いた。何ともなかった。
そして3日目に足底筋膜炎の再発だ。
注意深くするから大丈夫との慢心が、思った以上のカラダの老化についていかなかったんだと思う。
ひたすら安静にして、消炎シップを貼っているのだが、こんなことではお姫様抱っこでベッドに放り投げなど出来るわけないのだ。(しないが)
困るのは歩くのに不自由する事で、結局撮影の予定もままならなくなってしまった。
出来る運動はラジオ体操ぐらいしかないのだろうか。




下出の街並み 2
大阪府阪南市下出、尾崎町
撮影 2014年7月12日 土曜日 11時50分
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