むさでん業務日誌帳(改)

むら@車掌の徒然模型日記・・・・(ちょっとだけ愚痴もあるよ!)

都心は久しぶりの暖かさ・・・かな?

2021-01-13 21:23:41 | 工場長の独り言

水曜日・・・

昨日僅かに降った雨ですが 今朝の所沢では路面凍結するには至らず一安心・・・、昨日の降雨は都心ほど無かったようで 出勤時には路面はほぼ乾いてたので助かりました。

一方、先週末 大雪に見舞われた北陸地方では幹線道路の除雪は ほぼ完了し、積雪による道路渋滞は解消されたとニュースで伝えていましたが、鉄道線のほうは 未だ復旧の目途が立たないところも多いようです。北陸地方にある中小私鉄から発信されているツイッターを拝見する事で 今回の積雪量がいかに凄いものだったか垣間見る事が出来ました。いや~っ、普段は利用者向けに運行情報を発信している鉄道会社のツイッターですが 復旧に向けた除雪作業等、現場で必至に尽力されている鉄道マンの姿を拝見すると 本当に頭の下がる思いというか・・・・こちらもパワーを貰えます。

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一鉄道趣味者として 雪と鉄道というと 真っ先に頭に浮かぶのが かつての三八豪雪・・・・、昭和38年1月に新潟地方を襲った大雪被害の事です。当時の物流を支えていたのは鉄道貨物・・・、高速道路や幹線道路は 未だ整備されていなかった時代なので 人や物の移動は鉄道が主役だった時代の出来事です。 主な鉄道誌のバックナンバーには 必ずといって良いほど 三八豪雪に関する記事かあり、当時の鉄道輸送に尽力された方々の寄稿を読む事が出来ます。前途のとおり 当時は鉄道輸送の復旧が生命線であり 自衛隊の協力を得ながらも 官民協力して除雪にあたった事が紹介されています。版権絡みが不透明なので ハッキリ書きませんが 今でも 三八豪雪の記録映画を動画サイトを通じて視聴する事が出来るので 興味のある方は視聴する事をお勧めします。

今回の豪雪のニュースでは 鉄道線の復旧状況以上に 高速道路や幹線道路の情報が流れていたのが印象的でした。今更ながら 物流の主役はトラックなんだな!という事を再認識させられた次第です。

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私自身、今まで 雪国の実情を垣間見る機会はありませんでしたが、今から20年程前の事・・・、仕事の関係で 毎年秋口になると 新潟県上越市に出張する事がありました。上越 高田というと 所沢で生まれて育った私でも 日本有数の豪雪地帯である事は知っていました。社会科 地理の教科書だったか 雁木造の街並みの写真が載っていたのを憶えています。 前途のとおり 季節は秋分を迎える前のこと・・・・高田城を構える城下町ではありますが 初めて降り立った高田駅前の風景は まさに国鉄時代の風景を継承する 幹線の一主要都市といった風景でした。高田の方々には申し訳ありませんが なんとも垢抜けない風景というか・・・・こじんまりとした駅前の一角には小さなレンタカー屋があり、その反対側には日通の事務所がありましたっけ。 そんな駅前を歩きながら 一つ目の信号(本町5丁目だったか?)を左に曲がると 一方通行の狭い路地沿いに 木造屋根の歩道が繋がっている・・・・「これが雁木造りなんだな・・・」と感じたものです。日中でも薄暗く、路地に面して店舗の看板が出ているものの 店が開いているのかどうかも判らない感じ・・・ 今でいうところの「シャッター街」とはいかないまでも 少々寂しさを感じる街だったのを憶えています。 その路地を暫く歩いていくと 宿泊先の旅館がありました。昔ながらの行商人や当地で連泊する作業員等が利用する旅館でした。

その後、数年に渡って 初秋の10日ほどを ここで過ごすのが 年間行事のようになっていました。現地での出張業務は ほぼ夜勤に等しいもので 15時頃に訪問先へ向かい 業務を開始・・・・、一旦、食事のため 旅館に戻った後、再度現場へ向かって仕事を続行・・・、翌日の早朝に仕事を終える、といったパターンでした。但し 仕事が終わる時刻は 日によって異なり 早い時には午前8時、遅くなると午前11時頃という時もあったような記憶があります。

よって 旅館には 毎日のように朝帰り・・・、日中は仮眠をとった後、再び夕方に出勤するというパターンだったような気がしますが、なにぶん天候に左右されやすい仕事だったので 必ずしも連日業務とはならなかったのは幸いでした・・・。

そんな事もあって この旅館の方々とは すぐに顔馴染みとなり、色々と世間話をするようになりましたが、ある時 何かのタイミングで高田の街の事を話していた時、高田の大雪の話を聞く事がありました。あの当時(1990年頃?)でも 既に高田の市街が大雪となる事は少なくなった、と言っていましたが 昔は 数年に一回というペースで 路地が埋まるほどの積雪があったとの事。 実際、その旅館にも2階に屋外への扉があって、そこを通じて出入りした事もあると言っていましたね・・・。 そもそも 海沿いの直江津から高田辺りまでは あまり積雪しなくなったものの さらに内陸の新井あたりまで入ると 一気に雪の量が変わる、とも言っていました。 そんな話を聞いて 鉄道ファンである私としては 「そりゃ~DD53が配備される信越線だものね・・・」等と 人とは違った理解をして 納得しておりました・・・(笑)。

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あれから既に20年・・・・ 北陸新幹線が開業し、信越本線も第三セクター えちごトキめき鉄道へと移管され 今に至る事になりました。 高田駅も その後、リニューアルされて 近代的な駅舎に変ってしまったけれど 当時お世話になった旅館は 現在でも営業を続けているみたい・・・・ Google Earth で確認してみたら 雁木造の街並みも残っているようです。

あの旅館の女将さん・・・ 当時でも高齢だったけど 今でもご存命なんだろうか? 今回の大雪のニュースから ふと昔の出来事を思い出してしまいました。 機会があれば また訪問してみたい街・・・・、なんせ 出張業務の際には 日中はほぼ睡眠していたので 観光なんて出来なかった訳。 私にとって高田という街は 若かりし頃の想い出がある街・・・・いや、そんなものは一つも無いかな(笑)。

良い思い出といえば 信越線を走っていた貨物列車を撮影した事ぐらい・・・・EF62に重連のEF64等々、少し足を延ばして直江津へ行けば 全盛期の北陸特急ウォッチングも出来ました。前途のとおり時代は90年代・・・・第三セクターに分割される前の信越本線時代には 首都圏、関西方面からのシュプール号が多数運転されていましたから 撮り鉄的にも魅力的でしたし・・・。

今となっては撮りたい車両も走っていないので・・・・なかなか足が向きません。