「覗かれる人生芝居」の稽古過程に於いて、役者は余計な事をする事を求められます。
余計な事とは、簡単に言えば、台本から習得した情報を基に自分の役を膨らませていく事です。
これを読むと、それは役者としてしなければならない当たり前の事の様に思えるかもしれません。
しかし、書かれてある事をいくら細部にわたって具現化したところで、それは役の芝居の中の役割を具現化しているに過ぎないのです。
なぜなら、台本はその作品の方向性を示すものです。
それはテーマといった言葉に代表されるように、言いたい事、表現したいをものを観客に示す為のものだからです。
それは劇団芝居屋の「覗かれる人生芝居」に於いても変わりはありません。
台本は、この様に言いたい、観客に届けたいという方向に向かって役者を導く方向指示器の様な役目を持っています。
しかし、登場する全て役の深いところまでは書かれていないのです。
「覗かれる人生芝居」に於いては書かれていない場所を役者自身の役への欲求と想像力で補てんしていく事が求められるのです。
この考えは何も新しい事ではなく、真摯な役者であれば誰でもが思い当るところです。
しかし、それがなぜ具体的な演技として見えてこないのでしよう。
それは、私が冒頭で「余計な事」と表記した様に、客観的にいえば従来の芝居の作りの中で考えなくてもいいものという暗黙の常識があるからです。
役者はその常識の中で自己規制して「余計な事」をすることをやめているのです。
その常識を打ち破り、役者が考えた「余計な事」を稽古場で試して行く事が、役を自分独自のものにしていく為の道なのです。
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