あの街この町♪

青春18キップやツアー旅行などエコで省エネな小さな旅日記。

石垣島へ(2012年6月)

2012年07月02日 | Weblog


久しぶりというか二回目の沖縄へ。今回は石垣島を中心とした八重山諸島の島巡り、そして息縄本当へ4泊5日の旅。

【今回のルート】羽田11:10→那覇空港経由→石垣島空港15:15着(レンタカー2日間)石垣シーサードホテル(2泊)→石垣空港15:10発→那覇空港16:10着(モノレール)→沖縄ハーバービュープラザホテル(2泊)(レンタカー)→那覇空港16:40発→羽田19:00着

【一日目(6/27)】

 梅雨明けの夏休み前で時期的にも値段的にも観光には最適な季節。石垣空港近くのレンタカーでマーチを借りる。運転しにくい。ナビも使いづらいが仕方ない。空港から20分くらいで石垣島の繁華街?へ。明朝8時10分出向の離島ターミナルを下見後、島北西部のホテルへ向かう。道路には行き交う車はほとんどいない。ナビだけが頼りだ。40分ほどでホテル近くの川平湾に立ち寄って見学。夕方だったがさすがに石垣島第一の景勝地だけあって青い海と白い砂浜が絵葉書のようにきれいだ。サトウキビ畑の狭い横道からホテルへ。荷物置いてから夕食のため川平湾まで再びドライブ。有名な観光地だか食堂らしきところはほとんどない。しばし歩いて近くのおいしそうな地元食堂へ飛び込む。家庭的で雰囲気のいい店だ。先客は地元らしき2組。石垣牛どんぶりとミックスフライ定食を注文。ボリュームも味も満点!旅先ではやっぱり地元の店に来るべきだ。

石垣島一の景勝地川平湾の夕景

 ホテルの芝生の中庭にはプールと椰子の屋根の南国風の屋外バーがあり、その先には真っ青なプライベートビーチのような見事な海岸が広がる。湾の向うには対岸の岬が見える。午後7時というのにまだまだ明るい。時間が経ち夕景になると東屋風のバーや椰子の木のシルエットの向うにロマンチックな夕日が静かに南国の海を照らし本当にきれいだ。絵葉書の中にいるような錯覚に陥るほどの見事な大自然の風景だ。屋外バーでウィスキーを片手にしばし雄大な夕景色に酔う。まさに南国気分一杯だ。本当に来てよかった。すばらしい景色だ。ホテルは全室ハーバービュー。石垣島の中心部から離れた立地で景色も部屋の広さも十二分。夜中にベランダに出て夜の海を眺めたら、小船のシルエットが月明かりに浮かび。空には満点の星。南国の旅行気分満点だ。

ホテルの夕景


【二日目(6/28)】
 ホテル2階のオーシャンビューのレストランで沖縄名物にんじんシリシリなどのバイキングで腹ごしらえ。早朝の海を眺めながらの爽やかなドライブで離島ターミナルへ。石垣ドリーム観光の窓口で受付後、西表島行の観光船へ。黒島や波照間島などが見える。まさに日本の南の果てだ。約50分で西表島の仲間港へ。仲間川のマングローブクルーズ船に乗り換えて船で川を遡行する。川の両岸には様々な種類のマングローブの他、鳥も喰わないという青い実の成るリュウキュウキョウチクトウや見た目はパイナップルに似ているタコの木など島独特の植物が密生。マングローブはいろんな植物の総称だそうで根っこが浅く広がっているためあちらこちらで倒れている。とことどころにカニの取り籠が仕掛けられている。船は30分ほど川を上ったところで干潮のため船のスクリューが川底の砂に引っかかり船長のこれ以上上流には行けないとの判断で再び川を下る。この川も狭いところや広いところ、曲がりくねったところなど様々な顔を見せる。上流の水深は浅く汽水だそうだ。

西表島の仲間川マングローブクルーズ

船長がここでとれたオオアサリを見せてくれた。直径10cmはあるデカイ。カヌーを楽しむ人もいる。今は追い風なので上流へ行くときは楽ですが帰りは逆風なので漕ぐのが大変ですよと船長。
川岸のクルーズ船の降り口にバスが待機。次の目的地である水牛者に乗って由布島へ渡る観光へ。島内の曲がりくねった道路を約15分。由布島へ渡るための水牛乗り場へ到着。水牛車が白い砂浜に6、7台待っており、ガイドの案内で次々に水牛者に乗り込む。由布島はすぐ目の前に見える約500mくらいか。潮が引いていて硬い砂地なので徒歩でも渡れそうだ。初めての水牛車体験。乗客は15、6人。牛を操るおじいの軽妙なしゃべりと三線(サンシン)の弾き語りでご当地ソング「安里屋ユンタ」を乗客全員で楽しく唄いながら由布島へ上陸。我々の乗った水牛の名前は「慎太郎」、裕次郎もいるそうだ。由布島へ降りたとたん思わず笑ってしまった。牛が大勢で首だけ水面から出してのんびりと風呂につかっている。なかなかお目にかかれないシーンだ。水牛だから水に浸かっていても当然といえば当然か。水牛車の後は島の熱帯植物園巡りと昼食タイム。まずは園内の食堂で弁当と島の地ビールで腹ごしらえ。中身も味も可もなく不可もない。あちこちにブーゲンビリアンや様々な熱帯植物が咲き乱れる園内の蝶の広場で飼育員のおじさんが「オオマダラ蝶」の解説をしてくれた。この蝶のさなぎの色はなんと金色。擬似色とのことだがなんとも珍しい。飼育員の方が写真の撮り方まで指導してくれたが残念ながらうまく撮れなかった。島からの帰りは再び水牛車で西表島へ。帰りの歌は「十九の春」ならぬ「老後の春」。おじいの替え歌がなんとも絶妙で乗客の年齢層にヒット。♪50,60はまだ若~い。70,80で花盛り・・・。

水牛車のおじいが軽快な三線で沖縄民謡を唄ってくれる。

断っておくがこの水牛車ツアーの参加者は年寄り(失礼)だけではない。若い娘さんも混じり、特に二人連れのうち一人は藤原紀香にそっくりの飛び切りの美人!。残念ながら次の竹富島ツアーには参加しなかったが南の島でワンピースがよく似合う美人と一緒というのは非常にうれしい。
 西表島から20.30分で竹富島へ。ここの海も実にきれいだ。マイクロバスで島巡りツアーへ。女性の運転手。みんな島を離れて現在この島の住民は約350人。ほとんどが観光で生計を立てているそうだ。星の砂で有名な砂浜でみんなで目を凝らして星の砂を探すが小さすぎてなかなか見つからない。それより何より海がきれいで景色が最高だ。よくTVやCMなどの撮影にも来るそうだ。木陰で土産の星の砂を売ってる方ものんびり。観光客もまだ少ない。サイクリングで島巡りしている人は割りと多い。自転車は暑くて大変だ。

竹富島の星の砂の砂浜。星が小さすぎて探すのが大変だ。


竹島メイン通りを水牛車観光、内輪差を考えてちゃんと角を曲がる。

この竹富島でも再び水牛車で島巡りに出発。赤いブーゲンビリアンとサンゴの石垣造りの塀に囲まれた狭い道を水牛が内輪差を考えて実にうまく水牛車を引っ張り、水浴び場所では水を要求して一人で止まる。実によく訓練されている。この牛の名前も聞いたが忘れた。りっぱな角が平行に伸びている珍しい牛だそうだ。騎手?は若い女の子。この娘も三線で「安里屋ユンタ」を唄ってくれた。再びバスで港へ。16時すぎに石垣島に再上陸。ホテルへ帰る前に港近くの繁華街で夕食をとることに。石垣島ショッピングセンタへ足を伸ばした後、再び港近くの駐車場がある店を探してしばし市内をグルグル。観光パンフでみた「寿司太郎」でようやく落ち着く。開店間際のため他に客はいない。地魚のにぎりとグルクンのチャンプル、その他野菜系など2、3品を注文。シャコ貝やイラブなどなかなか美味しかった。店を出て車に乗ったとたん、土砂降りの大雨。危機一髪。コンビニでBeer買おうとしばし車内で雨宿りしたがやむ気配ないためホテルへ帰ることに。
途中、昨日横を通りかかって看板が気になっていた「唐人墓」へ立ち寄り。奇跡的に車が駐車場に入ったとたん、雨がぴたりと止んだ。実にナイスタイミングだ。この唐人墓(とうじんばか)はまったく知識がなかったが、石碑に刻まれた歴史をみて愕然とした。江戸後期にアメリカの商船が中国から奴隷(苦力)380人を輸送中に遭難。この島に逃げた苦力を武装兵が探しだして虐殺、生き残った173人のうち128名が病死、自殺。その人たちを当時の琉球政府と島民が弔ったのがこの唐人墓。安易に観光目的で訪れるような場所ではない。墓の入口にはいかにも中国風のきらびやかな陶製の人形や鮮やかな飾り物で彩られた立派な門が建っているのでここを目当てに来る人が多いのかもしれない。今日は疲れたので部屋で軽く飲んで早めに就寝。

大勢の中国人苦力が眠る雨上がりの唐人墓


【三日目(6/29)】
いよいよ石垣島は今日が最終日。目の前の青い海を眺めながら最後の朝食を楽しむ
まずは川平湾のグラスボートで海底のサンゴやシャコ貝、熱帯魚などを見た後、次の目的地、川平湾と並ぶ石垣島の景勝地玉取展望台へ。車で1時間くらいか。この玉取展望台は石垣島北部に位置し、小高い丘の上に茶色の屋根のコンクリート造りの小さな休憩所があり、そこから北東から南東まで180度の大パノラマの眺望をゆったりと堪能。銚子の灯台ように地球の丸さを実感できるところだ。青い海をバックに緑や赤いハイビスカスのコントラトも見事。再びきた道を引き返し県道79号線で川平湾方面へ。次の目的地は「石垣やいま村」へ。石垣島へ初日にきたとき夕方の閉館で中に入れなかったため再び来所。ここは石垣や八重山の民俗文化を残す観光地で昔ながらの島の大きな屋敷が3件残っており、沖縄独特の色の民族衣装の体験コーナーや座敷での三線の弾き語りなども敷地内では見ることができる。また動物もおり、可愛い小さなリスザルがいっぱいいる森やカンムリワシなどもいる。

八重山の古民家


昼食は石垣ショッピングセンターの食堂で名物の八重垣そばと石垣牛のステーキを注文。腹一杯。腹ごなしに近くの石垣鍾乳洞まで足を伸ばし、売店でソフトクリームを食べてから車を返しにレンター会社へ。15:10発の那覇行きで沖縄本島へ。

 石垣島から来たためか空港内は広く人も多いのでまるで別世界のようだ。滑走路には軍用機も離発着しており改めて沖縄を実感させる。前回沖縄へ来たとき工事中だったモノレールに乗って今夜の宿がある壷川駅へ。ホテルまで近いと思ったが暑い最中に重い荷物を持って坂道を15分くらい歩いた。疲れた。暑い。沖縄ハーバービューホテルクラウンプラザは大きな立派なホテルだ。部屋も石垣のホテルほどではないが広くてきれいだ。やはり旅先のホテルはきれいなところのほうがいい。一休みしてから歩いて近くの国際通りへ。

夕方の国際通り。両側の歩道は呼び込みが多い。


相変わらず賑やかで呼び込みも多い。沖縄民謡のライブをやっている店もあちこちにある。ちょうど7時からライブがあるという店に入ってまずはビールで喉を潤してから泡盛を注文。やがて民族衣装の若い男女二人組が登場。賑やかに三線と太鼓で沖縄民謡を唄い、ステージから店のお客さんに合いの手を入れるよう声を掛けみんなで一緒に歌ったり、最後には立ち上がって沖縄の踊りを見よう見まねで踊ったりで店員も一緒になって掛け声をかけ非常に楽しい雰囲気だ。今日は石垣島から移動して疲れたので早めに就寝。

国際通りの民謡酒場、最後はみんなで賑やかに踊りだした。


【四日目(6/30)】
 今日は一日、昨夜ホテルの観光案内で訊いた南部方面の観光コースをレンタカーで回る。今回の車はマツダのデミオ。やっぱりこの車もカーナビは使いにくい。最近はみんなこうなのか。走っている方向と逆の下の方に矢印が出るのでどっちへ走っているのか分からない。電話番号の目的地設定だけが頼りだ。最初は沖縄戦の司令ぶのあった市内の外れの丘の上にある壕の跡地へ。鉄の暴風と表された米軍の凄ざましい艦砲射撃の様子や当事の沖縄住民の悲惨な様子などビデオや写真で展示。当事の日本軍が本土を守るためにいかに沖縄の人たちや風土を犠牲にしたのか、どのくらい命を奪ったのか。まさに当事の軍首脳部の人災としかいいようがない。現在でも沖縄の人たちが政府に禍根を残すのは当たり前だと思う。改めて沖縄にいるんだという実感が湧く。

 次はさらに国道331号線を南下。本日のメイン目的地であるひめゆりの塔へ。

南へ下る大きな国道も車は少ない。途中の琉球ガラス村で沖縄の青い海の色のようなきれいな琉球ガラスのビールグラスを購入。

ひめゆりの塔の入口で献花用の花束を売っている。大型バスでの観光客も多い。敷地内の平和記念資料館の前に大きな慰霊碑があり、その裏の大きな壕は資料館地下の負傷者用の病院施設に利用してた大きな地下壕の上部とつながっている。昭和20年3月14日米軍による艦砲射撃が始まり沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員生徒297名は、軍命によって看護要員としてただちに南風原陸軍病院に派遣された。当然、女生徒たちは看護や治療などの知識はないため、すぐにもとの学生生活に戻れるものと思い、病院の手伝い的な気持ちで行ったものがほとんどだったという。
 米軍の攻撃が激しくなるにつれ、前線から負傷者が大量に運び込まれてくるが、攻撃から逃れるため動けない負傷者を残して、命からがら南の方面に逃げ、現在ひめゆりの塔があるところは最後の地となった第三病棟の跡地である。治療に使っていた壕はたちまち負傷者であふれ、生徒たちも必死で慣れない包帯巻きや大量の血のふき取り、命がけで汚物を捨てるために壕の外にでるなど昼夜力限り一生懸命に尽くしたが、兵隊からは腹が減った、水が欲しい、俺たちは沖縄を助けにきたのに何故こんな目に逢うのかなど、生徒たちに罵声を浴びせることもあったという。負傷者は階段状の土の上に寝かされたまま治療を受けていた。6月18日、いよいよ米軍が間近に迫ってきたため看護の女生徒たちは突然、軍部から看護部隊の解散を命じられた。生徒たちはとまどいどこへ逃げていいかわからず、翌19日、米軍から投げ込まれたガス弾で壕のなかは地獄絵図となり、岩の上に枕を並べて集団自決したもの、外へ逃げまどって断崖から身を投げたものなど、軍の統制下で病院勤務していたときより、解散を命じられた後で亡くなった人のほうが圧倒的に多かったという。まさに軍の身勝手さによる民間人のいわれなき大きな犠牲だ。看護隊で生き残った方が語り部として当事の生々しい体験を語り、壁には戦争が激しくなる前の楽しい学校行事の模様や、戦闘の犠牲となった生徒の写真、日記などが展示され、今の平和な日本を思うにつれ、戦争の過酷さ悲惨さを実感として感じられ本当に涙なくしてはいられない非常に重たい場所であった。

この姫ゆりの塔の碑の裏側が病院施設として使っていた地下壕の天井部分と繋がっている。


 ひめゆりの塔から15分位で平和記念公園へ。緑の芝生や木が植えられた広い敷地内には記念館などが有り、展望台からは真っ青な沖縄の海が見える。

 次の目的地は「おきなわワールド」。国内有数の大規模な鍾乳洞や沖縄の古民家や民族文化などを見ることができる。ちょうど昼食時なのでレストランへ行こうと思ったら、エイサーの音が聞こえてきたので広場でエイサーを見学。元気な若者たちが趣向を凝らした振り付けや音楽で大勢の見物客を楽しませる。本当に楽しく賑やかな民俗芸能でエイサーは大好きだ。2階のレストランはバイキング方式で中は広い。エイサーが終わる少し前にきたのでまだ比較的空席がある。料理を取って席についたとたん、たちまち料理の周りに人が溢れ、修学旅行の中学生も混じって大賑わいだ。昼食後は強い日差しを避け敷地内の土産物や古民家などを回り、最後に大きな鍾乳洞「玉泉洞」へ。入口で沖縄民族衣装のお姉ちゃんと記念写真。鍾乳洞の中は広く秋吉洞のような感じ。また龍泉洞のような緑色にライトアップされた池などもあり十分見ごたえがある。全長890m。暑さしのぎにはちょうどいい。

エイサーや大きな鍾乳洞があるおきなわワールドの入口

 次の目的地「ガンガーラの谷」はおきなわワールドのすぐ目の前にある。ここはガジュマルなどの亜熱帯植物の中を歩くガイドツアーで予約が必要。この谷の入口は大きな洞窟になっており、三方を岩に囲まれた中にいくつかテーブルがあり「CAVECAFE」という母娘でやっている喫茶店になっている。空いているテーブルに座りコーヒーを注文。天井の岩からテーブルのパラソルの上に水滴が落ちてくる。涼しい。洞窟内には悠久の時を感じさせるゆったりとしたいい音楽が流れていて心が和む。店の娘さんに曲名を訊いたところ、このケーブカフェの店ために地元の音楽家に頼んで特別に作ってもらった曲で市販されてないとのこと。残念。本当にこの場所にぴったりのゆったりとしたいい曲だ。周りに座っていた何組かの客は全員がツアー参加者でガイドの集合合図で誰もいなくなってしまった。

  次は沖縄のパワースポットの一つ知念半島にある「斎場御嶽(せーふぁうたき)」へ。ここは2000年に世界遺産に登録されたところで、御嶽(うたき)とは奄美諸島から南西諸島に広く分布している聖地の総称。斎場御嶽は琉球王朝時代の格式の高い祭祀場で、せーふぁ(霊威の高い聖なる場所)の名前のとおり周辺一帯には巨岩や首里城の部屋と同じ名前の拝所がある。ここへ来るまでの道路には案内板もなくカーナビ頼りだったが何とか入場時間締切りには間に合った。やはり知る人ぞ知るで観光客も多く地元のガイドさんもいる。この知念半島からみる東側の海は実にきれいで海岸から数百メートル位のところに水平線と平行に白い波の線が数キロぐらい真っ直ぐに伸びており、手前の白っぽい海底と線の向こう側の青い海を隔てていた景色が非常に印象的だった。あれはいったいなんだったんだろう。
 知念半島をぐるりと回って一路那覇のホテルへ直行。南の島の夕日が暑い。
本島二日目の最終日は再び国際通りへ。大通りの裏道で魚介の美味しそうな看板の地下の店に入る。中は地元の人たちでほぼ満員状態。カウンターで地元の料理とビールで乾杯。早めにホテルに戻り、最終日の帰りの荷支度とドライブコースを研究。

世界遺産「斎場御嶽」の大きな三角形をくぐると隣の久高島が見える。


 【五日目(7/1)最終日】
ホテルチェックアウト後、レンタカーで沖縄最終日の目的地海中道路へ。ここは本島中部の与勝半島と平安座島とを結ぶ全長約4.7Kmの海の中を真っ直ぐに伸びている観光名所の長い橋で那覇市内から車で約1時間。道路の両側には沖縄のきれいな海岸風景が広がり車を止めてしばし小憩。道路の終点の左側には平安座島、右に浜比嘉島へのきれいな橋がある。この橋からの海の景色もきれいだ。この日は浜比嘉島で手漕ぎボートの大会が開かれるとのことで港近くは大勢の人で賑やかだ。帰りに海中道路の休憩所でアイスクリームと地元の餅饅頭を購入。

 直線道路の両側に沖縄の青い海が広がるうるま市の海中道路


この海中道路からの帰り道に「勝連城跡地」の観光看板があったので立ち寄ることに。ここの城跡も沖縄独特の曲線の石垣が小高い山の上まで万里の頂上のように築かれているが、建物や城壁などはまったく残っていない。この勝連城は沖縄の中でも最も古く12世紀ごろの築城と伝えられる。ここの城主は首里城を攻めたが落城して滅ぼされた。この小高い山の上の城址から眺める中城湾の海の景色も最高だ。

勝連城跡、13世紀頃の豪族の山城、曲線の石垣が沖縄の城の特徴

 帰りに首里城にちょっと立ち寄って(城内見物はしなかったが)再び那覇市内へ。昼食時なので駐車場のある良さそうな食事どころを探して1時間近く市内を回ったがまったくない。沖縄に来てまで本土と同じ店には入りたくないのでグルグル探して、ようやく坪川駅近くの大きな民家風の沖縄郷土料理の店に落ち着く。2時半頃までにレンタカーを返さなければならいないため早めに空港へ。ガソリンは海中道路の近くのほうが那覇市内より10円近くも安かった。普通は地方のほうが高いと思ったがここは逆だった。16:40分那覇発ANA132便で羽田へ。

今回の石垣島を中心とした旅行は非常に良かった。離島から那覇へ着いたとたん、人の多さや景色が一変しある意味カルチャーショックを受けたような感覚に陥る。次に沖縄へ来るとしたらまた離島を中心に滞在したい。今度はどこの島がいいだろう。