繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

クラシック・ミニ レストア報告 塗装編

2016-05-25 16:26:15 | 日記
昨日は、ボディ塗装後の磨きを塗装屋さんでやっているというので、見に行ってきました。



ボディ色は基本黒色ですが、緑が混ざっていまして、晴れた太陽の下では緑が多く出てきます。
曇天や室内では、黒に見えます。
ルーフ色は、マーク1の少し黄色みがかった白に、緑と灰色を混ぜてもらって、
ボディ色とのバランスをとったつもりですが、昨日の磨いている最中では、
もっと濃い緑を入れてもらった方が良かったかなと・・・難しいですね、色は。

塗装屋のオヤジによると、「まだ色は変わるから・・」と職人っぽく言ってなんだかカッコ良かったです。

話している間も、バフがけの手は休めること無く、磨き上げてもらっていました。
ソリッドカラーですが、塗料の種類の関係で深みが出にくいので、塗装色の上にクリヤーをふいているそうです。


ボンネットの塗装。

今回、忘れていた大切な事を思い出したのですが、ソリッドカラーでクリヤー層を塗り、
それを丹念にバフがけし磨き上げると、表面がツルツルの平らになるのです。
当たり前の話しのようですが、蛍光灯などの真っ直ぐなものを反射させたりして、表面をよく見ると「いわゆる鏡面」なのです。



私は、ここんとこ、量産車ばかり見ていましたが、量産車は表面がどうしても「ゆず肌」というか、ミカンの表面の様に凸凹します。
勿論、高級車はその程度がマシなわけですが、それでも「ゆず肌」感は残ります。
以前にみた某社のクルマは、高級車でも「それ程・・」というレベルでした。
皆さんのクルマも晴れた日にでも、外で斜めに塗装面を見てもらうとわかります。

塗装屋さんに、きれいにバフがけして磨いたクルマは、全くのツルツルの平面になります。


それで、もう30年近く前の話ですが、東京の某VW専門店で、キャルルックにレストアしたビートルを買ったのですが、
これが真っ赤に全塗装してあり、全くのピカピカ!
凄く深みがあって綺麗な赤とポリッシュホイールや真っ白なシート、メーターとのコントラストも良く、
一目惚れして買ったのですが、これが2~3年で水垢がつき始めたのです。
この水垢は、磨いても取れなかったので、よく見たら、塗装の下に入り込んでいたのです。
つまり、また全塗装しないかぎり取れないのです。
アクリル塗装でした。
この塗装屋のオヤジに聞くともうアクリル塗装は殆どないそうです。

塗装屋のオヤジに、ついでにワックスはどうしたら良いか尋ねてみました。
そうすると、塗りたてのボディは「薄いワックスで軽くヌレ」と言われました。
そして、「3ヶ月ほど経ったら、もう一度持って来い」とも。
塗装が完全に固まってから、再度バフがけして磨くと、さらに綺麗になるそうです。
「その後は普通のワックスを3ヶ月に一度位でいいんじゃないか」と言われました。
「中には、毎週のようにワックスかけて、ボディにワックスが入り込み塗装表面がねっとりとしているヤツがあるが、あれはやり過ぎ」とも。

まぁ、私は年とともにヤレていくほうが、人間味があって良いと思うのですが。

ということで、やっと塗装が終わった状態で、このあとエアコンやキャブ調整やなにかやで、いましばらくかかりそうです。
でも、楽しみです。

三菱自動車のゆくえ

2016-05-12 10:40:39 | 日記
一連の相川社長の発言の中に、「会社存亡の危機」という言葉がありました。
今回の不正による影響を軽く見積もっても相当な金額になるのは明らかで、外から見ても「確かに」とうなずくしかない状況です。

そんな中で三菱自動車として存続し続けるためには、まずは何とかして今回の事に関する負の費用のリカバリーのことを考えなくてはりません。
まずは、社員のリストラかもしれません。また、アジア事業の強化かもしれません。
しかし、簡単な話ですがとにかく売れる商品を開発して、売って、工場をまわしていかなければなりません。
まわすために、商品は「数」がでることがキーになります。
(人間で言うと、大怪我した時の輸血みたいなものですね。血をまわさないと死ぬ。)
つまり、商品の収益率よりも「数」なんです。
そう考えると商品は「軽自動車」以外に考えられません。

当然、過去のホンダにあったオデッセイやフィットなどのホームラン商品と呼べるものが小型車で出来るのが一番ですが、これはそう簡単にいかず、ここに賭けるのは「博打」にちかくなってしまいます。
(余談ですが、ホンダのようにホームラン商品が出るには、確かに「打ったら入った」というのもあるでしょうが、その為の企業体質が必要なのです。)

やはり、三菱自動車として会社の存続をかけて頑張るのは軽自動車なのです。


一方、デイズ・デイズルークスなど三菱自動車と共同で造った日産自動車からしても「軽自動車」は大切です。
日本の自動車マーケットの約4割が軽自動車です。
コレなくしては、それこそ多くの日産自動車の販売店がなりたちません。

余談ですが、現在好調なスバルは、軽自動車生産から以前に撤退し、現在はOEM供給をうけて販売しています。
販売店からは、「スバルは今好調なんだから、歴史あるスバルの軽自動車を開発、復活して欲しい。そして、それを売りたい」という声も上がっているそうです。
それ程、日本の販売店にとって軽自動車は大切なのです。

日産自動車としても、以前のようなOEM主体の軽自動車ビジネスに戻ることは、日産自動車としての収益もですが、日産自動車の販売店も辛いと思います。
(それでなくても、収益率が厳しい軽自動車ですから)
日産で軽自動車を欲しいというユーザーに、他社が開発生産した軽自動車を売るのは・・これは辛いでしょう。

だから、「日産の軽」がどうしても必要です。

しかし、三菱自動車がこうなって、三菱グループからの支援を期待して待っていて、時間が長くかかったり、最悪軽自動車から撤退でもされたら、日産自動車はたまりません。

かと言って、日産自動車だけで軽事業を立ち上げるのは特に工場の投資がスゴくなりその回収が大変になります。
なにより「売れる商品が開発できるのか?」という疑問もでます。

軽自動車は、日本のガラパゴスカテゴリーです。小型車と同じような開発や生産はできません。
それなりのノウハウが必要で、軽自動車に対する「愛」、さらに「軽自動車に乗られるお客様への愛」がないと、売れる軽自動車商品は開発できません。
「「愛?」なにを言ってんだ?」と思われるかもしれませんが、モノ作りをご存知の方にはわかっていただけると思います。

センスやカッコ良さだけでは駄目なのです。

こういう事を考えてきていて、本日下記のニュースを目にしました。
以下、2016/5/12  日本経済新聞 電子版

「三菱自、日産傘下で再建 3割強2000億円出資受け入れ」

「日産自動車は約2千億円を投じて三菱自動車の3割強の株式を取得する方向で最終調整に入った。日産が三菱自の第三者割当増資を引き受け実質傘下に入れる案が有力だ。燃費データの改ざんが発覚した三菱自の経営立て直しに協力する。中国やアジアなどでの生産・販売でも連携する。三菱自の不祥事をきっかけに、自動車メーカーの大型再編につながる可能性が出てきた。
 両社は12日に取締役会を開いて資本提携を決める。」


さすがゴーンさん。打つ手が早い。やはり最高の経営者ですね。
2000億や3000億は安いです。
自力のリスクで、しかも日本のためだけの軽自動車の開発・生産に投資するくらいなら、この金額でアジアに強い三菱自動車と近くなるのは大変な魅力です。
もともと、グローバルで見ると日本の自動車市場の魅力はドンドン下がっています。
モーターショー1つをとってみてもわかりますよね。
日本人としては残念ですが、そういうことです。

しかも、日本の軽自動車は「税制ありき」のマーケットです。
政府の税金集めのためだけではないとしても、今後変化していく可能性は十分あるということです。
これはリスクです。
つまり、軽自動車マーケットをこれから始めるとなると、カーメーカーにとっては、ハイリスク・ローリターンなのです。
(販売店は売るものがある方が勿論良いのですが。)

また、日産自動車といってもルノーの子会社です。三菱自動車が日産自動車と同じ立場というかその下になっていくのは、・・・。
三菱グループとしても、三菱ブランドにキズがつかない形で、三菱自動車が自立していってくれれば・・・。
この辺りは私にはわかりませんが、なんとなくこういう感じがしました。

長年に渡る三菱自動車の経営のやり方によりこういうふうになってきているのです。
だから、経営者が悪い、責任は経営者だと、周りや従業員が言っても、全くの「あとのまつり」です。

家電業界も含めて、戦後日本の産業発展は凄かったですが、仮に、実質64年の東京オリンピックからと考えて、約50の長年に渡って日本を支え発展させてきた産業が、ここんとこ、ガタガタ、ギシギシとなってきています。

そこで、働いている人は勿論、日本全体としても、戦後からの一本調子のやり方を考えなおさないと、日本を支え発展させてきた企業、産業はどんどん海外にとられていってしまうかもしれませんし、当然、次も育ちません。
あるいは、ドイツやイギリスのように、何か次の国レベルの産業というか、国を成り立たせる「何かしらの収益源」に変わっていけば良いのですが、どうも戦後からの一本調子のやり方からまだまだ抜け出せない感じです。

今は、また少し円高ですが、近い将来、世界から日本が見限られると、大幅円安になるかもですし、その際政府の金融緩和政策はいきづまるかもしれません。
とんだとこまで、話がいっていますが、私の「妄想」です。(笑)
妄想は止まりませんので、・・・「強制終了」。



自動車の造り手とユーザーの関係

2016-05-05 11:54:11 | 日記
自動車の造り手の設計者や研究者は、当然のごとくユーザーを想い、使い方などを想像して、安全性、使い勝手、ルックス、など多岐に渡って議論して、設計仕様や形をきめていきます。

古くは「お客様は神様」今では「顧客主義」などと言って、自動車で言うと「ユーザー本位の考え方」があり、それが拡大解釈されて「ユーザーの言う事する事は何でも認めて」「正義だ」となって、(元開発者としては)少々腹立たしいのですが(笑)、結果的に自動車機能は改善されて良くなってきたように思います。

つまり、ユーザーと造り手とのコミュニケーションから自動車は改善され、創られてきたと思うのです。
(元開発者の私からすれば、ユーザーからの一方的コミュニケーション・・? 笑)
(ユーザーと言っても直接的ユーザーは勿論ですが、ユーザーの代表とも言える「JDパワー社」のような存在もあります)

例えば、ハンドブレーキはキチッと引けば勿論キチッと効くような設計になっているのですが、女性など力が弱い方、あるいはいい加減に引く方などでは、キチッとブレーキが効かずクルマをシッカリと止められない場合もありました。
ブレーキの位置や機構など改善されて、最近では少ない力でもなるべくキチッと止るように工夫されています。
また、フットブレーキなども、「いざっ」という時に踏み切れない(十分な強さで踏まない)ユーザーも多かったようです。
「いざっ」という時に自動車自体が緊急のブレーキと察知してブレーキが十分効くようアシストする機構も装備されるようになってきてます。

これらは一例ですが、設計者達作り手としては「キチッと操作してもらえば問題無い」のにとつい思ってしまいます。
しかし、操作しきれないユーザーがいることを認めて、それをカバーする設計仕様に変更改善することが求められます。

極端な例としては大昔アメリカで「濡れた猫の毛と体を乾かすのに、猫を電子レンジに入れて・・・訴訟?」。
ユーザーの機能不理解で使い方を間違えても、そういう使い方ができてしまう、ユーザーが間違えるのも当然となると、ユーザーからの訴訟で作り手が負ける場合もあるのです。
これは「製造者責任」→「製造物責任法」「PL法(product liability)」として製造者の責任を問うものです。

ユーザーとしては「全くの素人」、つまり製造物に対して全くの無知の人も含まれるのです。
「普通これくらい・・・知っているだろう、こんなことしないだろう・・」という「常識」の範囲が、製造者とユーザー間でずれていると問題になります。


自動車のエアーバックは、元々アメリカでシートベルトの着用率が低く、事故を起こした時に大怪我や亡くなるユーザーを少しでも救うという事で、つまり「モノグサ」でキチッとクルマを使わない、シートベルトをしないユーザーも救おうということで始まりました。
ユーザー全員がキチッとクルマの使い方を守れば、当時としては要らなかった技術なのです。
(今の安全基準は高くなりエアーバック無しでは通りませんが。)

もっと言うと、エアーバックは高価ですが、衝突しないユーザーにとっては全く不要なもので強制的な保険のようなものです。
ほとんどのユーザーが行っているキチッと道路交通法を守った、またそれ以上の注意を払った運転をして、事故を起こさなきゃエアーバックは不要なのです。
(私のクルマも長く乗ってまもなく廃車ですが、エアーバックは開かずじまいです。エアーバックはリユース出来ませんから、一度爆発させてから廃棄と少しだけリサイクルとなります。)

また、ある範囲で衝突を想定してクルマ造りをすると、走行に必要以上のボディの強さや衝撃吸収構造も当然必要で衝突しないユーザーにとっては無駄となります。

ただ、これらは普段キチンと運転していても、人間だから「ポカ」をする場合もあるので、「保険的に必要」という考えで、ユーザーも自動車を造る側も世の中としても認められています。エアーバック不要という人は殆どいないでしょう。

ただ、ご存知と思いますが、エアーバックも万能でなくリアルワールドの様々な衝突形態全てに対応できるわけではありません。
特にスピードが高いまま衝突するとどうしようもありません。

そうそう、最近ではドライバーが「ポカ」をしても自動的にブレーキをかけて止まってくれる装置も普及して話題になっています。

話が長くなりましたが、このように自動車の造り手である設計研究者は「ポカ」のユーザーの事まで出来るだけ想像して考え抜いて造ってきているのです。
ただ、その分開発コスト、部品コストはかかっています。
ユーザーには自動車の売価が上がり、造り手は出来るだけ売価を抑えたいので収益が減り、廃棄処分のボリュームが増え・・・。

もしエアーバックを装備しなければ、全車に革シートやその他の多くの装備がつけられます。
ほとんどのユーザーがエアーバックを爆発させないわけですから、やはり「保険」なんですね。



イントロが長すぎましたが、本日言いたいことは、街角でよく見かける下記の写真です。




三角窓部分に、ぬいぐるみ。


ここの三角窓は勿論ドライバー視界を良くするためにあります。
つまり、ドライバーへの情報として、この三角窓からの視界が大切と造り手は想像し考え、コストをかけても設計しているのです。(三角窓は無い方がコストはかなり安いです)

しかし、当然のごとく、ここにこういう「ぬいぐるみ」をおかれると「チョン」です。

車室内を飾ることは乗員が楽しい気持ちになるのでしょうから悪いことではありませんが、ドライバーの視界を遮ってまで・・・。

ここで、設計者は考えるわけです。
「お客様は神様」「顧客主義」。
「本質的に、この三角窓部分にモノが置けるからいけない。モノを置けないようにしたら良いのだ」「ここが棚みたいになっているからモノを置こうとユーザーが思うのは自然なことだ、ここに棚的なスペースを設定した私が悪い。おけないように斜めにすれば・・」
まるでコレって「自虐ネタ」じゃないですかね? (笑)
こういう、「自虐設計者は良い設計者」ということになります。

大昔、「トレーインパネ」というのがありました。



これは、チョット小物を置いたり出来るので、非常に便利でユースフルなものでした。
しかし、ここに炭酸飲料やそれに近いものを置きっぱなしにして太陽熱で爆発させるユーザーがいたり、缶ジュースを置いてそれがカーブでころがってアクセルやブレーキに挟まったりしたら大変なことになると想像した設計者がいたりして、またデザインの考え方やトレンドにも依るのでしょうが、トレーインパネは無くなっていきました。

そんな中、ホンダのN1で復活してくれたのは嬉しいですね。(他にもあるかな?)
きっとユーザーは使いやすくて喜んでいると思います。



自動車は設計者研究者を中心とした自動車会社でだけ創っているのではなく、まさにユーザーと共に創っているのです。
ユーザーの方々は、全くの素人ではなく「運転免許証」というのを持っています。
平たく言うと、レベルの話ですが車のことをある程度は知っているはずの人達です。
「こうしたらどうなる」「こう考えて創っているのだ」など、ユーザーとしても少し考えても良いのではないでしょうか。
そうすれば、自動車をもっと安全に楽しく有効的に使えるのではないでしょうか。

自動車の設計者研究者は自虐的ですから、ユーザーの皆さんよろしくお願いします。