繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

カーシェアリングの時代がやって来た。

2017-03-15 10:29:17 | 日記

「カーシェアリング」と聞いても、何のことかご存知ない方もおられるかもしれませんが、そういう人は先ずググってください。(笑)

 

自動車は「所有から使用」などと言われて久しく、カーメーカーは自動車がますます売れなくなると危機感を煽られていた。

確かに、カーシェアリングは一台のクルマを多くの人でシェア(共有)するようなものだから、そういう意味では自動車の販売台数は減少するはずだ。

いずれにしても、過去クルマはこの狭い日本で売れすぎていたのだ。

これからの日本の将来は暗く、また多くの庶民は暗く感じているので、クルマの販売台数はシュリンク傾向が止まらないだろう。

 

そんな中でのカーシェアリングだ。

そうは言っても、「所有」であれば、自宅やすぐ近くの駐車場にクルマが待っている状態なので、「いつでも思いついた時に使用」できる。

例えば、子供が急に熱を出したとか、予期せぬときでも「使用」出来る。

また、人々の生活において、髪型から服装から、はたまた住んでいるマンションや戸建ての場合までも、そのリッチ度合いやセンスの良さをまわりの多くの人々に表現しているが、クルマもその中のひとつになっているとも思う。

 

一方、以前から特に男性で帽子をかぶる人は少ないが、(最近チラホラみるが)クルマを「所有」しないということは、帽子を持っていない事と近いかもしれない。

つまり、庶民の間では、クルマを「所有」していなくても、ご近所や他人からのみられ方に変わりは無く、普通のことになってきた。

もっというと、クルマはまさに白物家電化してきて、その機能価値はあるが、クルマを「所有」する価値(付加価値)は少なくなっている。

クルマはやはり次々と新しい価値を提供していない、魅力的な新型車は出てこないのだ。

そんな中で、燃費の為に開発したHEVのモーター走行はエンジン走行に慣れ親しんだユーザーにとって、新鮮で魅力的なものだった。HEVは燃費が良くて売れたという事も勿論有るだろうが、私はその本質は、モーター走行がユーザーにとって新鮮で楽しく感じたから、アレだけ売れたと思う。

HEVの本質はモーター走行だ。

EVも勿論モーター走行なのに売れないが、これは言うまでもないと思う。

 

 

クルマを機能価値でとらえるなら、「所有」でなく「シェアリング」でもいいが、問題はユーザーが「使いたい時に使えるか」と「本来、人(庶民)はまわりからの眼、みられ方も、それから「使用」時の気分」も大切にするということだ。

 

しかし、この問題を超えるのに、クルマを「所有」すると日本ではあまりにも「お金」がかかりすぎる。

つまり、庶民の多くの人にとって、「所有」と「お金」の天秤で考えると、今の時代は「お金」だ。

 

だから、「使いたい時に使えるか」と「まわりからのみられ方」「使用時の気分」等の問題を解決すれば、カーシェアリングは伸びる。

 

まず、「使いたい時に使えるか」。

1キロも歩かないと、いや500mも歩かないと「カーシェアリング」出来ないとすれば、これは「不便」すぎる。だいたい、クルマの利便性は「暑い寒い」「荷物」「歩かなくていい」などにもあるのだから。

この大きなシェアリングの課題に関して、最近目立つのは、近所のタイムズの時間貸し駐車スペースの一角にシェアリング車が数台置いてあるのだ。

 

つまり、住宅街でも歯抜けの土地があり、そこをタイムズなどが借りているのである。

これが、多くなってくると「使いたい時に使えるか」に関して問題は少なくなると思う。

 

さらに、最近のトレンドとして、特に交通の便のいい都市部では、クルマの所有をしない人達も増えて、マンションでも、戸建てでも、駐車場が空いている場合が多い。

それを利用した駐車サービスが有るくらいだ。

私も先日、スマホのアプリから個人宅の駐車場を一日借りた。

 

この様に、住宅街の中でも、空いている駐車場(クルマを置くスペース)は多くなってきている。

ここを、タイムズなどが借りて、カーシェアリングすればますますユーザーは借りやすくなる。

 

あとは、「まわりからのみられ方」。

カーシェアリングのクルマがあまりにも汚れたクルマではやはり、まわりからの目も気になるし、使っていても不快だ。

フランス・パリの街中でのカーシェアリングを視察に言ったことがあったが、そのクルマは汚れていた。

日本人は、クルマをキレイな状態でユーザーが受け取れば、特に室内はそんなに汚さないと思うが、最近は日本人も多様化しているので、汚さないシステムがあれば良いと思う。

 

何と言っても、庶民の間ではクルマのヒエラルキーに対してそんなに敏感で無くなった。つまり、そんなにみなくなったと思う。

軽自動車に乗っていても、軽も大きくなり、まわりに小さいクルマも増え、目立たなくなったと感じる。

 

次は、「使用時の気分」。

所有してしまうと、数年〜10年以上同じクルマに乗り続けるので、途中で飽きてしまうというか馴染んでしまい、「使用時の気分」としては、新鮮度合いが落ちてしまう。

「使用時の気分」が大切だった昔は、「畳と女房とクルマは新しい方が良い」などと言われた。

今、こんな事言うと時代錯誤もいい加減にしろ、となる。

 

だから、カーシェアリングでは、そのクルマのバリエーションを増やせば、極端な話になるがクルマを選んで乗れると、これは「所有」にはない新しい魅力となる。

 

色々と考えてきたが、カーシェアリングは限度はあるにしても、限度までドンドン増えて行くと思う。

 

近々のカーシェアリングが増えているデータは、

https://www.carsharing360.com/special/market/2016_02.html

に出ている。