繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

クルマは楽しいか?

2021-02-19 17:11:28 | 日記

昔は、クルマの楽しさといえばだたいブッ飛ばすことにあった。

運転免許証を取ってすぐの若者はブッ飛ばし、事故率も高かった。

「速さ」は私の自動車図鑑(自動車 解剖マニュアル (まなびのずかん) | 繁 浩太郎 |本 | 通販 | Amazon)の最後にも書いてますが、2~3歳の子供をプラスティックのおもちゃのクルマに乗せて、ゆるい坂道を下らせると、声をあげて大喜びします。それで、何回ももう一回もう一回とねだってきます。

つまり、人間の歩く速さより速く動くものに対して本能的に「楽しい」のではないでしょうか。

 

やはり、人間は本能的にスピードが好きなんでしょう。

リニアモーターカーもその速さで盛り上がります。、

しかし、20年近く前から、若者はブッ飛ばさなくなったようだし、リニアモーターカーは新幹線ができた時代より盛り上がらないように思えます。

 

どうも、もう「速さ」は、そんなに注目されることもなくなったし、勿論楽しさのコアにもならないようです。

 

クルマの新しい楽しさ基準は「速さ」ではないでしょう。

 

クルマから「速さ」という価値観を奪うのは昔だとクルマの存在そのものを否定することになりかねませんが今だとそういうことでもなさそうです。

 

だいたい、道路インフラは、ドイツのアウトバーンでも速度無制限区間は大変少なくなってきました。

200km/h程度の高速で走るクルマは少なくなってきましたし、250km/hや300km/hというさらなる高速で走りたいという人は少ないと思います。

だいたい飛ばすと、燃費が悪くなるし環境にもよくありませんし、200km/hの高速なんて、人間の操作限界かもしれません。

カーメーカーも最高速度競うようなクルマは造らなくなってきました。売れないということですね。

 

だから、昔の価値観である速度でクルマをきっても、そこからクルマの楽しさはでません。

 

今どきのクルマの楽しさってなんでしょうか???

 

私はホンダにいる時に、ずいぶんと前ですが、これからのクルマの楽しさとして、ポケベルで待ち合わせ(ホント随分と前だ)、みんなで一つのクルマに乗りワイワイと楽しみながらカラオケに行くというイメージビデオを若手社員を出演者として手作りしました。(クルマは楽しさの対象でなく楽しさの為の道具だというビデオ)

これを、偉い人達にプレゼンして時代が変わっている事を伝えようとしたのですが、「クルマは自分で運転して走るから楽しいに決まっているだろう」の一言で、せっかくの手作りビデオはお蔵入り。

 

先日テレビで旧車30年乗っている人を取材する番組があり観ました。

そのオーナー達は勿論高齢者で、クルマも古すぎるのですが、スピードでなく散歩するようにクルマを走らせて「楽しんで」います。

私が80年代の中にビートル買った理由もそれでした。

旧車は老いぼれ老人と同じで、またオーナーも高齢者で・・・というある意味特殊事情がありますが、この辺りが新しい時代のクルマの楽しさをさぐるヒントになるのではと思います。

 

今どきの若い人は、運転が下手でスピードが上がると怖がります。(タックインなんて説明すると「なんでそこまでして速く曲がらないといけないの」ときます。)

パトカーの運転手は私世代のあこがれでした。いくらスピード出しても捕まりませんしね。

しかし、今どきのパトカーの運転手は高速で追っかけて捕まえるのが怖いというのを聞いたことがあります。

また、今どきの若い人は、コンプライアンス遵守意識も高く、公道の最高速度表示は本当に最高速度ととらえています。

よって若い人は制限速度以下で走ります。私の若い時とは全く異なります。

 

私の時代はA地点からB地点までどれだけ速くいったかが価値観となり友達に自慢しましたが、今は「そんなの意味ないじゃん」で終わってしまいます。

 

ただ、そういう人達も適度なスピードで風をきって走るクルマに爽快感を感じています。

 

今のクルマは高速まで快適に走れることを目標に造ってきましたが、結果「走り感」をなくしてきたように思います。

 

より低速で「走り感」を具現化すれば、クルマのスピード化に価値観の無い今どきの若い人たちにも「クルマは楽しい」といってもらえるかもしれません。

今どきの若い人の中でも旧車に興味を持つ人が増えてきているのは一つの価値観の兆候であるかもしれません。

 

昭和から平成の時代はスピード化の価値観から燃費の価値観に変わった時代でしたが、それらをふまえて今後令和は「ロースピードの時代」がきているのではと思っています。

 

多くのモータージャーナリストの方々がEVの走りを旧来の価値観で評論されているのをみて、なぜもっと新しい今後の社会の価値観でみれないのかな?と思います。

たとえばEV単体の商品力が上がって人々が買い始め多数になったら、日本の発電はこまり、さらにCO2も。

そんな日本でなんでEVなんだ? 多くのユーザーの人達はそう思っているでしょう。

 

EVはハードの評価だけでは語りつくせません。

そこにカーメーカーの事情や都合、さらに国が重なると複雑になってきます。

 

それらをモータージャーナリストは解きほぐして、ユーザーに示すことが大切なのかもしれません。

 

その評価でカーメーカーもクルマの新しい楽しさに気づき、それに対応したハードを造るようになると次世代の楽しいカーライフが始まると思います。

 

 

 


私のホンダ記録 Vol.2

2021-02-05 16:34:44 | 日記

前回のバラードの部品設計が終わって、二代目アコードのインパネチームに配属になりエアコンの吹出口となるアウトレット、インパネ本体前面から幅広くゆるくエアコンの風を出すための薄っぺらいエアーダクト、インパネアンダーカバーなどを担当した

図-1 エアコンの吹出口となるアウトレットと薄く幅広いアウトレット

 

入社後一年足らずだったが、多くの部品を任された。当時ホンダは急成長の真っ只中で人が足らなかったのだ。中途採用なら入社後一ヶ月も経てばベテランと言われた。

和光研究所の設計室は講堂のような広い場所にドラフターがズラッと並ぶという見たことのない景色だったが、そのドラフターの林の中を他の設計者との調整のために私は走り回っていた。

いわゆるホンダ独特の「ワンフロアー」だ。これは本田最高顧問の考えで「上下フロアーを階段やエレベーターで移動となると、どうしても億劫になり、コミュニケーション不足なりやすい。」という理由だった。

実際ワンフロアーは室課をまたいで見通せるので腰が軽くなった。

なぜ、そんなに調整が必要になるかといえば、ホンダは平行開発組織だったのだ。

エンジンや開発に時間のかかるものを除いて、ほぼ全ての部品の設計(作図)が同時スタートなのだ。普通は順を追って設計すると思うのだが。

設計者同士の調整不足のまま図面を描いてしまうと部品同士が干渉したり組み付かなかったりしてしまう。そうなった時は、すぐに設変して部品を造り直す。「走りながら考えろ」とよく言われた。全く慌ただしい設計室だった。

時代的にも高度成長期で「世はスピード時代」とも言われて、今とはスピード感が全く異なる。

 

さて、私の担当のアウトレットは、フィンを挟んだ風向調整つまみがあるデザインだ。

フィンはプラスチック製で薄いので、つまみを上下さすとグニャグニャする。また、左右方向の操作はカシャカシャとなり調整しにくい。

当時のアウトレットの主流はフィンとケースが一体になっていてケースごと動かして風向を変える通称「グリグリ」というものが多かった。

図2 グリグリ(フィンとケースが一体で風向調整はケースを動かす)

図3 フィン独立形式(風向調整はフィンだけが動く。ケースは固定。)

 

グリグリ式にしてくれないかと、デザイン担当に頼みに行ったら、「このインパネは平等院の鳳凰堂をイメージしている。繊細でありながら質感の高いものでないといけない。・・・」

とひとしきり講釈(デザインへの思い入れ)を聞かされて渋々設計室に戻った。

悩んだ時の基本は、「他車はどうしてる?」。

本などで色々と探すとなんとBMWの5シリーズのアウトレットとほぼ同じデザインじゃないか! 

デザイナーもなんだかんだと言っても真似てるじゃないか。

その構造を見るために実車を探しあて、つまみを操作してみると、至極しっかりとしていた。なんとフィンがダイキャスト(金属)製だったのだ。そりゃしっかりしているはずだ。しかし、当然プラスチック製よりコストは大幅高になる。

BMW5シリーズと当時の二代目アコードでは価格が違いすぎる。どう考えても、フィンをプラスチック製からダイキャスト製には出来ない。

困っていたら、泣きっ面に蜂のように、社長が急にきて試作車に乗ったらしく、その際に「このアウトレットのシャカシャカはなんだ! もっと水飴のようにネットリと動かないものか」と左脳系の設計者にはわかりにくい指摘をしたのだ。

何いってんだ、「コストを考えたからプラスチック製のフィンにしていて、同じプラスチック製のつまみではシャカシャカとなるのは当たり前」そんなこともわからんのかと頭にきた。

しかし、先輩は「社長はあるべき姿を言っていて、それに向かって努力するのが我々でしょ、どれ位考えたの?」など言われたが、とにかくもっと考えろという事だった。

その時から、「水飴フィーリング」という言葉に悩ませ続けられた。

悩むと悪知恵が働いた。

コストで出来ないフィンのダイキャスト化を、社長指摘の水飴フィーリングと一緒に解決できたら、コストアップもゆるされるかもしれない。

フィンがダイキャストになってしっかりするとそれにつまみがしっかりと食いつけばいい。

ただ食いつくのでなく、旋盤のベッドと往復台の合わせのように三角で合わせればうまくいくかもしれない。

図4 旋盤のベッド移動構造(3角面で受ける)

 

 

これは意外とうまくいって、この構造でパテントも生まれて始めてとった。

社長と役員が最終的に評価するクルマにこの構造のアウトレットを取り付けた。

ただ、その構造だけではイマイチだったので、設計仕様にはないが、ちょっとだけネットリする鼻薬をつけた。最高の水飴フィーリングになった。評価結果は勿論OKだった。

まぁ、評価員を騙したことになるが。

しかし上司は「騙したことにならない」「こういう水飴フィーリングと定めたこと、今後日々考えて近づいていきますということで、それを評価してくれたのだ。」と。

やらずにギブアップするのでなく、あるべき姿を造ってそれに向かって考え続けるコトが大切なのだという事を教わった。

 

インパネの薄っぺらいエアーダクトの設計課題は、ブロー成形でいかに薄っぺらい形に成形できるかというものだった。

ご存知のようにブロー成形は風船を金型内で膨らますような成形方法なので、まん丸だと均一の肉厚で出来るが、一部分尖っていたり凹凸形状があると部分的に肉薄や肉厚になってしまい、全部をカバーする材料費と成形時間がかかりコストが高くなる。

その薄いダクトは厄介なものだった。

そこで、次に設計する人が、困らないように「ブローダクト設計マニアル」というのを作った。

ちなみに、新卒で入った会社では、「標準化」といって、「誰でも出来る事が大切」と徹底して教育されていた、マニアル化は大切な仕事だった。

そのマニアルを誇らしげに上司のとこに持っていったら、上司からは「設計マニアル作ってどうするの」と言われた。

「アレ?」。

「マニアルを造るとそれを見て設計するから考えなくなるし、それ以上のものが出来なくなる。自分なりによく考え、前の人より良いものを造ることが大切なのだ。」「人間は自由で創造の生き物だ、なんでマニアル作って枠にはめるのだ。」と言われた。

ついでに言うと、ホンダでは転属の場合などでも殆ど引継ぎはしない。同じ理由からだ。

ホンダの人間尊重の理念は、福利厚生や労働環境が良いという事もあったが、各自の立場で自由闊達に創造性を発揮できるという意味でも使う人間尊重だったのだ。

とにかく、商品第一で所員は創造性を発揮する事に集中できた。

 

本田宗一郎の良い(勝ち抜く)商品を造るために創造性を大切にする気持ちと藤沢武夫が考え抜いた開発部門独立組織の形が両輪となって、その後のホンダブランドを形成する商品につながっていったと思う。

 

 

 


私のホンダ記録 Vol.1

2021-02-05 15:55:30 | 日記

私は、79年の5月連休明けにホンダの四輪開発部門に中途入社し、その後ありがたいことに開発一筋で定年まで勤めた。

ホンダでの仕事生活はチョット宗教的?とも言える魅力があり、出来るだけ長く働きたいと若い頃から思っていたので、途中、良い条件でのいわゆる「引き抜き」もあったりしたが断った。

宗教的とも言える魅力とは、会社というより集まる者を受け入れる集団みたいな組織で、みんな平等に尊重され、個人はモノづくりに一直線になれる、またその結果個人の生き方も有意義なものになるという、なんともうまく言えないが魅力的なホンダだったのだ。

会社では、噂や愚痴など言ってもしょうがないことを言う人は少なく、たとえ誰かが言い始めてもすぐに今度のあの構造は・・と今後のクルマの話にすり替わった。

当然、会社帰りの「新橋でチョット一杯」は無かった。

飲み会や慰安旅行は結構あって、その時は爆発して飲みまくった。(ちなみに私は45歳まで飲めなかった。)

ホンダは本田宗一郎というカリスマがいてその魅力などを語った本は多く出版されているが、研究所として開発部門が独立している組織は普通の会社とは大きく異なる稀有なもので、外からはわかりにくいのではないかと思う。

そこで、今回から「私のホンダ記録」と題して、私の記憶からエピソードを中心にして書くことにより、当時のホンダブランドの一角を成す四輪研究所の魅力を少しでも皆さんに伝えたいと思い、書き始めることにした。

 

今回は一回目なので、ホンダに入社して間もない頃のエピソードから始めたい。

入社後、私の場合は一週間の朝霞研究所での座学研修の後、一か月狭山工場で工場実習をした。(時期によっては、半年など様々だったらしい)

実習といっても完璧な現場要員で初代アコードのインパネの小組ラインについた。

私はテキパキ出来る方と思っていたが、これが煽られっぱなしで正直少々参ったのを覚えている。ラインではハーネスの束をインパネの裏側に力づくで組み付けるのだが、軍手をしていても手が腫れるほど大変な作業だった。

勿論、トイレタイムは決まっていて、その時間以外はラインから離れられない。万一のトイレのときは、手を上げて班長さんに変わってもらう。ある時、お腹を壊していてトイレに何回も行き班長さんにこっぴどく怒られた。健康管理も仕事のうちだと教わった

やっと実習期間が終わって、最後の日に班長さんにお茶に誘われた。その時、班長さんは日々組み付け作業で苦労しているラインの作業者を見ているわけだから、「研究所に帰って設計するなら、もっと組み付けやすい構造を考えろ」と言われるものと思っていたが、「研究所へ帰ったら良い商品開発してください。」という激励だった。

私が出会ったいわゆる「ホンダマン」の最初の人だった。

ホンダには、自分の立場からだけで考えて話すのでなく、「自分が社長の立場」であるかの如く、高所からの視点で考え話をする人が多くいた。

また、トイレ掃除のオジサンまで「このクルマのここは使いにくいおまえさん設計なら直したほうがいいよ」と言ってくれるのだ。

これには大変ビックリして、後にホンダ体質の一角を表現することばとして「全員社長」と名付け、多くの後援会で使わせてもらった。

 

その後、研究所のインパネの開発部門に配属になり、いきなりバラードというクルマのコインポケットの設計を任された。

コインポケットは、「コストなどの関係で蓋は設けないが、クルマの走りだしの加速時にもコインが室内へ飛び出さないようにする」というものだった。

 

図-1 バラードのコインポケット

一応インパネ全体がドライバーの視線や操作を考慮して、斜め上に傾いていたので、そのままでもコインは飛び出さないかと思っていたら「こんな傾きだけではコインは飛び出すよ」と完成車テスト室の先輩に言われ、「手前にこれくらいの土手を付ければ」と中々いいアイデアだろうと言わんばかりの今でいうドヤ顔で言われた。

テストが役目の人も、テスト結果を出すだけでなく、勿論構造まで理解していて、良いものにするため設計者と議論するという、100%縦割りの無い全員社長の「文鎮組織」だった。

 

「文鎮組織」は開発者間の自由闊達で建設的な議論をするのに適していた。相手が先輩や年上の人でも、丁寧な言葉で尊重しつつ(たが)、技術に関しては対等でトコトン議論した。

土手をつけるアイデアは良かったが、金型コストが上がるので、恐る恐る上司にコスト上がりますけど・・と相談にいったら。

「いいんじゃない」と簡単に言われ、ちょっと拍子抜けした。新卒で入社した小さい会社では、コストを叩き込まれていたのだ。

逆に「ここに土手付けられるの? 成型できるの?」と。

このころのホンダは開発機種の激増で、中途採用を多くとっていて、半分位は中途採用だった。新卒でホンダに入った先輩上司はプラスチック成型の知識もあまりないまま設計していた。

それゆえ、とても成型出来ない部品図面も多くあったが、そういう時は「部品メーカーさんから言ってきてくれるから」という至極簡単な話で終わった。

 

コインポケットの図面が終わったら、すぐにコラムカバーに移った。

コインポケットはデザイナーがそんなに関わらず、設計のデザインセンスでよかったのだが、コラムカバーになるとデザイナーが出てくる。

集中スイッチのレバーの出口や全体の面の流れなどをデザインする。

私は、コラムカバーと中に入る集中スイッチやインパネとのあわせ方などを考えて図面を描いた。

 

当時、デザイン関連はデザイナーが面の具合や全体の雰囲気を、木型でチェックする「木型承認」というのがあって、部品メーカーさんの関連会社の木型屋さんが、コラムカバーの面や見切りなど図面を忠実に再現した木型を作って、それに合わせてプラスチック成型の金型を作るという段取りが一般的だった。コラムカバーは上面と下面でステアリングシャフトと集中スイッチを挟んで組み付けるので木型は二つになる。

図-2 コラムカバー上下

 

大先輩のデザイナーがコラムカバーの木型をそのスマートな手の平で撫でまくり、「ここは1/100mmかな、いや6/1000かな」などと、木型修正をひとしきり依頼する。

私は、コラムカバーの上面なんて、ハンドルとメーターの間でほとんどユーザーに見えないのに・・、と思いつつ大先輩の言うことなので、一応黙って横で聞いていた。

それで、やっと上側が終わりこれで終わりかと思っていたら「下側も見せて」とその大先輩のデザイナーが言った。

そこで、私は耐え切れずその大先輩上司に「Mさん、コラムカバーの下面のデザインなんて見る人いませんよ、だいたいのぞき込まなきゃ見えないじゃないですか」と言ってしまった。

Mさんの表情はみるみる変わって、ヤバイ雰囲気に感じたが、ちょっと間をおいてから優しく「人の見えるところだけデザインするのは合理的だが、合理でモノづくりしてはダメだ。それを続けていると気が付かないうちにどこか良くないところができてしまう。モノづくりは、見えないところまでも完璧にしないとダメなんだ。それがホンダだ。」と言われた。

この大先輩がホンダマン2号となった。

B2C商品には「エモーショナルな価値」「造り手の気持ち」が大切でそれが「ユーザーに伝わるもの」だということを教えてもらったのだ。

この言葉が、その後の私のモノづくりの考え方を大きく変えたのは言うまでもない。

次回は、また違ったエピソードで当時のホンダを語っていきたいと思う。

つづく。