わたしは、はなはだ不完全な人間だ。
自分は、慈悲心は、持っていると、長い間思い込んできたが、
それが全くの勘違いだったということに、最近気づいた。
慈悲心とは他者を思いやる心ではない。
それは単に思いやりや共感と呼ばれるもの。
慈悲心とは、何でもお前のすることは正しいと、
真実を捻じ曲げて溺愛することでもない。
そしてもちろん、「おお~可哀想に可哀想に」と、
やみくもに抱きしめて涙することでもない。
慈悲心とはその字のとおり、【慈しむ心】。
【愛おしむ心】
善悪を超えて、嫌悪を超えて、
ただそのものを、愛すること。
2元性を超えた、もしくは包括したところにあるもの。
何事にも囚われない、フォーカスしないという、
判断、批判の無い境地。
【赦す】という行為も存在しない。
もっと大きなもの。
愚かさも間違いもすべて分かっている、
怒りも悲しみも感じる、
だけれど、
またそれが、ある視点から見れば、
実態がなかったり、
用意に、姿形を変えるものとも知っている。
ただ見つめ、ただ知り、
ただ慈しみという愛を向ける、
どうもそれが、慈悲心というものらしい…。
そう思い至った時、我ながら自分の無知に、
つくづく呆れた。
私が慈悲と思っていたものの、
なんと薄っぺらかったこと!
人間の思い込みはかくも深いのだ。
そこに悪気なさが加わると、
いっそう始末に終えない。
私は、蟻一匹、草の葉一つの命も愛し、
尊いと思ってきたつもりだったけど、
それが【慈悲】だと思っていたけど、
そんなものは慈悲でもなんでもなかったのだ。
愛らしいもの、美しいものに、愛しさを感じるのは、
当たり前のことで、
慈悲とは、
その対極にあるもの、
憎々しい、巨悪といわれるものにさえ、
理由なく、ただ流れていく光。
強制的にではなく、ただ自然に…。
…ここでふと思った。
涙を流すマリア象は、
人間の愚かさを儚んで、
嘆きの中、
ほろほろと泣かれておられるのだろうか…?!
それは慈悲?!
否。
私は違うと思う。
私の知っているマリアさまは、強い。
とても清々しく凛とした感じ。
聖母といえど、感情はお持ちのはず。
悲しみを感じられれば、
涙が流れることもある。
でもそれだけなのだ。
それは自然現象みたいなもの。
行為としては、
すべてを包みすべてを抱いて、
愛を、発しておられるのだと思う…。
それは無量光…?!
私は、好きなものは好き。
嫌いなものはとことん嫌い。
それを越えて、
なお自然自発的にただ愛することなど、
あと100年かかってもできそうにない。
まあ、そのことを思い知ったことが、
まずもって進化への、第一歩なのかもね。
私だって、
CMの宮崎葵ちゃん(だったっけ?)みたいに、
「私は、次に生まれ変わる予定はありません!」
って言ってみたいけど、
それを決めるのは自我じゃなくて魂なんだよね…、
悪いけど!
あ~やだやだ。道は遠いなあ~
自分は、慈悲心は、持っていると、長い間思い込んできたが、
それが全くの勘違いだったということに、最近気づいた。
慈悲心とは他者を思いやる心ではない。
それは単に思いやりや共感と呼ばれるもの。
慈悲心とは、何でもお前のすることは正しいと、
真実を捻じ曲げて溺愛することでもない。
そしてもちろん、「おお~可哀想に可哀想に」と、
やみくもに抱きしめて涙することでもない。
慈悲心とはその字のとおり、【慈しむ心】。
【愛おしむ心】
善悪を超えて、嫌悪を超えて、
ただそのものを、愛すること。
2元性を超えた、もしくは包括したところにあるもの。
何事にも囚われない、フォーカスしないという、
判断、批判の無い境地。
【赦す】という行為も存在しない。
もっと大きなもの。
愚かさも間違いもすべて分かっている、
怒りも悲しみも感じる、
だけれど、
またそれが、ある視点から見れば、
実態がなかったり、
用意に、姿形を変えるものとも知っている。
ただ見つめ、ただ知り、
ただ慈しみという愛を向ける、
どうもそれが、慈悲心というものらしい…。
そう思い至った時、我ながら自分の無知に、
つくづく呆れた。
私が慈悲と思っていたものの、
なんと薄っぺらかったこと!
人間の思い込みはかくも深いのだ。
そこに悪気なさが加わると、
いっそう始末に終えない。
私は、蟻一匹、草の葉一つの命も愛し、
尊いと思ってきたつもりだったけど、
それが【慈悲】だと思っていたけど、
そんなものは慈悲でもなんでもなかったのだ。
愛らしいもの、美しいものに、愛しさを感じるのは、
当たり前のことで、
慈悲とは、
その対極にあるもの、
憎々しい、巨悪といわれるものにさえ、
理由なく、ただ流れていく光。
強制的にではなく、ただ自然に…。
…ここでふと思った。
涙を流すマリア象は、
人間の愚かさを儚んで、
嘆きの中、
ほろほろと泣かれておられるのだろうか…?!
それは慈悲?!
否。
私は違うと思う。
私の知っているマリアさまは、強い。
とても清々しく凛とした感じ。
聖母といえど、感情はお持ちのはず。
悲しみを感じられれば、
涙が流れることもある。
でもそれだけなのだ。
それは自然現象みたいなもの。
行為としては、
すべてを包みすべてを抱いて、
愛を、発しておられるのだと思う…。
それは無量光…?!
私は、好きなものは好き。
嫌いなものはとことん嫌い。
それを越えて、
なお自然自発的にただ愛することなど、
あと100年かかってもできそうにない。
まあ、そのことを思い知ったことが、
まずもって進化への、第一歩なのかもね。
私だって、
CMの宮崎葵ちゃん(だったっけ?)みたいに、
「私は、次に生まれ変わる予定はありません!」
って言ってみたいけど、
それを決めるのは自我じゃなくて魂なんだよね…、
悪いけど!
あ~やだやだ。道は遠いなあ~