繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

バラードスポーツCR-Xとホンダ、と人生

2019-08-19 12:18:58 | 日記

A Little Hondaさんのウェブサイト(https://honda.lrnc.cc/)に、「バラードスポーツCR-Xとホンダをこよなく愛するカメラマン伊藤嘉啓氏」が記事を書かれています。

https://honda.lrnc.cc/_ct/17285389

 

伊藤さんとは、私と元同僚だった川田さんに紹介され、知り合いになりました。

伊藤さんは、バラードスポーツCR-Xを今でも相棒として日常的に使われており、その走行距離は70万キロ超えています。

 

バラードスポーツCR-Xといえば、私が20代後半に担当させていただいた機種で、時代的にもそうでしたがホンダとしても各機種開発ごとに新技術をふんだんに採用していて、当時は全てが新しい構造/設計と言っていいほどのことでしたから、しかも私はインパネGrから外装に転属して初めての機種だったこともあり、非常に苦労したのでよく覚えています。

また、当時は「ブラック」なんて概念はなく、休日出勤は当たり前(しかし、ホンダでは代休をいただけた)、残業は・・・、という時代でした。

私は、ホンダには中途採用で入社しましたが、その前の学卒で入った会社で鍛えられていましたから、ホンダでの労働?仕事?は、肉体的には全く厳しいものではありませんでした。

長い5月、夏休み、お正月と長期連休も、さらに有給休暇もありましたし、厳しいどころか「天国」でした。

 

しかし、仕事内容的には「設計」でして、しかも事例のない新しいものが多かったので、設計の勉強をして構造アイデアを考えたり、こちらは大変でした。

つまり、こなせば出来る仕事とは違って、とにかく「産み出す」必要があって、その連続でしたから、大変だったのです。

さらに、当時は、まだまだそんなに販売台数も多くない会社だったのに心意気は世界一で、その指示が厳しくきますから、「そんなの無理だよ」といつも自分の中では上司に向かって吠えていました。

(結果的には、これらのホンダイズムを中心としたモノづくりが、後の成長の基本になっていました。)

 

そんな中で、このバラードスポーツCR-Xの外装設計担当にになって、大変なことの連続でしたから、大変印象深かったわけです。

 

私にとってそんなバラードスポーツCR-Xでしたが、そのクルマを70万キロ超えても尚まだまだ元気に走らせている伊藤さんにお会いして、バラードスポーツCR-Xへの「すごい愛」に感心し、またその商品の中の少しの部品を苦労して創った私自身を思い出し、率直になんだか変な気持ちでした。

つまり、伊藤さんの凄さや頑張って造ったホンダを超えて、「モノ」ってのは、いったい「なんだろう」という気持ちになりました。

 

伊藤さんの記事にも出てくる「ヘッドライト・ガーニッシュ(ホントの名前は忘れてしまいました)」は、生産工場の鈴鹿製作所に量産移管されてから、「反る」という問題が発覚したのです。

 

ホンダ新商品の研究開発は、(株)本田技術研究所(社内通称HG)という本田技研工業(株)(社内通称HM)とは別会社で行われています。

これは、簡単にいうと「魅力的な商品」を産み出すための仕組みです。

藤沢武夫さんが、創造されたと聞いています。

 

仕組みは、(株)本田技術研究所で商品開発(企画、設計、テスト)して、その図面を本田技研工業(株)に売り、そこで造り、販売するというものです。

だから、ヘッドライト・ガーニッシュのように鈴鹿製作所に図面を売ったあとで、問題が発覚するというのは建前上ありえません。

しかし、当時の設計は先程も書きましたように、毎回新しい設計なので、期限までにキチンとテストまですませた完璧な図面を描いて売るのは難しいことでした。

つまり、開発中は勿論ですが、鈴鹿製作所で量産しようという段階になっても「設変」は多くありました。

つまり、この「設変」の仕方というか分配というか、やり方で設計者の技量がとわれていると私は感じていました。

研究所での開発中での設変と、製作所へいってからの設変のやりくりです。これをいかにうまくやるかと。

 

それ故当時は「SG」と言いまして、(鈴鹿=S 研究所=Gを足して名付けられた)鈴鹿製作所の新機種立ち上げに時に開発者が大挙して泊りがけでフォローに行っていました。

つまり、出た問題をその場ですぐ「設変」できるような体制を取っていました。

 

私の担当のヘッドライト・ガーニッシュも私なりの「設変分配の結果」として、鈴鹿製作所にいってから「反る」ということが発覚しました。

当時研究所の開発責任者の偉い方も同様に鈴鹿製作所に詰めていましたが、建前上は鈴鹿製作所にきてから設計の問題が出るのは研究所が仕事をできていないという事になり、開発責任者は鈴鹿製作所に対して「申し訳ありません」という立場でした。

よって、私の担当のヘッドライト・ガーニッシュが反ったときも、開発責任者は前後の状況をわかっていながら、鈴鹿製作所のメンバーの前で、私を烈火のごとく叱りつけました。

「お前はいったい何をやっていたんだ。スグナオセ。明日までだぞ。」

私は、どうやって反らないようにするか考えましたが、元々ヘッドライトという熱源があり、さらに射出成形したABS(プラスティック)では、反りは抑えられないというのは常識です。

ジャなんで、そんな構造を研究所で開発したのか?

これには「コスト」という魔物がありまして、研究所の段階では、コストを安く造らなければそれこそ製作所に図面を買ってもらえません。

製作所に移管になってからは、予算的に「立ち上がり経費」というものが、わずかですが積んであります。

それをいち早く使って対策すれば(予算のあるうちに)、私の担当のヘッドライト・ガーニッシュの開発コストは守れて、製品もキチンとしたものができます。

当然、どうやっても反るヘッドライト・ガーニッシュを反らないようにするには、「添え木」しかありません。

私は、ヘッドライト・ガーニッシュの裏側に鉄板を溶着する図面を出し、スグ試作品をつくり、開発責任者に「これで大丈夫です」と胸を張って報告しました。

2〜3日は経っていて、「スグ」ではありませんでしたが、開発責任者は「良いじやないか、よくやったと」と褒めてくれました。

 

この開発責任者は、Hさんという方で、私は、このHさんに、何度も「お前なんかクビだ」と言われています。原因は「コスト」が多かったです。

今なら、パワハラですね。なんといっても決定的な「クビだ」ですからね。(笑)

その都度、Hさんと私の間に入って取り繕ってもらったこちらもHさんという方がおられます。(紛らわしいのでHNさんとします)

あるときは、HNさんから「しげさん、今回はまずいよ。Hさんが本当に怒ってるよ」と。

続けて、「Hさんのルームミラーの取り付けが壊れていて、しげさんルームミラーも担当でしょ、部品あるでしょ。それを持っていってHさんのルームミラーを直してあげると、機嫌がなおるかもしれない」と言われて、私は「はい」と「スグ」Hさんとこにいって「ルームミラー壊れいるんですよね、私直せますから」と。

直した明くる日、Hさんから「ルームミラー直って中々調子良いよ」と笑顔でお礼があり、それで1件落着。

 

その後、このHさんとは年の差はありましたが、仲良くしていただけました。

数年前には、電話ですがご挨拶させてもらいましたが、その後体調を悪くされて亡くなられたと聞きました。全く、残念でした。Hさんは本田宗一郎さんとも一緒に仕事されていた世代で、リアルホンダマンでした。

ご冥福をお祈りします。

 

バラードスポーツCR-Xというクルマを通して、それを愛する人、造った人、売った人、周りで支えた人、・・・様々な人生が一つのクルマから派生しているような気がして、なんだか不思議な気持ちです。

これからも、様々携わった商品を通して、多くの方と知り合いになれたらと楽しいなと思います。

皆様、よろしくお願いします。