あの街この町♪

青春18キップやツアー旅行などエコで省エネな小さな旅日記。

渡良瀬鐡道(2013年8月)

2013年08月23日 | Weblog

今夏の青春切符第2弾は上州渡良瀬鉄道へ。湘南新宿ライン高崎経由で桐生へ9:50着。桐生発10:36分の渡良瀬鉄道に乗車。1両編成。
 高崎駅を乗るときまでは一緒だった同じ青春切符の中年夫婦と女性二人組は桐生駅に着いた時には両方とも姿は見えなかった。
 6番線の渡良瀬鉄道のホームに上がると、電車の入口で女の子と丸い小太りの車掌さんが乗車券のチェック。なぜ二人も車掌さんがいるんだろうと不思議に思いながら乗車。社内は向かい合わせの席でかなりガラガラ状態だったが、出発時刻が近づくにつれだんだん乗客は増えたが、全員がゆったり座れるほどの混み具合。
 大間々駅を過ぎたところで列車は緑の深い渓谷沿いを走る。
そのうち、車両の最後備に立っていた二人の車掌さんのうち女の子のほうが乗客に向かって沿線のガイドをはじめた。女の子はガイドさんだった。
 電車は渡良瀬川沿いの山中を縫うように走る。周囲の景色や列車の雰囲気はどこか飯田線によく似ている。眼下の渡良瀬川はライン下りの舟こそないが京都の保津川下りで見た景色とオーバッラプする。沿線には滝あり、温泉駅あり、築100年駅舎ありガイドさんの案内がある度に右を見たり左を見たり、一瞬なので見逃したらおしまい。
 車窓の景色を眺めていると今度は二人の車掌さんが車内販売を始めた。
渡良瀬鉄道の「ワッシーくん」のキャラクターグッズなどが小さな子供連れを中心にそこそこの売れ行きだ。これもローカル線ならではの風景。

社内販売風景

 やがて本日の目的地神戸(ごうだ)駅に到着。所要時間約1時間。ほとんどの乗客が終点まで行かずここで降る人が多い。駅周辺には特に見所はなく、一番近くの美術館まではバスで移動するしか交通手段はない。この駅で降りる人の大半の目当ては、駅の構内(といってもわずか数メートル)にある電車の車両を丸ごと食堂として利用しているレストラン「清流」での食事だ。
 車両は2両編成だが、今日の客数では1両でも十分空席がある。食堂は2人の女性が切り盛りしていて、列車が到着するといっぺんにお客が来店するので大変だ。お勧めは舞茸たっぷり使った舞茸定食や舞茸天ぷらうどんなど。
 とはいっても何分二人で作っているので、家族連れなどは注文したメニューによっては出来上がりがバラバラなので一緒に食べられないなんてことも。

神戸駅全景。ホーム横には列車食堂


 昼食後は帰りの12時50分発のトロッコ列車まで時間があったので近くの河原まで散策。
川岸の岩場や水の流れの形など川全体の景観は長瀞のような雰囲気がある。
 トロッコ列車発車の時には地元の駅員さんが自家製のきゅうりの浅漬けや茄子などの地元の野菜を駅弁売りのように車窓の客に売っている。これもローカル線ならではの風景。

駅弁ならぬ野菜売り。自家製きゅうりの浅漬けが大人気!

トロッコ列車「ワッシー2号」は2両編成で前の車両は窓付きの普通車両。後ろがトロッコ車両だ。トロッコ車両は新しくきれいだ。乗車率6割といったところか。
 往路で見落とした見どころも復路では、ガイド車掌さんの案内に合わせて列車もその場所でスピードを落としてくれたりしたので来る時よりも余裕をもって景色を楽しむことができた。
途中駅では童謡「ウサギとカメ」の作詞者の出身地を記念したウサギとカメの像も。

童謡ウサギとカメの発祥地


 桐生駅に到着。ちょうどこの日は夏の甲子園の決勝戦。初出場の地元の前橋育英高校が宮崎の延岡高校との熱戦の真っ最中。駅構内のTV中継で見たときは8回表の前橋の攻撃で4対3でリード。前橋の攻撃が終わったところで残念ながら電車の発車時刻となり、後ろ髪を引かれる思いで車内へ。高崎駅へ到着すると「祝前橋育英高校初優勝!」の電光掲示板が目に飛び込む。
 あー良かった。優勝おめでとう。今年の甲子園はピッチャー、バッターとも逸材が多かったように思う。個人的には菊池雄星くんの花巻東を応援していたが、初出場初優勝の前橋育英の二年生の
高橋光成くんの5試合2失点は見事。
 上州からの帰りは久しぶりの大宮の「力」のガツ刺しと焼き鳥で一杯。この日は懸念されたゲリラ豪雨もなく無事に帰路へ。

清水の次郎長(2013年8月)

2013年08月21日 | Weblog


 猛暑が続く中、青春18切符で次郎長親分の故郷遠州清水港へ。
今回のルート(清水駅9:24着~市内観光バス「次郎長寺」~河岸市(まぐろいっぱい丼)~清水12:47発 ~ 浜松14:15着~市内観光バス「浜松城」~浜松発17:32~熱海駅20:14着)

 清水市はちびまるこちゃんの作者さくらももこさんの地元。
駅の構内やバス停標識など市内のあらゆる場所にちびまるこちゃんがいっぱい。
 市内観光の100円バスでは地元のボランティアの方の観光案内で市内見学。富士山を見ているという次郎長の像がある梅蔭寺の次郎長の墓の周りには大政、小政、石松などの子分の墓や三人の奥さん(おちょうさん)墓が次郎長を囲むように祀られてる。削られた墓石は博徒の宿命か。



 次郎長には三人の奥さんがいて三人とも「おちょう」という名前とは知らなかった。おちょうさんは一人ではなかった。
次郎長には幕末のヤクザの親分という知識しかなかったが、地元へ来て、維新後は英語教育や清水港の
建設に尽力し、日露戦争の広瀬中尉や榎本武揚、山岡鉄舟とも深い親交があったことや、山岡鉄舟から戊辰戦争を憂いた次郎長に贈られた「精神満腹」の立派な額があることなど初めて知ったことが多かった。
 寺の境内にあう次郎長博物館には、次郎長本人はもちろん、大政、小政のほかにも三代目おちょうさんの写真なども、次郎長の衣装や喧嘩道具などの遺品と一緒に展示されておりなかなか興味深い。

大政、子政

 寺から歩いて5分くらいのところの次郎長の生家にもたくさんの次郎長関連の写真がかざられている。
地元商店街の次郎長通りは今はシャッター通りと化し、閑散として人通りはない。
 今回、次郎長の地元を訪れたことで、人生劇場の「吉良の仁吉」も荒神山の喧嘩で落命したことや、森の石松が29歳で金毘羅さん代参の帰りに都鳥一家に金を奪われ殺されたこと。後年、次郎長により石松の復讐を遂げたことなど初めて知ったことが多かった。
 任侠の世界で名を挙げた次郎長も晩年は港のおじいさんと呼ばれ、近所の子供たちや生活に困っている人などにお菓子などを与えていたとい逸話も残っている。

 昼食は港近くの寿司ミュージアムを通り過ぎ、清水河岸の市2階の「魚市場食堂」で名物の漬けマグロいっぱい丼を注文。この店はTV東京のアドマチック天国で紹介された店だが店内は比較的空いていた。
 客のほとんどが注文するまぐろいっぱい丼は、ボウルいっぱいに入った漬けマグロのぶつ切りを客がストップというまで文字通り山盛りにドンドン載せてくれる。マグロのわんこそば状態だ。これで750円は
お得感と満足感ともたっぷり。但し、おかずで注文した桜海老のかき揚げはなんともお粗末だった。

漬けマグロいっぱい丼。ストップというまでどんどんマグロが山盛りに。


 次は、清水駅12時47分発の浜松行きで一路浜松へ。
5両編成の社内は座っていると背後から真夏の日差しがジリジリと照り付け、社内の人いきれで冷房がまったく効いてないような蒸し暑さ。身体中が火照って熱くなり息苦しくなって、熱中症寸前までになってしまった。持参の生温くなったペットボトルで水分補給しながらようやく浜松に到着。疲れた。 
 この前浜松に来たときは冬で寒かったが、この夏はとんでもない猛暑でとにかく暑い。季節がよければ歩ける距離の浜松城へ路線バスで向かう。
 広い浜松城公園の中にある浜松城は一部工事中で、城の大きさ的には小田原城よりやや小ぶりといった感じの城だが、若き日の家康が29歳から45歳までの17年間居城して天下に打って出た城で、別名「出世城」として名高い。
 城の石垣は野面積み(のづらづみ)という自然のままの形で積み上げる工法で400年以上もこの城を支えている。天守閣からは武田信玄に敗れた三方原方面や浜松駅のシンボルタワーであるアクトシティなどが遠望できる。

 400年以上前の野面積みの石垣の上に建つ浜松城


 三方ガ原の戦いに敗れて帰城した家康が鎧を掛けたと伝わる五代目の「鎧掛けの松」


 城内には家康の立像や戦いに敗れた家康の鎧掛けの末、滝や池のある日本庭園などがあり、「家康の散歩コース」として市民の憩いの場所となっている。
 城からの帰りは市内観光バスくるる号で市内を二周。駅の東側にも行ってみたが西側の賑やかさはない。予定より遅くなったが、17時32分の熱海行で一路帰路へ。夏のこの時間はまだ陽が高く、前回来た時よりもゆっくり車窓からの夏景色を眺めることができたので乗車時間は多少短く感じられた。
 途中、小田原駅で遅い夕食とビールを調達して再び車内へ。お疲れさん。