若者とクルマ
●そもそも「若者」とは・・。
「ゆとり教育世代」とは1987年4月2日生まれ~2004年4月1日生まれの人で、2018年では14才〜31才。
世代価値観としては・・・理解しやすいように、極端に誇張して書いています。
・仕事においては自分が主体的に動く必要性を感じていない。
お客様意識が強い。
・「自分に何かやってもらいたいことがあるなら、先輩・上司の方から自分の元にやってきて頼むべき」と思っている。
・家電業界等の事例や地震を経験したこともあり、大きな変化は来るものだと考え、会社の将来に希望を持たない人が多い。
・いつなくなるかも分からない職場にはあまり重きを置かない。
・主にプライベートを重要視。
・家族や友人など、なくならずにいてくれるものを大切にする傾向。
・しかし、結婚は面倒。
・会社の人間関係は継続性のないものと考えている。
・コツコツと努力を積み重ねた結果での成功体験をしてきていない。
「自分でインターネット検索すればなんでもすぐ分かる」
・すぐに成果の出ない仕事は苦手。
・世の中〜会社〜自分、大変な将来不安を持っている。
・何がおこるかわからないので、スキルを身に着けることに関心がある。
・視野が狭く、自分の成長に無駄だと思うことは不合理と感じ避けようとする。
・年上の人間との関わり方がわからず、萎縮してしまう。
・草食系男子
恋愛に対する興味が薄く、恋人を作ることも煩わしいと感じている。
・費用が会社持ちの飲み会でも、参加したくない。
・ギャンブルには手を出さない。堅実。
・生まれながらに不景気だったせいか、モノへの執着がなく、まさにモノからコト。
・バブルのような好景気を知らないので、消費意欲は元々ない。
色々と調べると、若者(ゆとり教育世代)はこう言う風に世の中で言われている。
これでは、モノのターゲットユーザー」にはならないと思ってしまいますよね。
勿論、異なる価値観の若者も居るでしょうが、これらは傾向でして無視はできません。
つまり、元々クルマという大きなモノに対する価値観は少ないという傾向です。
逆に、自分の未来を重ね合わせられる夢があれば、のってくる可能性はあるのかもしれません。
●クルマの造られ方
クルマ創成期のカーデザイナーたちは、 自分自身の夢や憧れに対して、創造力を膨らませ流線形を描き 、そこにはクルマに対する大きな想いがあった。
今では、シュミレーション設計により、空気の流れから衝突性能などほぼ全てのハード項目から、WT/COSTまで全て机上でシュミレーション出来てしまう。
デザイナーだけでなく開発者達が想いを持つ必要も場面もない。
だれがやってもコンピューターの答えは同じだ。
おのずとコンピューターの計算結果のお陰でデザイン/設計はどのカーメーカーも同じようになっていく。
しかも、クルマの開発は既に50年以上の長きに渡っており、走行性能や衝突性能、燃費性能などの設計要件が成熟しており、さらに生産要件、販売要件など、あえて新しい事をチャレンジしない限り、設計/デザインは破綻なく手慣れた範囲で造られていく。
それにはメーカー間の差が少なくなることを意味する。
せめてフロントの顔に「つまらない個性」をデザインするだけだ。
一例として、BMW3シリーズとメルセデス・ベンツCクラスのサイドビューは似ていることを示そう。
結果的に、人間の創造力を活かした設計やデザインはやりにくくなっている。結果的にコモディティ化だ。
人の想いを入れない限り、個性的で人を感動させるデザインはできない。
●若者とクルマの結婚
もう35年ほど前になるが、新入社員で入ってきた青学シティボーイ?の後輩は、当時私に「クルマの運転を楽しいと思ったことは一度もない」「便利だから使っている」「維持費は負担になる」「クルマはカセットの音楽を大きな音で聴ける部屋」「追い抜かれても平気」などと私の問に答えて私をビックリさせた。
その後輩は、初代のホンダシティを入社後従業員販売で購入し、機嫌よく乗っていた。
当時のシティはCVCCであまり走らず、そこがその後輩や一般の若者ユーザーには良かったようだ。
(80年代後半のマツダ・ユーノスロードスターも実はスポーツカーでありながら非力なエンジンだから、素人でもクルマを操る楽しさを垣間見ることが出来たのだと私は確信している。)
結果論的になるが、シティは「走らない」というユーザーの声を聞いて、ターボモデルを追加した。
当然まだ多くいた走り志向の若者にはウケた。
しかし、その後ターボ2という外観も走り志向でオーバーフェンダーなどマッチョデザインにして、都会的センスで廉価なシティブランドは終わった。
今、考えてみると、その後輩は「先行層」だったと思う。
その頃から、若者のライフスタイルは変化してきていたのだ。
今の若者が飛びつくとしたら、それは「自動運転」や「つながる」・・メルセデス・ベンツのいうCASEのようなものだと思う。
しかし、CASEはカーメーカーの差は採用時期だけであとはコモディティ化する。
CASEまでに、もっといい走りや乗り心地、快適性、利便性などはドンドン上がるだろうが、それらには若者は飛びつかないということがなんとなくわかる。
若者とクルマの結婚は、クルマ側は一生懸命ユーザーのことを考えて造っているつもりかもしれないが、造り手のクルマ側から破談にしているのだ。
時代とともに変化してきている若者に対してクルマの造りて側の価値観は変わっていない。
男女において、好きな人が出来て、「なんとかしたい」と思うなら、相手の価値観を徹底的に調べて、それをベースにアイデア絞ってアプローチすれば、ほぼ落ちる。
これは確かに、今の若者からすれば「面倒」なことだ。
でも「好きという想い」「なんとかしたいという想い」が強ければ、行動に出られるはずだ。
想いがないなら、そういう人って生きているのかな?と思ってしまう。
若者はユーザーでもあり造り手でもあるのだ。
「上司の指示がなくても、自分で積極的に想いをもって欲しい。行動にもうつして欲しい。」
そうすれば、自分で自分の人生を造ることができる。