繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

デル・ソルミーティング

2024-10-02 10:45:38 | 日記

皆様、コンニチワ。

すっかりブログをさぼっている間に、今年も「デルソルもてぎミーティング」が10月26日の土曜日に開催されます。

デルソルに乗っていなくても、興味がある方は、是非参加してください。

 

これは、昨年と同じ書き出しです。

もうブログはだいぶんサボっています。

日刊自動車新聞の月イチのコラム欄で、言いたい事などは書いていますので、世の中へのストレスは発散しています。(笑)

これは言い訳でして、本当はサボっています。

 

デルソルは、「街で時々見かける」から、今では「ちらほらのチラ」になってきました。

見つけると嬉しいです。宝くじ当たるんじゃないかと・・・。

 

そんな中で、今年も数十台のデルソルがモテギに集まります。

モテギは、お客さんにとって何かと費用のかかる施設になってきました。

ホンダやトヨタ等、カーメーカーは自動車文化に貢献すべきだと私なんかは思っていますが、

どうも、今の経営者は違うようですね。困ったものです。

元々は、モテギも文化貢献の意味合いで造ったわけですからね。(まさか、儲けようと思って造った訳ではないでしょ。)

 

という事で、今回は室内の部屋が有料でしかも高価になり、とても皆さんで費用出し合ってというレベルでなくなりました。

それで今までみたいに、部屋に集まって私の「リアルなよもやま話」も等出来なくなりました。

せっかくの年に一回のリアルコミュニケーションだったのに、残念です。

でも、幹事役の方が色々と工夫していただいているようです。

また、来年に向けてどんなやり方が良いか皆さんのご意見も伺いたいところです。

モテギは、全国から集まるのに日本の地理的に真ん中ッぽいですが、常磐・東北どちらの高速道路からも遠いです。

個人的には、モテギでなくても良いのでは?とも思います。

大きめのレストランを借りて簡単なランチを食べながら・・・とか・・・費用的にもGood。

また例えば、都内で参加台数が連なって走ると相当のインパクトになって話題になり、デルソルへの理解が深まるのだはないかとか・・。

色々とご意見いただけると良いかなと思います。

 

デルソルに関しては、今更あまりいう事はありませんが、もう二度とこういうクルマはホンダに限らずどこの会社でも造られないだろうと思います。

 

近々ホンダプレリュードがその名前で再登場すると雑誌等をにぎわせていますが、また雑誌は「カッコイイ」とか書くとこもありますが、なんの変哲もないクーペですよ。(笑)  日産のフェアレディだって同じです。

勿論一般のユーザーの方々に関しては、これらのクルマを納得して購入する人もいるでしょうが、デルソルに乗っていただいてるような「クルマ好き」しかも「メカ好き」「レアもの好き」「オープン故のデザイン好き」「目立つ事が好き」「2シーターが好き」・・・

様々な理由で乗られていると思いますが、まあ失礼な話で申し訳ないですが、一般ユーザーの価値観と比べると「ちょっと変わり者」ですよね。

つまり、本来の人間らしい感情、価値観などを直視しているユーザーと思いますが、当然そういう方々は全体からみると少ないです。

また、大量生産大量消費のクルマでは納得できない人達とも言えるかな。(しかし、カーメーカーは大量生産大量消費出ないと困る)

そういう方々が満足出来るクルマは今後非常に難しいです。

まあ、カーメーカーのマーケティング部門では、もう30年以上前からわかっている事ですが。

 

ユーノスロードスターは、未だに販売されています。マツダは当然のごとく厳しい状況の中なのに、「ちょっと変わり者」の為に頑張ってくれてます。

 

ホンダは「ちょっと変わり者」ユーザーには厳しいですね。

S660はそういう事を意識して造ったのかもしれませんが、・・若い開発責任者というビートの時代と同じ価値観で、商品にそんなに新しい価値観が工夫されていないとなると・・・、数年で予想通りディスコンとなりました。

時代の流れはある意味残酷と思います。

 

最近は藤沢武夫さんが言っていた「万物流転」という言葉をよく思い出します。

 

それでは、皆さん(「ちょっと変わり者」)とのリアルコミュニケーション! 楽しみにしています。

 

 


ホンダCRXデルソル モテギミーティング

2023-07-11 08:10:39 | 日記

皆様、コンニチワ。

すっかりブログをさぼっている間に、今年も「デルソルもてぎミーティング」が今週土曜日に開催されます。

デルソルに乗っていなくても、興味がある方は、是非参加してください。

1992年3月に発売されて、既に31年経っています。

流石に、92年から乗られているユーザーの方は少なくなっているとは思いますが、今年も数十台のデルソルが集まります。

クルマはだいた10年10万キロと当時一般的に言われていましたが、30年以上となるとこれはまさに未体験ゾーンということになります。

当日、来られるか?どうか? わかりませんが、初代CR-Xデュエットクルーザーにのられている有名な方のCR-Xは想像を超えた個体で一見の価値ありで、さらにその長いCR-Xの経験から色々と楽しい為になるお話も伺えます。

 

参加者のデルソルは、ノーマルあり改造もアリでそれぞれ個性的です。

ノーマルといえども、30年程経っているクルマなので、その重みから個性的オーラを発していて、私なんかは、毎度感動します。

 

実車確認のあとホールに集まっていただいて、僭越ですが私がデルソルやホンダや自動車産業のことなどをお話させていただきます。

フェイクニュースが氾濫している昨今ですが、自動車に関するニュースもPVかせぎを目的としたものが多く氾濫している状況です。

そんな中で、対面リアル話でのコミュニケーションは大切と思いまして、毎回話させていただいてます。

この際、普段疑問に思っている事や不信に思っていること等、その場で質問していただければとも思います。

 

それでは、今週の土曜日、皆さんとのコミュニケーション! 楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「漫然運転」と「事故ゼロ」

2022-09-26 11:51:43 | 日記

日頃、思っている事を書き並べたら長くなってしまいました。

 

ホントの事故原因はなんだろう???

お店にクルマが突っ込んだり、道路を逆走したり、多くは高齢者ドライバーのようですが、高齢のせいにするのは本質ではないような気がして、考えてみました。

 

 

アイサイト、オートライト・・・・ひいてはATまで。

「ドライバーの負担を減らして、その分他の安全向上にドライバーは注目する。」

そう言う考え方で装備される技術が多くなってきた。

多分、事故ゼロの自動運転を目指しての途中経過の技術をオプションや標準装備で搭載しているのだろう。

そんな中、偏見も含まれるが高齢者の事故の報道が増えている。

 

この考え方で、ドライバーの負担が減った分、本当にドライバーは他の安全向上に注目しているのか???

 

アイサイトは実際の統計データで、アメリカ市場での事故死亡率は約50%、事故死亡率の低い日本市場でも、死亡率は約10%低い数値を持っていると発表された。

さらに、アイサイトの有無により、人身事故が約61%減、追突事故84%減と、自動化安全技術の証明と、SUBARU Lab所長の柴田氏は語っている。

少し意地悪?かもしれないが、アイサイトで安心して事故を起こしてしまったケースは無いか?ごくわずかか? わからない。

 

 

いずれにしても、最大の課題は、

「ドライバーの負担が減った分、本当にドライバーは他の安全向上に注目しているのか???」

ドライバーの負担軽減装備が、本当にどの程度ドライバーの安全運転に寄与しているのか??? 高齢者ドライバーも含めて。

また、「ドライバーの負担が減った分、特に操作系で返ってドライバーの頭の中で混乱したり、注意散漫になっていないか???

 

日本人を想定すると、ホントはドライバーの負担が減ると、その分「不注意」になっているのではないか???

つまり、私が注目する「漫然暗転」につながっていないか???

カーメーカーが安全の為によかれ、お客さんに買ってもらうために良かれと思って設計し装備している事が、本当に安全性向上に寄与しているのか???という疑問だ。

 

有名になったプリウスのシフトレバーは、操作が簡単で、未来感があってユーザーにアピールするかも知れないが、ユーザーの操作心理まで考えると安全性が高いと言えるのだろうか???

 

操作系の変更には慣れというか習熟が必要なのではないか???

高齢者の事故が目立って報道されるが、高齢者の場合操作系の変更に対する習熟には時間がかかるだろう。

操作しやすいはずのものが、頭の中では整理されず混乱してしまっているとは考えられないか???

また、操作が簡単になると「漫然運転」につながらないか???

 

 

自動車の運転には命がかかっている。つまり、人がドライバーの限り、厳重な注意の上に行われなければならない。

そう言う意味では、全部を信号機のない交差点にした方が、かえって事故率が低くなるのではないか??? (クルマの流れは悪くなる。)と想像する。

つまり、よりドライバーが注意するから。

 

こう考えると、今のクルマはスマートキーで、ワンプッシュでエンジンがかかりレバーやボタンでギヤがはいり、スタートしてしまう。

他の事考えながらでも、クルマは簡単にストレスなく動く。

 

つまり、安全運転とはドライバーが良い意味のだろう運転(「かもしれない運転」というそうだが、一般化していないので。)をすべきで、これから起こる先を頭で予測する、つまりいつも運転に集中し考えることが大切で、ドライバーを楽な状態にすることが安全運転につながるのか???という疑問だ。

 

「人は本能として、楽な方に流される」

 

ドライバーの運転負担を楽な方にすればするほど「漫然運転」につながっていかないか???

「ヘッドライトを薄暗くなってもつけないドライバーが多くて事故につながるから(薄暮時の事故率は高いらしい)、オートライトにすれば事故は減る。」という考え方。

なるほどオートライトにすれば薄暮時の事故率は低くなるかもしれない。

しかし、その分「漫然運転」につながるのでは??? 

 

道路の状況などで、対向車にLEDの眩しい光で幻惑を与えていても、我関せずで走り抜ける。

実は、LEDライトも明るいので安全の為に良いと言われているが、ホントにあそこまで明るさは必要なのか?

暗い道でのヘッドライトの光量不足での事故と対向車に幻惑されて起こる事故とどちらがどうなのかという問題だ。

(お役所の方々には机上で、今の面前の状況だけで考えるのでなく、三現主義で実際のところを知って、つまりマーケティングして法制化してほしい。)

 

薄暮時の事故率を低くするには、解決策はオートライトでなく、「薄ぐらくなりそう、点灯しなきゃ」とドライバーに認識させることを考えることではないか???

認識するためには、常時緊張して注意深く運転しなければならない。ドライバーは疲れるのだ、いや疲れなきゃオカシイ。

 

勿論、人間のいい加減な判断に頼っているから事故がおきるのだ。

よって、全てITなりなんなりが人のいい加減な判断をしないように、代行してくれればいい。

つまり、完全自動運転になれば、ITのバグやフリーズがない限り、事故は起きないだろう。

(ちなみに、IT関係はフリーズしたりするのは当たり前で、ユーザーはそれを前提にして利用しろと造り手は言っている。バックアップを取れと。しかしクルマに対してはそんな話しでいいのか? これからもずっと少なくともIT関係の設計者はフリーズは当たり前と思って設計していくのだろう。 つまり、フリーズしたりすることは無くならない。これを解決するには、カーメーカーのような安全をよく考えてきたメーカーの設計の考え方を共有することだと思う。)

 

ドライバーを楽にする目的で、車両販売が目的で、さらに事故を減らす目的で装着される装備は、相反してよりドライバーを「漫然運転」に向けていくのではないか???という疑問をかんじているのだ。

 

自動運転なんてまだまだ遠い先の技術だ。

安全運転の為には、まだまだドライバーの完璧な注意が必要なのだ。

その為には、人の命を預かる運転をするのだという自覚が必要なのだ。

ある意味、覚悟を持って運転するドライバーでないと運転してはダメなのだ。

 

そう言う意味では、運転免許証の与え方にも大きな課題がある。

経済事情からみると、馬鹿でもチョンでも運転出来ないと収入が途絶えたり経済が回らなくなる。

これはこれで大切なことだ。(それを技術で救いたと考える事も大切だ。)

だが、自動車の事故という観点では、「馬鹿でもチョンでも運転」では困る。

よって、運転免許証というのがあるのだが、これがザル過ぎるのではないかと思う。

 

まず、「運転スキル」。

たとえ教習所を満点で卒業して運転免許証を持っても、その多くは公道ですぐに流れに乗って運転できないという現実がある。

だから初心者マークがあるというのは何となくわかるが、これはよく考えるとおかしな制度だ。

初心者マーク(一年)の間でも事故はこまるので、トロトロ走ったりいきなり急ブレーキを踏むから周りのドライバーにそれらを許してやってくれという印ということなのか?

公道で事故につながりかねない運転をしながらでも運転させて、運転が上手くなっていくことを期待しているのだろうが。

 

それは程度モノだが、運転免許証を与えるハードルが低すぎるということを意味していないか???

ハードルを上げることは、お役所が大変で自分自身の苦労につながるので避けたいだろうが、そこを考えるのが役所の仕事ではないか???

(役所は仕事を取り違えていないか???)

 

雨の日のカーブでは滑るので速度を落とせというが、どこまで落としていいかドライバーはわからない。

先のクルマがこの速度で走ったから自分も大丈夫かと思って突っ込んだら滑った。ということも多いはずだ。

バランスの取れた乗用車と、硬いタイヤをつけて荷物をのせているクルマ、また重心高の高いクルマとでは、自ずと安全に走行できる速度は変わる。

バランスの取れた乗用車でも、ドライバーが想定するより少し高い速度で突っ込んだり前のクルマのブレーキランプがついたりして、慌てなくていいのに慌ててブレーキを踏むというスキルの低さでは事故は防げない。

 

たとえ教習所で運転スキルをもっと高いレベルで教えて卒業させても、日本の公道では特に法規だけでなくマナーが必要だが、

そういう「運転意識、運転マナー」はどうするのか???

つまり、安全運転にはスキルはまず必要だが、それだけではダメでマナーや運転者の自覚が必要なのだ。

 

ドアミラーに斜め後ろからクルマが来ている場合は、それを知らせるマークが出るクルマがある。

確かについうっかりを防ぐには、有効だと思う。

しかし、それに頼ってミラーを見ないでそのマークの注意喚起だけで運転するとどうなるか???

勿論、カーメーカーはいざという時を考えて責任逃れはしている。

 

車線を読み取ったり自動でハンドリングしてくれるものも一般化してきたが、最後はまだハンドリングはドライバー責任になっている。

ドライバー責任と言っても、毎回毎回自動でハンドリングしてくれれば、ドライバーは人間なので責任を忘れてしまう。

そんなときに、何かの原因で自動でハンドリングしなくなるとクルマは突っ込む。

ドライバー責任をうたう限りそれが「漫然運転」につながってはダメなのだ。

 

 

自動運転に関しては途中の中途半端な技術、未完成の技術は、「漫然運転」につながるのではないか???

(ラジオ~白黒テレビ~カラーテレビ~ハイビジョン~4K,8K。この進化は途中の技術でもそれぞれの段階で楽しめたが。)

 

 

事故を無くすには、途中の技術をドライバーに与えるより、「ついうっかり」を無くす方向の技術開発に向かう事だと思う。

つまり、人の命を預かるクルマの運転は、メンドウで疲れるものの方が、事故は少なくなるのではないか。

 

もう一つ。

最近のクルマのブレーキはチョイ踏みですごくよく効く。

となると、少し心にすきが出て、早く走ったり、ブレーキ操作が遅れる、またギリギリまで踏まなくても大丈夫となる。

それだと、少しブレーキの効かないクルマに乗り換えたら事故を起こしてしまう。

(レーサーはエンジンやシャシーが良くてもブレーキが効かないと速く走れない。)

 

私は、あえてブレーキの効かないクルマに乗っていたことがある。

その時は、良い意味のだろう運転で早め早めのブレーキになる。

(だろう運転とかもしれない運転という?異なる言葉が二つ並ぶと一般的に理解しにくい。どちらも想像運転自体は肯定している。役所の机上の資料的にはスッキリとするが。)

急な飛び出しがあっては困るので、そういうような道路ではスピードを控えクルマのブレーキの効く範囲での速度で走ることになる。

それでも、急な飛び出しは予見しきれないので、非常に慎重な運転になる。

後続のクルマにはマナー的に迷惑なことだが、事故は起こさない。

 

ブレーキが効きすぎるのも、事故という観点からは良し悪しかもしれないと言いたい。

 

役所が表面的な調査結果で対策を机上で検討し、話が通っていれば問題ないという人達の数を背景に、法制化することはやめて欲しい。

またカーメーカーも「安全が一番」というが、クルマの進化方向は「お客さんに購入してもらえる方向」に、また「責任逃れの方向」にずれていないだろうか???

 

事故を起こしにくい運転と新技術の在り方を考えていきたい。

                               

 

 

 

 

 


クラウンのブランドは再構築できるか?

2022-08-23 14:42:12 | 日記

新しいクラウンが、7月15日にワールドプレミアされた。

 

しかし、四つも箱を並べて「全てクラウンです」と言われて少し困った。

どれ一つとっても「これがクラウンか」?と思っている中で、さらに全てクラウンと言われた。

クラウンって聞いてどれを思い浮かべれば良いのか? どれも高性能だと感じた一方でどこにでもありそうな今風デザインのクルマに見えた。 「これがクラウン」という独自性、個性を感じなかった。

 

クラウンは1955年発売から今年で67年。長きに渡って素晴らしい事と思うが、バブル以降はその販売台数は右肩下がりに入っていた。

鶏と玉子の話のようだが、クラウンはクラウンユーザーをターゲットにして、延々と何代にもわたって「いつかはクラウン」というコピーがピッタリな上級車というほぼ同じコンセプトのクラウンを造ってきたが、ここ10年程は色んなクラウンを造ってクラウンブランドがわかりにくくなっていたと思う。

 ※日本経済新聞より

 

バブル崩壊で市場が変化し、それまでのクラウンユーザーは段々と少なくなっていった中で、トヨタはクラウンの将来のユーザーを定めきれず、いつまでもクラウンブランドを続けていくことにトヨタ自身が疑問を持ち始め、ハッキリ言って困っていたと思われる。

色々とやったが、中々新しいクラウンの生きていく道筋が見通せず、気持ちは焦るがどうしたら良いかわからないまま時間が過ぎていたようだ。

 

その間一番大きな変化は、販売台数という役目を背負っていたのか?クラウンユーザーを絞るのでなく、ユーザーの多様化ととらえ、多箱化したことだ。つまり色んなクラウンを造り始めた。

一箱ではクラウンの販売台数はクラウンブランドを維持できるほどにならないと考えた上でのことだろうが、クラウンという名前の下に多箱化したのだ。

かつての何でもかんでもカローラという名前がついてたことを思い出す。

 

商品には、クラウン伝統の何かが入っているというよりも、新装備新技術満載でそのデザインも今風というだけで個性がなく、大きな他車との差別化もない。

それで、お利口なクルマ=クラウンとして選ぶユーザーもいるだろうが、こうなるとユーザーにとってクラウンである必要はなく殆どのユーザーは他車も含めて選ぶようになる。

 

クラウンブランドを再構築するためには、お利口なクルマを揃えてどれもクラウンですでは、そのブランドがぼけてユーザーに刺さらない。

 

一箱で、理解しやすいコンセプトで強くしたクラウンブランドを創りユーザーに刺さないとユーザーの頭の中にクラウンブランドは再構築できない。

つまり、販売台数のような商売に直結する事も大切だが、それよりもユーザーの気持ちの中に「上級車と言えばクラウン」と思い起こせるような取り組み=ブランディングが大切なのだ。

勿論レクサスと棲み分けして。

 

トヨタのクラウンの企画部門がやるべきことは、社内の都合や事情に振り回されることでなく、社長に忖度することなく、ユーザーと世の中、周りの状況を真正面にみて分析創造し、クラウンの居場所はここだ! と定める事にある。社長はそれを認めればいいだけだ。

こんな状態では、本当にクラウンブランドは無くなってしまうだろう。

 

 


自動車メーカーやお役所が苦手なマーケティング

2022-07-19 09:52:11 | 日記

自動車は戦後の日本の基幹産業と言われ、需要も高度成長とともに大きく膨らみ、それに応えるべくメーカーはハードを一生懸命造った。

しかし当初はそのハードも失敗の連続だったと聞いている。

 

クルマのボディがモノコック構造になって長いが当初は、ボディのフロアー部分、横側部分、天井とバラバラに鉄板プレスで作って、組み上げ溶接して所謂ホワイトボディとなるのだが、ご想像とおり、これらが無理矢理でも溶接してしまえる範囲でなく、大幅に20mmとか30mmとかズレるのだ。

こういう初歩的なことをクリヤーしていき、今度は軽量化とか省力化などの一段進んだことがテーマになり、鉄板を薄くしたり、簡単な工数で作れるようにしたり、様々工夫を続けた。

テーマは一つクリヤーしたらまた次と絶え間なく、開発者をいじめているのではないかと思う位、次々と発生していた。

 

しかし、今ではイニシャルクオリティーだけでなく、20万キロ30万キロ、20年30年乗れるのはは当たり前といえる位に耐久品質は向上し、同様に操作性や衝突安全性・・・クルマのハードはトータルで大変進化した。

 

 

一方、究極の自動運転は騒がれているが、まだまだ時間はかかるだろう。クルマのハードだけではどうしようもない領域がありそれをクリヤーしなければならない。

 

ペダル踏み間違いで暴走したり、駐車場から飛び降りたり路面店に突っ込んだり、まるで映画のシーンのようなことが現実的に起こっている。

操作関係のハードがそれほど進化していないときは、あまりこういうニュースは無かったように思う。

 

中途半端なハード進化(自動化)が引き金になっているように思えてならない。

MT→AT、自動ハンドブレーキ、ABS,TCS,・・・。

昔はターンライトさえ自動で戻らなかった。

ちょっとだけの自動化技術は、確かに人に頼った操作を減らし運転に集中できる様に、またストレスを感じにくく楽に運転できるようになってきたが、それがかえってドライバーの運転に対する注意力を下げてしまっているのではないか?

つまり、安易に電子レンジのスイッチを押す感覚で運転してしまっているのではないか?

 

オートライト機能が義務化されたが、これはいったいどういうことなのか???

 

点灯タイミングが良くない、つまり暗くなってきても中々点灯しないクルマの事故率が高いというのが主な理由??でお役所が決めたのか?

 

ライト自動化で良くないのは、習慣的にドライバーがライトスイッチに触れることが無くなってしまう事だ。

それはドライバーの運転に対する注意力を下げてしまうことは勿論、対向車への細かい配慮(マナー)も排除しがちになってしまう。

 

日本の道路は狭く、またそこを通行するのに人、自転車など混合している。

ヘッドライトには走行ビーム(ハイビーム)、スレ違いビーム(ロービーム)とあり、車両は通常走行時には走行ビームで走る事となっている。これを話題性としてモータージャーナリストの方々が取り上げ、なるべく走行ビームで走るべきと発信されている。

狭い日本では言い過ぎではないか? 

「時と場合によってきめ細かくヘッドライトスイッチを切り替えることが大切」なのではないか。

現実の走行を考えると、地方の明かりの少ない道路や山道などでは、確かにLEDの明るいライトでさらに走行ビームで走ることが安全運転につながるが、それでもたまに反対車線にクルマが来るときはすれ違いビームにしなければ、相手のドライバーを幻惑してしまう。特に、最近のLEDライトではたまらんでしょう。

 

街中の狭い一車線の混合交通の道路では走行ビームで走ることは反対車線のドライバーを幻惑し、事故につながってしまう。

すれ違いビームでも、反対車線のドライバーを幻惑してしまう場合が街中走行には多くある。

例えば、踏切などは線路がカーブなどで一段とたかくなっているとこがある。

クルマが、線路の手前で停止するとき、また超える時には、反対車線のドライバーをすれ違いビームでさえ、幻惑してしまう。踏切だけでなく道路のアップダウンもそうだ。

 

大切な事は、走行中にはきめ細かくヘッドライトスイッチに触れなければならない機会があるということ。

(法律でなくマナーとして。法律だけでマナーが無視されていては、交通社会はなりたたない。)

 

オートライトが標準になればドライバーは状況にかかわらず、つまりボケっとしていて相手ドライバーのことなど考えるにも及ばずとなってしまいがちになるのではないか?

ライトの操作スイッチくらい自分の意思で入れるようにしないと、それがひいては安易に気配りや注意(マナー)無しの運転になってしまうのではないか?

 

ユーザーは、グレードの高い車種、またオプションで選ぶような装備が最初から標準でついてくると考え、ウェルカムと思っているかもしれないが、ホントにそう考えて良いのか?

企業努力という言葉でカーメーカーが飲み込めるほど、自動車は儲かる商売でなくなっている。

必ずコストはその分上がっており、売値反映をするしかない。つまり、ユーザーの負担がこうやって増えていく。

ただ、カーメーカーは見かけの商品力が上がるので歓迎だろう。長い目でみるとクルマの価格が上がるということは購入の壁の一つになり自分達にかえってくる。

 

 

80年代後半あたりから、カーメーカーは、ユーザーにとって魅力的な商品創り、さらに企業側の収益にとっても魅力的な商品を創らなくてはならず、開発者の勘と経験、さらに経営者の素人判断では危ういという事で、マーケティング活動を強化してきた。

しかし、その時代はマーケティングを理解していない社長や営業の親分などがまだまだ多くいたので、またマーケティングは収益に直接つながらないので、ジレンマも多かった。

 

今回のオートライトの話題は、お役所もキチンとしたマーケティング無しに、自分達の都合で考え法令化されているように思えるが、カーメーカーもまたキチンとしたマーケティングをしていないのか?お役所には逆らえないのか?

オートライトがユーザーや自動車社会の為にならないことは、キチンとマーケティングすればわかることです。

 

また、マーケティングは自分達の為にだけ仕事する役所への救済策として一番効果があると考えています。

カーメーカーもお役所もユーザーファーストをうたうなら、キチンとしたマーケティング無しには達成できないと考えます。