繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

「私の愛車遍歴」第16回「左ハンドル・ミニ」 

2021-05-05 10:27:31 | 日記

最後まで、愛車遍歴を書こうと思いたち、今回は「左ハンドル・ミニ」

ホンダの先輩から「私のミニに興味ないか」と問われ、即答「あります」と答え、トントン拍子にその「左ハンドルミニ」は私のとこにきた。

そのミニは先輩がオーストリアでレストア済?の66年式ミニを購入し日本に送り車検をとって乗っていたものだった。会社内ではちょっとした噂になっていた、というのも程度はもちろん良かったのだが、何しろ「半レーシング仕様」になっていた。ロールバーから、シートとフルハーネスベルト、エンジンのハイカム化まで、ジムカーナにすぐ出られる代物だった。

その噂を聞いていたので、二つ返事で譲ってもらった。しかも、価格は先輩価格で価格と言えるほどの金額でなかった。

名義変更などは元ホンダマンの後輩が自動車屋をやっていたのでお願いし、一緒に引き取りに行った。

その後輩もなかなかその左ハンドルのミニをみて関心した。なぜ左ハンドルかというと元はオーストリアだったからだ。日本では左ハンドルミニは珍しかった。

ただ、ミニは元々イギリスの車だったので右ハンドルだが、ヨーロッパ大陸は左ハンドルだ。だから右左の作り分けは簡単にできるようになっていた。

つまりアンダーフロアなどが同じで、ハンドルとペダルアッシーは簡単に左右ハンドルに合わせて組み付けられるようになっている。メーターはセンターだからそのままだ。センターメーターにはそういう意味もあった。ちなみに、ビートルはメーターとグローブボックスでやり取りを簡単にしていた。

そのレーシング仕様のミニを公道で走らすにはちょっと大変だった。

まず、乗り込むのが大変。フルバケットシートなので本来ハンドルを取らないと乗り込めないくらいだった。またそのベルトはフルハーネスなために装着に時間がかかった。やっとセンターにあるイグニッションキーを回すとエンジンは簡単にかかるが音がすごくアイドルはばらつく。アイドル回転を上げるしかなかった。

走り出しは、強化クラッチでドンとつながる。す〜っと静かに走り出すのは無理だ。しかもエンジントルクは最低3500rpmくらいからでないとトルクが出ない。排気量は確か160ccくらいだったが、そのトルクで強化クラッチでドカンと発進する。一人のときは良いが隣に奥さんが乗ると注意しているとはいえ首がガクンとなる。

その後、なるべくす〜っと加速しようと思っても、なんだかガクンと加速する。これはセナ足が要求された。どうもアクセルワイヤーの先の取り付けがスロットル軸に近いようだ。

隣の奥さんは首が鍛えられた。

最初は奥さんも喜んで乗っていたが、色も薄ブルーで可愛かったので、その後、だんだんと横に乗らなくなった。

太いロールバーが室内に入っていたので、後ろの席に入れなかった。つまり、シートはついているが乗れなかった。それどころか後ろのウインドが拭けなかった。つまり、ロールバーで後ろへのアクセスが全くだめだったのだ。

それでも、楽しくドライブしたこともあった。最初は近場の荒川沿いの秋ヶ瀬公園まで行ったりしていたが、かかりつけとなってしまったミニショップから、清里でミーティングがあると聞き、前泊で参加した。行きの中央道では制限速度の80km/hあたりで走ったが、凄まじい音と振動だった。横にのっていた奥さんは、クルマがバラバラになるんじゃないかと冗談半分で言っていたが、私は真剣だった。油温水温などのメーター類は正常を示していた。しかし、4時間ほどかかって清里に到着した。

前泊は費用の関係もあり、ちょっと若いとは思ったが、まだ残っていたペンションに泊まった。移動日もその日も晴れていて、林の中のペンションの早朝は気持ち良かった。しかも、泊まっている人達はミニのミーティングに参加する人たちが多く、外の駐車場にはいろんな色にカラーリングされたミニが並んでいて、自分達のミニと比べたり、ミーティング前にすでに盛り上がった。

朝食をすませ、会場へ行くとそれこそいろんな色や形のミニかいて、楽しく見て回った。当然ソフトクリームを食べ、お昼を食べてそろそろ帰るかとなった。

ミーティングで知り合った人たちに挨拶をすませ、会場をあとにして走り出して5分ほどしたら、エンジンの調子が悪くなった。

路肩にクルマを停めて、かかりつけのミニショップへ電話した。フロートが溢れていたので、相談すると「とにかくバラして再組すると治る場合があると聞いた」。私は工具は何も持っていなかったので、なんとか会場に戻り先程知り合った人に工具を貸してほしいとお願いした。もちろん貸してはもらえたが「66年式のクルマで工具もなしに遠出するなんて無謀」と言われた。確かにそうだと納得した。フロートへいくガソリンホースもだめだったので、困ったが、周りで見ていた人が「あるよ」とくれた。

ありがたくいただいた。

フロートを再組し、エンジンかけると気持ちよくかかった。

皆さんに、お礼を言って再出発した。調子のいい間に帰りたかったが、東京までの道のりは遠い。そのドキドキ感は、私には耐えられたがメカオンチの奥さんには耐え難い恐怖だったようだ。

帰ってから、二度と乗らないと宣言された。

この経験に様々なことが重なり、最後は離婚後遺症の金欠もあり、このクルマを楽しむのは私一人かと思うと、手放すしかないなと思うようになった。

しかし、先輩から譲ってもらったものだし、先輩は言わなかったが、私なら長く乗ってくれると期待していたと思うし、しかも66年式というビンテージ領域の車だし、なんとか乗り続けたいと思っていたがとうとう手放す決断をした。

ミニショップへ持っていったが、足元を見られたのか、非常に安い価格だった。私も元々安く買っているので仕方ないと思えた。

この後、黄色いデルソルはネットで販売し、元々乗っていたBMW3は処分に近い形で下取りしてもらって、またBMW3を個人でなく家のクルマとして買った。しかし、直6の味が忘れられない私の好みからだった。奥さんは、ピンクパール500台限定の特別色ボディカラーが気に入った。

しかし、これは後になって近所に意外と生息していてがっかりした。