瀬名川通信

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和宮

2019年12月06日 09時46分04秒 | 備忘録
Wikipediaによると
和宮 親子親王(かずのみや ちかこしんのう、1819年3月9日〈弘化3年閏5月10日〉- 1885年〈明治10年〉3月9日)は、仁孝天皇の第八皇女。
長兄の皇子は、孝明天皇。江戸幕府第14代将軍・徳川家茂(とくがわ いえもち)の正室(御台所)。
家茂死後には落飾し、静寛院(せいかんいん)の院号宣下を受け、静寛院宮と名乗った。
嘉永4年(1851年)7月12日、孝明天皇の命により有栖川宮熾仁親王と婚約する。
文久元年(1861年)10月20日、和宮一行は桂御所を出立した。
東海道筋では河留めによる日程の遅延や過激派による妨害の恐れがあるとして中山道を江戸へと向かった。
行列は警護や人足を含めると総勢3万人に上り、行列は50km、御輿の警護には12藩、沿道の警備には29藩が動員された。
和宮が通る沿道では、住民の外出・商売が禁じられた他、行列を高みから見ること、寺院の鐘等の鳴り物を鳴らすことも禁止され、犬猫は鳴声が聞こえない遠くに繋ぐこととされ、さらに火の用心が徹底されるなど厳重な警備が敷かれた。