エスせんブログ

ラノベ好きなB級小学校教師のエスせんが、教育中心に色々語るブログです。少しでも面白ければ「いいね」御願いします。

続・ブラックとホワイトの狭間

2025-02-24 04:30:00 | 教育
はじめに
 月・火曜は学校教育話。令和7年1月20日&2月4日に続き、教育現場からの問題提起&自分なりの意見を述べるシリーズ第3弾です。前回の記事「ブラックとホワイトの狭間」に対し、色々と意見をいただき、自分でも色々と考えました。今回は、そうやって考えた事について、現段階での私の結論を述べます。
 さて、前回の記事では、一般的な働き手の立場から言うと、教育現場は相当にブラックだ…と書きました。それについては、ここでは省略させていただきます。興味のある方は、2月4日の記事を御覧ください。
 その記事の後半、「でも、努力した結果、子供たちに成長が見られた時の喜びは、かなりのホワイトだと思う」と書きました。それについては賛否があったのですが、この部分の説明が少々不足していた…と感じたのです。そこで、そこを中心に述べさせていただきます。

未来を築く教員の仕事
 まず、端的に結論を述べます。突き詰めて考えると、教員の仕事は日本と言う国の未来を築く事が目的であり、そこに一歩でも二歩でも近付けようと言う使命感と覚悟がなければ、教員の仕事のホワイトな部分は感じられないだろう…が結論です。
 端的過ぎて伝わらないと思うので、もう少し詳しく述べていきます。
 教員の仕事は子供を育てる事です。どう言う子供を育てるかは、教育基本法で明確に述べられています。教育基本法の第一章「教育の目的及び理念(教育の目的)」の第一条では、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と書かれているからです。
 まぁ、法律の条文なので分かりにくいですよね。私流の解釈で大雑把に言うと、「人格的に優れた人間に育つ事を目指す」、「平和で民主的な社会を目指す人間を育てる」、「心身共に健康な人間を育てる」の3つになるでしょうか。この内、「心身共に健康な人間を育てる」は、学校教育も含まれるでしょうが、家庭教育や社会教育の割合が高いでしょう。そう考えると、学校教育で目指すべきは、「人格的に優れた人間に育つ事を目指す」と「平和で民主的な社会を目指す人間を育てる」の2つ…と言えるでしょう。
 「人格的に優れた人間」で「平和で民主的な社会を目指す人間」…こう言う人間が増えれば、日本と言う国の未来は確実に明るくなると言えます。平和で民主的な社会を目指す人間が育ち、その様な人間が増えていけば、歩みは遅くとも、より良い社会へ向けて前進していくでしょうから。
 だから、先程述べた通り、「教員の仕事は日本と言う国の未来を築く事が目的」だと考えられる訳です。
 もちろん、こんな大きな目的が単独の学校だけで達成される訳がありません。小学校で可能な限り育てて中学校にバトンタッチ、中学校で可能な限り育てて高等教育の学校にバトンタッチ…。もしかしたら、高等教育の学校間でも、バトンタッチが繰り返されるかもしれません。それを繰り返していき、先程の様な人間を育てる訳です。
 もっと言えば、単独の学校の中でもバトンタッチは繰り返されるでしょう。私の勤務する小学校で考えても、1年生から6年生までの間に何人かの教員が担任します。当然、担任から担任へバトンタッチが行われる事になります。
 そう考えると、1人の担任の育てられる事柄なんて、その子の人生全体から考えたら微々たるものでしょう。だから、先程の文では、「そこに一歩でも二歩でも近付けようと言う使命感と覚悟」と書きました。

使命感と覚悟の仕事
 この様な使命感と覚悟で取り組まれる仕事は、決して少なくないと思います。これについては、noteに書いた記事のコメント欄で、note仲間が医者の話を書いています。せっかくなので、全文紹介させていただきます。

 医師で、「凄腕」「神の手」なんて呼ばれている人は、そうなるまでには、まさに血の滲む努力、努力、努力▪▪▪。ある程度技術と信頼がつけば、ひっきりなしの手術。休む間なしです。つまり、ブラックです。
 でも、それを、「疲れる」とは思っても、「嫌だ」「やりたくない」と思うのでしょうか?
 そこまでなくても、ある程度の技術を持った医師は、「やり甲斐」を軸として「仕事が生活の中心」ではないでしょうか?
 ブラックをブラックと思うのでしょうか?
 教師も、そうだと思います。
 人の命を預かり、人生の基盤作りをしているんですから。
 プライベートの方を大切にしたい人が、中途半端にやってみる仕事ではなく、人生をかける価値のある仕事だと思います。
 それだけの価値を世の中に認識してもらい、それなりの権限を与え、成果に見合った給料にすれば、ブラックとは思わないのでは?と思います。甘いかな。
 「みんな平等」が過ぎて、必要とする技術が違う職業が、同じ価値観で「働き方改革」を唱えるもんだから、おかしなことになってますね。


 短い文章で、とても説得力のある内容を書かれています。もう、この文章を読めば、私のダラダラした記事は不要なくらいです。
 私の考えも概ね同様ですが、あえて言えば1つだけ違う点があります。それは、私の考えだと、「使命感と覚悟の仕事」は自己完結している…と言う点です。先程のコメントですと、「それだけの価値を世の中に認識してもらい、それなりの権限を与え、成果に見合った給料にすれば」の部分、ここは絶対的な条件ではなく、可能であれば…くらいの条件だと考えています。
 大切な事は、自分が使命感と覚悟をもって仕事に取り組む事。だからこそ、自分の理想とする状態に一歩でも二歩でも近づいたと実感できれば、それは自分自身にとって仕事の満足感につながります。第三者から何と言われようと、金銭的な利益がなくても、この満足感が最も重要で、仕事のホワイト感にもつながっている…そう、私は考えています。
 医者や教員の他にも、使命感と覚悟の仕事は少なからず存在するでしょう。まぁ、考え様によっては、あらゆる仕事において使命感と覚悟がある事で、充実した仕事になっていくとは思いますし、ホワイト感も増すと思います。

少々付け足し
 ちょっと話が逸れますが、我が家の子供ちゃんのオススメで、私は最近、「timelesz project」の番組を視聴しています。STARTO ENTERTAINMENTのアイドル・グループtimelesz(タイムレス)のメンバーが、新しいメンバーを選ぶ為のオーディション番組です。
 この番組、とても勉強になります。
 例えば、三次審査の際にtimeleszの菊池風磨さんが、「3日間で振り付けを覚えるのは大変だと思うけど、実際の仕事では覚えるのは更に短期間で、もし1日あればラッキーだと思った方がイイくらいだから」と言った内容の発言をしていました。これ、かなり無茶な要求をされていると感じるし、一般のレベルで考えたらブラックだと思うのです。
 同じ三次審査の場面で、応援に来た大倉忠義さん(同じSTARTO ENTERTAINMENTのアイドル・グループSUPER EIGHTのメンバー)が述べていました。「アイドルにとって踊りや歌は大切だが、もっと大切な事は、ライブなどの会場に来てくれたお客さんを幸せにする事」と言った内容を…です。
 つまり、アイドルにとっては「お客さんを幸せにする事」が最大の目的であり、それを達成しようと言う使命感と覚悟が必要な訳です。だから、一般のレベルで考えたらブラック過ぎる仕事内容にも耐え、努力し続ける事が出来る訳です。アイドルもまた、使命感と覚悟の仕事だと言えそうです。

おわりに
 長々と語り過ぎました。一度まとめます。突き詰めて考えると、教師の仕事は日本と言う国の未来を築く事が目的であり、そこに一歩でも二歩でも近付けようと言う使命感と覚悟がなければ、教師の仕事のホワイトな部分は感じられないだろう…と言うのが、今回の私の結論です。
 ただ、昨今、その使命感や覚悟を崩す様な事の増えているのが教育現場です。これについては、noteの記事のコメント欄で、別なnote仲間が重要な指摘をしてくれました…が、かなり長くなっています。その辺りは、また別な記事で述べさせていただこうと思います。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。

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