繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

デルソル・ミーティングに参加

2017-06-27 17:24:14 | 日記

先日、ツインリンク茂木で行われた「第20回デルソル・ミーティング」に参加してきました。

 

デルソルは言うまでもなく、私のホンダでの開発人生で一番印象深いものです。

今とは全く異なる世の中の流れの中で、ホンダも今とはだいぶん異なる開発状況の中で、開発されました。

私も若く変にホンダらしさにこだわっていましたし、今の「顧客ファースト」という考え方も異なるものでした。

ホンダのツーシーター・スポーツカーはこうだと、かなりの独善的な考えでコンセプトメークしたのを覚えています。

スケッチ

 

しかし、商品ってオモシロイと思うのは、これはクルマだけでなく、ほぼ全ての商品に言えるとおもうのですが、・・・

時代の流れの中で、商品が生まれて創成期には、顧客のことはあんまり考えず、造り手の価値観で作っていることが多く、また品質的にも完成されていないと思いますが、そのほうが、今時の顧客ファーストで心底顧客のコトを考えて作って、品質も良い今より、多くの拍手がもらえると思うのです。

つまり、顧客のコトを考え出して、品質も向上してくる時が、売れなくなり始めるときのような気がします。

 

ところで、今回のデルソル・ミーティングで一番時代の流れを感じたのは、クルマのノーズ/ボンネット、エンジンルームでした。

「ぺったんこ」なんです、今の眼でみると。

当時は、当然これが普通でどちらかと言うと、もっとぺったんこにならないかと思っていたくらいです。

ホンダのクルマは特に2代目のプレリュード以降、「低ボンネット」化を進めてきました。

その根底の思想は、地上を俊敏に動く動物は全て重心が低くなっている、クルマも低い方が良いというようなものでした。

ホンダは、思想(本質)を大切にしました。

今の眼でみると、異様に? ボンネットが低く、広い(大きい)感じがします。

 

今では、パッシーブセイフティで歩行者保護の観点から、ボンネットとエンジンとの間に空間をあけますので、その分はボンネットが高くなります。なにより、人のクルマのデザインを見る目も変わってきました。背の高いSUVが沢山走っています。

SUVは当然重心は高いですね。また、軽自動車もハイトワゴンと呼ばれるワゴンRや、スーパーハイトワゴンと呼ばれるタント、さらにダイハツはウエイクというスーパーよりスーパーな高さのあるクルマまで販売しています。これらは当然重心は高く、低いクルマに比べると転倒もしやすいでしょう。運動性能もしかりです。

 

こういう、運動性能的に、さらに走るという思想的に良くないと言えるクルマが市民権を得るということは、ドライバーが飛ばしたりコーナーを速い速度でまわったり、ヒドイ運転をしなくなったと言うことではないでしょうか。また、燃費を考えるとユックリと走るようになったとも思います。

 

つまり、飛ばさずユックリと走るようになってきていると思うのです。

 

だから、スポーツカー市場はなくなってきていると思います。

 

ちなみに、人の歩く速度もユックリになってきていると、街に出る度に思います。スマホを見ている人は当然歩くのが独りよがりで遅いですが、スマホを見ていない人が、ユックリになってきたと昭和生まれでセッカチな私は感じます。

 

今の、乗り心地のいいクルマでユックリと走ると、昔言われた「走る応接間」って実感します。運転している気がしなくなるくらい気持ち良いです。まさに、なんだか部屋にいるような・・。

 

それに、クルマを走らせる「儀式」は少なくなりました。

 

ATが代表的なものですが、キーレスやエンジンスタートスイッチ、さらにそのスイッチを押してもHEVだとブルルルンなんてエンジン音も聞こえない、当然振動もない。それで、パチッと小さなレバーを一つ動かし、アクセルを踏むと、すゥ〜っと動き、ハンドルもヨッコラショと切らなくてもスイスイ。ブレーキもチョイ踏みでがくんと効く。

 

これでは、怠惰な方にどうしても流れる人間にとって、1トン以上の質量のクルマを動かしている、緊張感や責任感はでませんね。

緊張感がないと漫然とした運転になり、つまりボーっと。

そりゃ、アクセルとブレーキくらい間違えてもおかしくないかも・・と思ってしまいます。

 

世の中全体的に「漫然」となってきているかもですね。

社会的にも頑張って報われる世の中ではなくなってしまいましたからね。また、経済的にも、将来的にも不安のある世の中です。今の現役世代の年金支給年齢はドンドンと上がっていくでしょうし、たとえもらえたとしても、この調子だとハイパーインフレになる可能性も上がってきましたから・・。

 

なにか、こう!! パァッとした、世の中にはもうならないのでしょうか?

私は、植木等さの役柄のように、パァッと行きていこうとズッとクレージーキャッツの時代から思って生きています。

 

漫然と生きるのは、ダメですよ。

パァッと、行きましょう、パァッと、生きましょう。

 

 

 


クルマの予防安全のあり方。

2017-06-07 09:26:55 | 日記

「マツダの安全は自動ブレーキだけでは終わらない。」という、プローモーションがあります。

http://www.mazda.co.jp/cars/demio/feature/safety/?banner_id=b16808

 

これは、マツダのクルマは予防安全に良いと考えられる装置を標準装備にしていますから、「より安全な車として買って下さい」というものです。

 

衝突軽減ブレーキ(自動ブレーキとも言われています)や、斜め後方車を検知してドアーミラーにマークで表示したり、アクセルとブレーキを間違えていると知らせてくれたり、という装置です。

確かに、これらは予防安全につながると思いますが、肝心なことは、これらの装置は「完璧」なものではない、言い換えると「言い訳」のある装置です。

その証拠に「最終的な確認はドライバー」という但し書きがつきます。

マツダのプローモーションビデオも最後に映画のエンディングのクレジットのように、最後に小さな字で色々な但し書きがでてきます。

「完璧」なものではない、言い換えると「言い訳」のある装置を良いものと宣伝し、そのあとで但し書きする。

ドライバーにとれば、最後の但し書きこそ大切なものになります。

装置が完全なものでないなら、「不完全な部分を認識」することは大切です。

ここを認識しないから、日産自動車の販売店での事故のような事がおこります。

ドライバーはどこまでいっても自主的に安全に運転しなきゃいけないのです。

 

また、マツダのプローモーションの中に、「ペダル配置をドライバー中心にキチッと設定してあります。」というのもありますが、これはキチッとしていて当たり前の事で、キチッとしてない車は「それでも良ければ、他にこんなに良い事がありますから、乗って下さい」というレベルのものです。

 

例えば、クラシック・ミニはイシゴニスが小さい外寸の中で出来るだけ室内スペースを取る方法の一つとして、ペダル類を大幅にクルマのセンター側へオフセットさせて、ホイールハウスを避けてペダル類を前方に出して、乗員の座る位置を前方に寄せています。

良いか悪いかというとこれは良くないです。

だいたいFR一般車のブレーキの位置にアクセルがきていますから間違いやすいということもありますが、運転姿勢が斜めになってしまいます。クラシック・ミニの場合ステアリングもオフセットしてさらに異様に立っていますから、まともなドラポジはとれません。

その代わり、小さな外寸ながら室内スペースがとれます。

ユーザーが納得して操作し、他人に迷惑をかけなければ良いのです。

 

マツダのこのプローモーションでは、コストがかかり、収益に関わる装置を標準装備にして頑張っているのはわかりますが、メーカーとして本当に安全を願っているのか?と疑問になります。

 

やったことだけ、何とか出来たことだけ、を宣伝するのでなく、安全を願うメーカーなら、安全の事をドライバーの心理やスキルからインフラまで広げてその本質をよく考え、見渡してから「出来るだけ安全を考えて今回はこうしました。」という言い方のプローモーションにすべきではと思います。

 

こうなると直接的に宣伝にはならないかもしれませんが、本当に安全を願うメーカーとしてキチッとユーザーに伝える姿勢は拍手をもらえるでしょうし、安全に向けた取り組みってそういうものだとも思います。

 

予防安全に良いと思われる装置を開発し取り付けて、それを宣伝して、「安全に取り組んでいるメーカーだ」という事に、違和感を感じます。