月・火曜は学校教育の話です。今回は、自分の事を「先生」と自称する事への考察です。
私はブログの他、noteと言うSNSもしています。そちらで先日、とあるnoterさん(noteで記事を書いている方を、この様に呼ぶ…らしいです)が、概略、次の様な記事を書いていました。
教師は自分の事を「先生」と自称する事で、教師が上で子供が下と言う「無意識先生マウント」をしている。教師同士も「先生」と呼び合うが、それも教師が上で子供が下と意識し合うために行っているのだろう。
今の時代、教員など凡人の集まりなのだから、「そんな自分が、人になにかを授け育てることなど簡単にできるはずはない」と謙虚になる事が必要だろう。
この記事中、「謙虚さが必要」は本当に、その通りだと感じました。自分の日常を大いに反省させられます。
「無意識先生マウント」については部分的に賛成です。何故なら、自分は「意識的先生マウント」をしているからです。
若い頃の私は、「教育技術の法則化運動」から多くを学びました。そこで学んだ事の1つに、「教師は学級を統率しなくてはならない」と言う事があります。これは相当に重要な事で、きちんと統率できないと「学級崩壊」してしまいます。そうなったら教育活動を行うどころか、子供たちの安心や安全を守る事さえ難しくなります。
子供たちから謙虚に学ぶ事は大切ですが、完全に平等な関係では人間の集団をまとめる事は難しい…私は、そう考えます。完全に平等な関係では、リーダーシップを発揮する事が出来ないからです。
ですから、学級を統率するためには、教師と子供の立場の違いを明確にする必要があります。教師は学級に責任をもたなくてはなりません。子供たちが安心して、安全に学習へ取り組める様にするのは、学級にいる教師の責任です。
もちろん、子供たちにも少し責任はあります…が、主たる責任は教師にあります。仮に学級崩壊した場合、中心になっている子供たちが批判を受ける事はあるかもしれませんが、責任を追及され非難されるのは教師です。
この事実を明確にし、「私は、この学級に責任を負っている。貴方たちには、より良い学級作りに協力してもらいたい」と言うメッセージを伝えるため、私は「先生」と自称しています。つまり、意識的に「先生マウント」を行っている訳です。
おまけですが、教師同士が「先生」と呼び合うのは、単なる役職名で読んでいるだけだと思います。民間企業で、相手を「係長」とか「部長」と呼ぶのと変わりありません。その証拠に、「校長」や「教頭」には「先生」呼びをしないのが一般的です。
…と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。