クルマの運転は、法律だけを守っていれば良いのではないと思います。
「運転マナー」も大切です。
というか、運転マナーこそ意識しておきたいと思うのです。
つまり、クルマの運転は運転者同士〜歩行者などとのコミュニケーションなしには成立せず、つまり他人への思いやり、他人のことを考えられるということが大切になるのです。独りよがりの運転は困りますし、事故に繋がります。
これが、昭和、平成、令和と長く生きてきている私からすれば、平成のITが本格進化した2000年あたりから、自分本位の意識の人が多くなったように思います。
つまり「権利と義務」でいうと権利の方を強く主張する人が増えてきていて、そういう感覚が運転マナーにつながっているのでは???
と、私の主張です。(笑)
となると、これは運転マナーだけの問題でなく、友達関係や職場での上下左右関係、近所関係・・・全てに影響しているのではと考えると、・・・多くの辻褄があいます。
さて、今回のテーマは、夜間運転における交差点や踏切、坂道でのライト消灯です。
交差点で赤信号の場合、昭和のドライバーはほぼライトを消してスモールランプにしていました。
理由は、「クルマが停車してアイドリングの時に、ライトのような大電量を使うとバッテリー上がりの心配がある」ということでした。
つまり、当時のクルマは充放電バランスが良くなくて、またバッテリー性能も良くなかったということで、とにかく「電気をあまり使わない」ように・・という考えです。
その後、クルマの充放電バランスの性能も上がり、バッテリー性能も上がり、いちいち交差点でライトを消さなくても大丈夫と言われるようになり、また返って点灯消灯を繰り返すとヘッドライトバルブ(電球)が切れやすくなるというような風潮もあり、多くのドライバーが交差点などで消灯しなくなりました。
消灯しなくなった状況は、交差点だけでなく、下記の図のような坂道の場合、特に踏切などでこういう状況が多いですが、以前のドライバーは対面しているドライバーを眩惑しないように消灯しましたが、今は殆ど消灯しません。
現在のドライバーの中には、こういう場合でも点灯しっぱなしのドライバーが多いのです。
先日、消灯してくれたクルマに出会いましたが、稀です。
自分の事だけでなく相対する他のドライバーのことまで考えて、相手のドライバーが眩惑されるだろうと想像し、消灯してほしいです。
消灯しても、前が見えなくなるほど真っ暗な道はほとんどありません。
これを「ライトを点灯してなかった」と取り締まる警察もいないでしょう。
自分も眩しいので、相手も眩しいから消そうという気持ちにならないのと、ひょっとすると、法律では走行時は点灯ということになっている!!!と頑張っているのかもしれません。
法律では、夜間の走行では点灯しろとは書いてありますが相手のドライバーのことを考えて消灯しろとは書いてないですからね。
当たり前ですが・・・。
さらに、カーメーカーも商品性向上は正義とばかりに、今のヘッドライトは非常に明るくなってきています。
交差点で直進する時に、対向車が右折待ちで車体が消灯せずに右折方向に向いていたりすると、眩しくて直進方向が見にくい時があります。
ロスでは、左右は反対ですが、こういう右折待ちの時は車体を車線に並行にして待ちます。
交差点の右折方向にカーブした車線が書いてあるトコがあり、本来その手前で待てばいいのですが、ソロソロと前に出ると、これは車体を傾けて待つことになります。
また、後続車のライトが走行ビームにしているわけではないのに、眩しいときがあります。
これは、H/Lの配光つまりカットの仕方にも課題があります。
大昔のシールドビームのころから左側通行では、歩行者確認の為?左側がよく見えるように配光しています。
この配向のまま今の明るいヘッドライトですから、二車線道路で左側を走っていると右側の車線を通り過ぎるクルマのH/Lが眩しく「煽られている」感覚になります。
D/Nミラーをナイト側に調整すれば後続車からの眩惑には良いのですが、D/Nミラーは後続車がいなくなると真っ暗になってしまい不安になるという欠点がありますし、なんといっても後ろから走行ビームと同じように照らされるわけですから、パトカーでも来たのかな?と、煽られた感じをもってしまいます。
とにかく、今のクルマのヘッドライトは、様々な道路環境、走行環境、技術レベルを考えて・・・眩しすぎます。
ユーザーやお役所、カーメーカーは夜間には点灯しなければという法律的なことだけを守って、実際の現場で起こっていることに対処していないということになりませんかね。
「H/Lが明るけりゃ、安全ですよ」とディーラーのセールスは言うでしょうし、ユーザーもその言葉に納得するでしょう。
つまり、クルマを買ったユーザー自身はH/Lが明るくなって良かった訳で法律に違反してないし、何が悪いの?って感覚で・・・確かに、何も悪いことはありませんが。(笑)
本来は、クルマのセールスの人がH/Lは相手を眩惑させることがあるので注意しましょうと言うとか(そんな事言うと、買ってくれなくなる!?)、カーメーカーが「明るければ明るいほうが売れる」というシンプル思考でなく、あるべき照度を照らし方など考えて欲しいですね。
勿論、お役所や自工会みたいなトコでも、法律とマナーに関して、三現主義で考えて欲しいです。
こういう感じは、何か今の仕事模様/関係でも感じませんか???
話がそれますが、日本人の学校教育(明治以降の)は終始「オペレーター育成教育」だったと思います。
明治から昭和のはじめにかけては、やはり軍国主義だったので多くの従順で、死を目の前にしても逃げ出さず必ず命令を守る人材教育(教育とは言えない???)だったのでしょう。
戦後も、高度成長でやることは決まっていて(アメリカという目指す見本があり)従順な社員が欲しくて、これが続いていたようです。(見本があるということは、創造性はほとんど必要なかったと?)
「詰め込み教育」とか言われました。
つまり、創造性よりも記憶を重視した、従順性を重視した教育だったと思います。
みんなと同じということも大切でした。
制服という同じ服を着て、給食という同じものを食べ、同じ教科書で、先生は毎年同じ内容を生徒に説明し記憶テストをし、体育の時間は「前にならえ」という号令のもと「整列」することから始まりました。団体行動を大切にし本当に画一的でした。
あの頃の時代はそれでよかったのかもしれません。
つまり、自由に発想することはあまり良しとされていませんでした。
「記憶テスト」の点数の悪い人やみんなと同じことが出来ない人、枠にはまらない人は「落ちこぼれ」?などと言われました。
それゆえ、「ゆとり教育」のような発想が出ましたが、これは、それまでのオペレーション教育を肯定しながらの(大きく変えないことを前提とした)お役所的発想だったように思います。
違う角度でいうと、オペレーション教育の現場での実行を大切とせず、ハグレモノだが真のスキルを持っていて、現場、現実、現物を大切にするちょっと前の医療ドラマ「ドクターX」を観ていると納得できます。
これが大衆に受けたわけですから、大衆も現実のチグハグさが、わかっているということになると思います。
昔のホンダなどでは、三現主義で現場、現物、現実を大切にしました。
机上で考えて決めたことは、実際の場では中々実行しにくいことがあったりうまくいかないことがある。
そういう時は、机上で決めたことに反しても、現実に起こっていることに臨機応変に対応する方がアウトプットはお客さんのためになり、ひいては法の精神/趣旨にそう。
つまり、コトの本質は外さないようにしながら、臨機応変な「マナー的なこと」を大切にしました。
交通安全の世界でも、かたくなに法規をまもるだけでなく、コトの本質をわかった上で「現場での臨機応変な行動」を大切にしたいですね。
また、「現場での臨機応変な行動」を理解し許さないといけないですね。