昨日11日は、祈りの一日!!
9年前の4月11日、
避難所で過ごす92歳のおばあちゃんが、
涙ながらに語られた言葉を思い出す。
「帰りたい、帰りたいけど帰りない
帰るところもない・・・・・」、
今、9年前の日誌を引っ張り出している。
震災当日の事は、今でも鮮明に覚えている、
が、その後の事については、漠然としたことしか思い浮かばない!!
次のようなことを日誌に走り書きしていた。
12日、市内は飲み水もない状態、親戚知人が、
どこで耳にしたか、水を求めて我が家に。
14日、仙台に住む息子たちと連絡取れず、
手紙を出すために街に。
16日、衛星電話の利用可能、とのことで役所に出向くが
1日違いで、隣町の役場に行くことに。
20日、娘と孫たち、風呂をもらいに来家。
孫達と風呂に入れる幸せを実感。
21日、買い物のため、スパーに出向く。
10時開店に、7時頃から並んでいた方あり・・。
22日、ガソリンを求めるため4時半起床し店頭に並ぶ。
何と、357番目長蛇の列。
27日、震災の被害状況が明らかになってきた。
ともかく、11日からインフラの全てがストップしたが、
ここの水道水は、独立した施設であったため困らず。
プロパンガス使用て、煮焼きは事欠かず等々・・・・、
当時のことを並べると、当時の様子が思い出される。
この地はさいわい、
住む家にも、食べることにも大した苦労もなく、
過ごせたことは何よりであった。
しかし、今尚48,000人の方がたが、
避難生活をされていることに、
心痛まずにはおれない。