本日、宮廻先生をお迎えして、展覧会のオープニングレセプションを開催しました。
主催者あいさつ、来賓の黒部市教育長の祝辞、宮廻先生からお言葉を頂戴し、テープカットを行いました。
上の写真、中央が宮廻正明先生です。そして美術館内で作品解説を行っていただきました。
まずは、「クローン文化財」である「高句麗江西大墓壁画、四神の内、青龍と白虎」です。
オリジナルの壁画は劣化が激しいとのことで、クローン文化財のもつ重要な役割を教えてくださいました。
島根県を流れる江の川(ごうのかわ)に取材した「水花火」です。
船上の人物と網のバランスが秀逸ですが、実は網がこの状態になったとき、網を投げた人物はくるんと後ろを向いて
勢いを逃がしています。なので写真では絶対こうは写らないそうです。
でも絵画は二つの時間をひとつに結び付けることが可能で、事実ではないけど真実の世界を私たちに教えてくれるのです。
宮廻先生が最初の「日本美術院賞」を受賞した「天写田」(右の作品)と、オリーブの木々を描いた「平均律」(左)です。
オリーブの木を描いていると、近くに住んでいる老人に誘われてお茶や食事をごちそうになったそうです。(ちなみに外国です)
その老人は教師で、自分が学んだことを子供たちに教えて白髪になった。オリーブもその実を人に与えるとき風が吹いて葉が裏返り
銀に光るというお話をされたそうです。この話を聞いて、宮廻先生は、ああこれで絵ができた、と思われたそうです。
絵は、見て描けば完成するのではなく、話を聞いて出来上がるものなのです。
「風の囁き」(左の人物がいる絵)と、「萌揺」(右の植物の絵)です。
初期のころ植物をよく描かれていた先生は、ある画商さんから「先生は植物はうまいですが、風景は描きませんね、
もしかして下手なのですか」といわれ、ああそうかと思い風景を描きはじめました。すると今度は別の画商さんから、
「先生は風景はうまいですが、人物は描きませんね、もしかして描けないのですか」といわれ、ああそうかと思い
人物を描き始めたそうです。
自分の周りにイエスマンしかいない人は成長できないので、嫌なことを言ってくれる人も必要なのだそうです。
「放下便是」・・・執着心を捨て、自然体でいれば道は開ける・・・
宮廻先生によると、自分の得意なことを捨てていかないと、次のものは得られない、とのこと。
禅語のままだと、なるほどねえさもあらんと思いますが、宮廻先生の言葉を自分におきかえてみると、いやーこれはできないなと。
でも大成する人はそれをしないといけないし、いきすぎ(捨てすぎ)もよくなくて少しもどるのも大切とか。
ここを和食のダシをひきあいに説明されるのがさすがの宮廻先生。
絵のヒントあり、人生訓あり、先生のユーモアと豊かな発想に触れ、なんだか目の前が明るくなったような気がする約1時間のギャラリートークでした。
宮廻先生、お忙しい中、誠にありがとうございました。