繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

「私の愛車遍歴」第10回 BMW520i

2015-12-29 12:43:35 | 日記
ベンツ250CEを売って、次に買ったのはBMW520iでした。勿論、中古で買いました。
当時、宇都宮に住んでいましたので、宇都宮の親しくなった業者さんの中古車センターにベンツ250CE並べて売ってもらって、そこに入ってきた5年落ち5万キロ程の紺色のBMW520iを特別価格で売ってくれました。


この写真はウィキペディアから拝借したものなので白色ですが、私のは当時の殆どのBMWがそうであったように、紺色でした。


確か、ベンツ250CEが160万位で売れて、BMW520i
を130万位で買ったと思います。
私としては、そんなにBMWが欲しいと言うことは無かったのですが、たまたまベンツ250CEを売って、さらにお釣りがくるというので、それに5年5万キロでしたが、ルックスも良く内装も綺麗で試乗して足もしっかりしていたので、購入しました。
しかも、当時の520iは5NOだったのです。
全幅が1700といっぱいでしたが、エンジンも直6で2Lでした。
これの走りに私はハマリました。

動力性能的には所詮2Lなのでたいした事はないのですが、日本の高速を飛ばすのには十分で、街中使用でも十分でした。
なにより、よく言われていた「シルキー6」を思いっきり体感できました。
私は、この2Lの直6が一番シルキーさを持っていたのではないかと思っています。
ちなみに、最近BMWでも直6は少なくなりましが、そのフィーリングは「シルキー6」を殆ど感じません。
時代と技術の進化とともに「シルキー6」感は無くなっていっているように思います。
素直にスムーズにエンジンが回るということでは、最近乗った118iの3気筒はすぐれものでした。
3気筒と言えば、私の感覚では「ポンポコポン」です。
しかし、この118iは乗っていて全く3気筒という感覚でなく、降りてから騙されたのかなと思いエンジンルームを確認したほどでした。
技術ってのはスゴイですね。3気筒でスムーズに回るのです。

しかし、ただスムーズに回るだけでなく、そのフィーリングで言えば、するスルッと加速するこの520iの直6の「滑らかさフィール」まさに「シルキー6」に勝るものはないと思っています。

BMW520iは高速道路での操安フィールも卓越したものでした。
勿論、当時はハイテク物はなにも付いていなくて「素」のフィーリングです。
ハンドルを切り始めタイヤが切れて、ボディが回頭始めるその辺りのフィーリングがドライバーの気持ちと合うので、これは最高でした。
今どきのハイテク満載のクルマでは得られない感覚です。
今どきのクルマはエンジンと同じようにハンドリングもスムーズで切れ性能も高いですが、ドライバーの気持ちとフィーリングとがあっているかとなると、この520iの方が良かったです。

また、高速出口のような大きくハンドルを切って、横Gを少しウケて曲がる時などは、そのカーブに対するクルマの向きがちょうど良くて、しかもステアリングに受ける反力と切る力とがバランスして、カーブに正対して曲がっているというフィーリングがあるのです、一言で言うと気持ち良く曲がりました。
これは、やはり前後重量バランスが50対50ゆえの事と思います。
また、ステアフィールはステアリングに変なハイテクが入ってなく油圧パワステだったからかもしれません。
ちなみに当時のFFでは決して得られませんでした。
最近は、FFでも後ろの内輪側だけブレーキを少しかけたりして回頭性を良くしたものがありますが、そういうのって何か人為的で素直じゃないんですよね。
(個人の感想です)

さらに、520iは普段の街中の走りから高速まで、ハンドルをきるフィーリングとアクセルのフィーリング、またブレーキのフィーリングがあっているのです。
簡単に言うと少し重めでどの操作感も統一されたものでした。
ドアを開ける時のハンドル操作さえも、ロックが外れる感じもガツンとしていて、統一されていました。

さらにさらに、運転の基本である「視界」は、今のようにクーペになりたいセダンでなく、本来のピラーのたったセダンだったので、非常に良くて運転しやすかったです。
シートは勿論ゆったりしていながら、しっかりとしたコレもフィーリングの良い物でした。

こうやって、思い出していると、最近は「燃費」や「エクステリアスタイル」「レーシング場での走り」などを重視しすぎているのではないかと思います。

ユーザーが、燃費やスタイルを購入重視点としているから、またレーシング場での走りのポテンシャル等を重要視するとの調査結果でクルマが作られているように思います。
つまり、実際のユーザーの事よりも他車との競争の中で作られているのではないかと思ってしまいます。

結果、ユーザーの求めている品質以上のクルマになり、ハイテク分のコストは上がりユーザーにとっては高い買い物になっているのではないでしょうか?

また、これらが各社間で特徴の無いクルマ作りに繋がり、ひいては「クルマに興味ない」につながっているのではないでしょうか?
・・チョット飛躍しすぎか???

つまり、販売や他車との競争に終始して、人間味のあるフィーリング重視のクルマでなくなって来たことが、ユーザーにも伝わってクルマが単なるモノに成り下がったように思います。

カーメーカーには・・・
是非、ユーザーのため、感情のある人間のためのクルマ作りをして欲しいと思います。

そうか、こういうこと感じる感性が全くないのか、知らないのか???




EVのニュースに関して

2015-12-28 14:17:28 | 日記
今日も、EVの記事をどこかのWebサイトで見ました。
「航続距離が伸びる」というものでした。

EVを航続距離だけで語るのは「ユーザーに誤解を与える」と私は思っています。
カーメーカーやジャーナリスト?の多くの方も「航続距離」で語ります。

ユーザーが実感する、内燃機関のクルマに対するEVの最大のマイナスポイントは確かに航続距離ですが、本来ユーザーにとっては、その初期の航続距離が経年変化でどれくらいキープされるのか?というような事も大切な事のはずです。
また、カーメーカーの保証はどうなのか? 
「200kmの航続距離」等とカーメーカーから公表されても、それがどんな条件でそうなのか?ということは公表されません。

一方、プラス面で言うと、EVの場合「回生エネルギー」をとりますから、それをうまく使った走行が出来るスキルのドライバーであれば、航続距離は伸びます。山坂のある地域をうまく走ると意外なほどバッテリーメーターは下がりません。
また、「急速充電」はバッテリーに良くありませんから、それを繰り返したEV車のバッテリーの劣化は大きいと思います。
(毎日、早食いでお腹いっぱい食べていたら、胃を壊しかねませんよね)
また、極寒冷地ではバッテリーの働きは鈍くなります。(人間も寒いと縮こまりますよね)
この他にも様々ありますが、バッテリーには様々な意味で「人間っぽい」? 部分があるのではないでしょうか?
つまり、一言でその性格を言い難いし、使い方でその働きは変わるのです。

カーメーカーはユーザーにアピールしやすいように、わかりやすいようにと「航続距離」で言いますが、その事自体は良いのですが、「使い方で変わる」というある意味「リスク」のようなものもキッチリと公表した方が、ユーザー理解も深まりかえってEVが普及する要素となると私は思っています。

あと、「EVは環境車」というのは間違いではありません。
走行時はCO2 を確かに出しません。
しかし、CO2を語るなら「エネルギー観点」が必要になります。つまり、「EVの充電に使うエネルギー」はどこからきているのか?
 2012年時点のエネルギー供給元は、LNGが42.5%、その他、石炭と石油を合わせた火力発電で、88.4%。
火力発電の割合は2009年当時では61.7%。現在、火力発電依存は増加しています。これはご存知のように原子力発電所の稼働停止があるからです。
原発稼働が少なくなった日本では、以前より「CO2を多く出して発電」しています。
ただ、それでもEVはガソリンや軽油を燃やしてクルマが走るよりかはマシかもしれませんが(本当のところは公表がなく、よくわかりません。)、いずれにしてもEVが走る為の電力は全体からすればほんの僅かですが、その電力を作るのにCO2が排出されています。

このように見てくると、EVを航続距離だけでユーザーに訴えるよりは、その環境車という構図が分かりにくくても、ハードが分かりにくくても、ユーザーに少しずつでもキチンと訴える責任があると思いますし、また長い目でみればその方がユーザーにとっても作り手にとっても国にとっても「有益」なのではないでしょうか。








メルセデス・ベンツ250CE 愛情物語(故障話)

2015-12-20 09:46:53 | 日記
今回は、どういう訳か「故障話」のはずがお題は「愛情物語」になっています。
「故障=愛情」というお話と、「最近のクルマが忘れているコト」のお話です。

前回書きましたが、買ってすぐの帰り道で気づいたのは、ヘッドライトの暗さとターンレバーが左右に操作してもそこでとどまらず中立に戻ってくるというものでした。
ヘッドライトは後に車検を取るときに苦労するのですが、今のLEDは勿論さらにキセノンは勿論当時のバルブ式の半分くらいのもので、会社では「行灯」と呼ばれていました。
とはいっても当時でも縦型ヘッドライトの部品は少なく、車検の時は磨きまくってやっと通してもらったという感じでした。
最大の故障と言うか不具合は、宇都宮から和光市までの移動の為の高速に入った時から始まりました。
最初は調子よくいつもの通り直6は快調でした。しかし、少し走ったトコで、なんだか出力が落ちたんです。アクセルは踏んでいるのに。
おかしいな?と思いながら、嫌な予感で走っていると又「ぐぅ~」っと出力が落ちました。この時には流石にその理由がわかりました。直6のウチ、1個また1個と失火しているようなんです。つまり直4で走っている。
それでも、高速道路上なので何とか和光市の会社までいってから修理屋さんに連絡するしか無いと、恐る恐るでも100km/h弱位で走りました。
フト燃料計を見ると、高速に乗る前に満タンにしたガソリンが半分近くになっています。
あれ??? タンクに穴があいている?
そんな訳はなく、直4で頑張って100km/h近くで走っていたので、思いっきりガソリンを各シリンダーに送っていた様で、ロスも甚だしかつ多様です。
それで、仕方なく速度を80km/h以下位に落として走りました。これで和光市の会社までは何とかたどりつけるかな?
と。
しかし、100kmチョットの距離を70L程使うのか?と思わず燃費を計算してしまいました。
約1.4km/Lの燃費です。まさに「桁違い燃費」。 
そんなこんな気持ちを紛らわせて、何とか走っているとまもなく岩槻ですぐ次が浦和で外環に乗り換えて普通なら15分ほどあれば充分和光市に着くと言う時に、またまた今度はチト大きく「ガクン」と出力が落ちました。「ヤバイ又1つ死んだ」とうとう、3気筒だ。
「直6で良かった、直4だともう終わっている。」という思いが上がってきて、自分でも自分の思考回路がわからなくなってきました。
当然、もうアクセルはいくら踏んでも速度は出ずに、40km/h位になり、と同時に車体も結構揺れ始めました。
そのまま何とか浦和に着き、今度は外環に乗り換えですが当時は勿論ETCはなく、料金所で止まらなくてはなりません。
停まったらどうなるのか?
と思っているウチに料金所に着きました。
停まると「ガタガタガタ」と車体は揺れています。
料金所のオジサンは「大丈夫ですか?」と。
「ええ、なんとか・・・」と言おうとしたら「ストン」とエンスト。
「あっ終わった」と。しかし、一旦ニュートラルにしてセルを回して見ると、なんと「ガタガタガタ」となりながらもエンジンは回っている。そのままアクセルを床まで踏んでエンジンは「ぶっぶっぶぁ~」って感じで何とか回転が上がりそのままDレンジへ「ガッツン」と入れて、普通なら急発進ですが、エンスト寸前で何とかスタート。
もう車体は「ガタガタガタ」。ええっ?ガソリンはもう無い。
しかし、何とか何とか、やっと和光市の会社までたどり着きました。
着いてから妙に怖い気持ちになってよくここまで来れたなと250CEとの連帯感が増しました。
普通頭で考えると、「もう二度と乗りたくない」となると思うのですが、「連帯感」さらに、老体に鞭打って悪かったなと「愛情」まで。
人間って不思議です。

その後は、大きな故障はなく2年ほど乗りました。
大きなハンドルで大きめのクルマを走らせ、さらにサスのキレが良くて、また狭い道もハンドルのキレが良くすいすい。
クーペでも今のセダンより広くて視界よくて。
当時、飼っていた我が家の犬「小春」にとっても大好きなクルマでした。多分古くて変なPVCの匂いとかがしないせいかなとも思いましたが、とにかく喜んでのりました。
サンルーフはありませんでしたが、曇った日でも室内が充分明るいので、晴れた日などは最高でした。
また閉鎖感がなく、そういう雰囲気が良かったのではないかと思っています。
乗員全員がドライバーではありませんから、こういうことは大切ではないでしょうか。
今のクルマはエクステリアデザインを流麗にするあまり、乗員の快適性は重要視されていないように思われます。



「私の愛車遍歴」第9回 メルセデス・ベンツ250CE

2015-12-15 10:20:17 | 日記
久々の「私の愛車遍歴」です。
確か、以前は第8回のビートルまででした。
今回は、そのあとに惚れて買った「250CE」です。
惚れたのは、スタイリングです。乗ってから惚れ直したのは優雅でいて且つシャープな走りでした。
スタイリングは前期型?が好きだったので、拘って探しました。結局、当時のCarマガジン誌の個人売買で購入しました。千葉の方でした。
もう、実車を見に行く前からやっと見つけたという思いで、惚れていたので実車を見てもうすぐ買いますとなってしまいました。
ボディー色も薄ブルーで気に入りました。そうあのホイールキャップまで同色のヤツ。


先方の自宅でお金を現金で支払い、書類をもらいすぐに帰路につきました。
もう暗くなっていたので、ライトをつけてと・・というところで、ライトSWを回して確かにライトは付いているのですが実感しません。つまり極端に暗いのです。まぁしかし、とりあえずついていれば周りの車からも確認できると思い、また夜でも千葉から自宅のあった練馬までは明るくてヘッドライトの灯りは暗くても気にならないしと、都合の良いように思い走りました。しかし、その前にもう一つあったのが、ターンレバーが右なら右に操作してもそのままキープせずすぐに真ん中の位置に戻るのです。つまり、左右のターンライトはつくのですが、レバーがキープされない。
仕方ないから手をレバーに添えながらカーブを曲がる。
お陰様でパワステは軽かったので、簡単に曲がる事はできましたが。
すぐに、このターンレバーは知り合いの修理屋さんで新品に交換しました。
ヘッドライトは在庫が無かったのと、高価だったのでそのままで走ることにしました。

前期型と後期型の違いのわかるトコは、フロントバンパーがダブルで2階建て?になっている。


テールライトがツルンと小型。

後期型

前期型

ドアーミラーが小さい。


後、ガソリン給油口がリヤパネルのテールライトとナンバープレートとの間にありました。
つまりトランクの下ですね。
確か後期モデルでは、これは追突された時に危険性が高いということで、移動します。
そんなトコが大きな違いです。

デザインでは、やはりこの堂々としたリヤビューに惚れました。(給油口は向かって右側がフューエルリッドになります)


私の生活では無用に大きなトランク。
インテリアはこのステアリングだけで、クラシック感満載で大喜びでした。


また、シートは革シート風のビニール?でしたが、表面は固いですが中が柔らかく、下にバネの付いた大きなお皿に乗っているようで、誠に初体験の素晴らしい乗り心地でした。
さすがベンツと感じてこの乗り心地を周りに自慢しましたが、中々聞いてくれる人はいませんでした。
当然リヤシートも同じ乗り心地で、また広さも充分でクーペでも誠に快適なリヤシートでした。
今のメルセデス・ベンツのクーペのリヤシートは言うまでもなくスタイル優先となっており、セダンでもそのリヤシートスペースは、このクーペ以下です。
窓も大きく視界は全方位良くて、それによく切れるステアリングで、誠に運転しやすい車でした。


車のスタイリングは、当時私もハマったように「購入動機」で一番の重要度です。
よって、各社近々ではクーペの様に小さなキャビンになってきています。SUVでさえキャビン部はクーペをめざしています。セダンでもリヤドアのアウターハンドルをドア上部に設定して、セダンの4枚ドアをクーペの2ドア風に見せるなど、とにかくセダンもSUVもそのキャビンスタイリングは「クーペ化」しているように思えます。
ユーザーの立場として、これがかっこよく見えるのはわかりますが、乗ると極端に狭くて・・・買う時は外のスタイルで「良い」と思うが、使い始めてから視界も狭く「なんだか乗りにくい」と思うのでは、ないでしょうか?

私は「キャッチと納得」とよくいっていましたが、この両立がユーザーの喜びに繋がると確信しています。

お店の呼びこみは「綺麗な子」がやっていて、「イイネ」と思って中に入ると「お年を召した厚化粧の方」がおられるお店みたいと思ってしまうのは私だけですかね?
馬鹿な私は、そういう目にあう経験を何回も重ねて、やっとわかってきたという感じです。
(経験は大切です 笑)
もう騙されるか・・・!!!
ながくなりましたので、故障話等は次回にまわしたいと思います。

なお、これらの写真は自分の車のものでなく、ネットから拾わせて頂きました。
自分の250CEの写真もあるはずですが、どこかに入っていて・・・不明です。
カーセンサーからも写真いただいています。しかし、まだ程度の良さ気な250CEがあります。欲しい。

日本カー・オブ・ザ・イヤー から思う事。

2015-12-11 15:46:49 | 日記
「日本レコード大賞」は、毎年12月の暮れに発表されますが、昨年は又一昨年は、また今年の予想曲は???
と聞かれても答えられる人はあまり居ないと思います。
少なくとも私の周りには1人もいません。

音楽に興味が無くなった、良い音楽が出ない、様々な理由は言われますが、元を正せば流行歌と大衆の関係が変わってきているということになると思います。
もう少し言うと「大衆にとって流行歌は以前より必要としなくなってきた」のかもしれません。

だいたい、老若男女大衆の殆どが「良い曲」と思って、それが大賞になるというパターンは「おどるポンポコリン(90年)」が最後のように思います。せいぜい「君がいるだけで(92年)」までかな。
その後は、大衆ではなくある程度狭い範囲で深く支持された曲にかわってきています。
つまり、テレビ・ラジオで聴いて「良い曲」と感じていたものが、ネット配信やライブなど限られたユーザーに深く良いと思われた曲に変わってきている。

90年以降位から「大衆みんなの大賞」ではなくなってきていると思いました。
ここ数年は、EXILEとAKB48が複数回受賞しています。
しかし私の場合、積極的に聴いたり、勝手に耳に入ってくることはあまりありません。



「歌(うた)は世(よ)につれ世は歌につれ」
goo辞書で見ますと、「歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響される。」
流行歌は大衆ではなくある程度狭い範囲で深く支持されるようになってきているので、「世は歌につれ=世のありさまも歌の流行に影響される」という事は少なくなってきたのではないでしょうか?

クルマもこういう現象に近いのではないかと思いました。
やはり、時代の流れなのですね。
クルマが大衆にもてはやされ、輝いていた時代は過去のものになりました。(レコタイは未だに「輝く!日本レコード大賞!」となっています・・いつまでも過去の価値観を引きづっている? 関係者には申し訳ないですが、一般大衆から見て輝いていますか???)
私も一応自動車業界の端っこに少し引っかかっているものとして、自動車業界とくに「日本カー・オブ・ザ・イヤー」をみると「レコタイ」を思い出してしまいます。



つまり、クルマ好きの人達だけの中で、選んで讃えて・・・実際にクルマを購入して乗るユーザーとは関係ないところ、つまり狭く深いところで行われているように、大衆からは見えているのではないかと思うのです。
(というか元々見ていないと言う方も多いかもですね???)
何のために日本カー・オブ・ザ・イヤーってやっているのかな?とおもってしまいます。
意外と、実際に日本カー・オブ・ザ・イヤーを運営されている方々やクルマを選考される方々も同じように感じておられるのではないでしょうか?



特に今年は、マツダ『ロードスター』とホンダ『S660』 が2強で争ったと聞きました。
2車とも当然メーカーは頑張って作ったクルマで良いクルマだと思います。頑張ったと言うのは、収益リスクを背負いながらも自分達のブランドや自動車業界の為になるという気持ちで作られたと思うのです。
しかし、スポーツカー特に2シーターオープンカーのマーケットは極小さなものです。
しかもスポーツカーが大衆の憧れだったのは大昔の事です。
(小さなマーケットあるいは今マーケットがない商品でも未来が予感できれば良いと思います。)
現在のようなコミュニケーションの時代に、スポーツカーは元々独りよがりな乗り物ですから、一般大衆からは「オタク的」に見られてしまいます。
つまり今では「ユーザー層は、深くても幅は狭い」。
そういう車種が日本カー・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。
コレって、「大衆」から益々はなれる事をしていることになるのではないでしょうか?

日本カー・オブ・ザ・イヤーって売れた台数やその性能で、ましてや時代性の無い価値観で選ばれるモノではなく、あくまでも自動車業界の発展(多くの人の賛同)に貢献したクルマや、創り手の考え方や技術の取り組み方、またその努力等をユーザー目線で、社会的な目線でとらえたものでないといけないのではないでしょうか?
つまり、「多くの人の喜びと賛同の結果、注目されたもの、あるいはそうなるであろうというもの」でないと意味がないとおもうのです。
ひいては「日本の自動車産業・業界の発展に貢献」ですよね。
ノーベル賞は「人類のために最大たる貢献をした人々」とあります。言い換えれば「人類社会の発展に最大貢献した人々」ですよね。

カーメーカーも、「日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞」とCMや広告をうっても、今ではお客さんに響かなくなっている事を自覚しているはずです。
つまり売りの現場でセールスの方がお客さんに「これ日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞したクルマです。」と言ってもおおかたのお客さんは「ふぅ~ん」程度ではないでしょうか。

さらに、日本カー・オブ・ザ・イヤーに関係する殆どの人が、今の状態のままでは良くないと思っているはずです。

「歌(うた)は世(よ)につれ世は歌につれ」
一般大衆ひいては人類の発展に貢献していかないと、日本の自動車産業・業界はシュリンクしていくしか無いと思います。

今の新技術で大きく扱われるのは「燃費技術」です。
ユーザーにとっては、環境=CO2=燃費と時代性のある商品に思え、しかも燃費が良いとランニングコスト的にメリットがあります。
つまり、表向きは「環境=CO2」、ホンネは「燃費(燃料費用)」なんです。
本質的に「環境=CO2」「燃費技術」は大衆・人類の「喜び」「発展」の為のものではなく、「リカバリー技術」だと思うのです。今までさんざん化石燃料を燃やし続け、もうコレ以上やめて欲しいとなっている事への対応技術です。
だから、大切と言うか必ず必要なパスポートみたいな技術だと思うのです。
カーメーカーに対して、周りの人たちは「大衆にとって、もっと楽しくなる、喜びをもたらすクルマを作れ」と言うべきだし、業界を上げて取り組むべきだと思うのです。
それが2シーターオープンスポーツカーかと???

グーグルカーは最終的にはどんな形で世の中に出てくるかはわかりませんが、今のニュースで見る限り一等賞で一般大衆ひいては人類の発展に貢献しそうなクルマと言えます。
どんなに少なく見積もっても、2シーターオープンスポーツカーよりは「世のため人のため」です。

日本の自動車産業は、カーメーカーを中心にしてみんなで早く「世のため人のため」のクルマを世界に向けて作るべきです。(念のため・・グーグルカーの様なと言っているのではありません)

では、この「世のため人のため」のクルマってどんなものでしょう。
過去に本田技研は「スーパーカブ」を作りました。
これは紛れも無く「世のため人のため」のバイクでした、また現在でもそうです。
日本では蕎麦屋の片手運転は有名な話です。(今ではチト辛いコンセプトですが、笑) 
また、いまだにアジア等の新興国では大衆が必要として欲しがるバイクです。
全く「世のため人のため」になっています。
これを手にすると生活や世の中が変わっていく魔法の?道具でした。
しかし、CO2の増加が問題になってきた現在の地球ではチトややこしい話になります。
とにかく世界で走っている台数がスゴイですから。



このように、「世のため人のため」のクルマって永遠ではないのですね。
難しいです。
しかし、チャレンジしないといけません。
自動車産業・業界全体の役目、定め、です。