2019/1/25 野崎研修センターで野崎歴史散歩講座5回目があり参加しました。
講座内容は那須野の開拓で講義を聞いてから
今回講座の資料を読み返しネットも検索してみました。
赤田山・烏ヶ森
烏森神社は、周囲を烏ヶ森公園に囲まれ 花の名所(特に桜)として知られていますが
開拓のおやしろになっています。
祭神は、天照大神・豊受大神・倉稲魂命・印南丈作大人命・矢板武大人命です。
1880年(明治13年)肇耕者(のちの三島農場)を創設した三島通庸が、
故郷の九州都城の母智丘神社の神鏡を模して祀り神社とした。
↓ 烏森神社
↓ 社殿の「烏森神社」の扁額は有栖川宮熾仁親王の直筆
↓ 烏森神社(からすがもり)の説明板
↓ 史跡 烏が森の丘(からすがもりのおか)の案内板です。
↓ 印南丈作の頌徳碑
↓ 稲荷神社入り口の鳥居
↓ 烏ヶ森稲荷
↓ 境内には、源実朝の歌碑がありました。
「武士の 矢なみつくらふこての上に
あられたばしる 那須のしのはら」
時の将軍”源頼朝”が巻狩りで、この丘に登ったと説明がありました。
↓ 参道
山百合(ヤマユリ)が咲いていました。
烏森神社の沿革
烏森神社の前身、烏ケ森稲荷神社は、902年(延喜2年)、上石上村(現 大田原市)の百姓田守が、
烏ヶ森の丘の上に祠を建て、豊受姫命を祀り五穀豊穣を祈ったことに始まると伝えられています。
1193年(建久4年)、源頼朝の那須野ヶ原の巻狩の時に、この丘を展望所として、
総指揮を執ったと伝えられています。
江戸時代から明治の初めにかけては上石上村の村社として守られてきました。
1879年(明治12年)11月14日、伊藤博文と松方正義が、
地元開墾発起人の印南丈作、矢板武等の熱意ある要請に応え、
烏ヶ森丘上から那須野ヶ原を視察、開墾事業への協力を約束し、その成功を祈願しました。
1881年(明治14年)8月6日、明治天皇の名代として、有栖川宮熾仁親王が神社に参拝し、
那須開墾社の印南、矢板等の開拓の労を賞せられ、松を御手植えになりました。
社殿の「烏森神社」の扁額は親王の直筆です。
1885年(明治18年)、那須疎水の開削を祈願する。
1888年(明治21年)、社殿を新築し烏ヶ森稲荷神社を烏森神社へと改める。
(那須野ヶ原開拓の祖印南丈作・矢板武が開拓の氏神様として社殿を再建、
同時に神社を中心に松と桜を奉納植樹し、公園化を図りました。)
那須開墾社は親王台の近くにありましたが烏森神社の近くにも第二農場を作りました。
その場所は第二農場歴史公園としてあります。
yahooの地図貼り付け出来なかったので場所の添付
おりがみ作品とJtrim額縁 まとめてHPにUPしてます。
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