ちょこっと山歩き

山が大好きな30オトコの思い出登山日記です
が・・・ひとりごとはもっぱら「食」のコト

【4日目】マンザナール収容所跡。迷った挙句のデスバレー国立公園。

2012-08-11 16:15:48 | アメリカ国立公園の旅
2010年9月13日

Curry Village===タイオガロード===モノ湖===
マンモスレイク===マンザナール収容所跡===デスバレー国立公園

モノ湖を出発して、近くのジューン・レイク・ループ・ロードをループしてみる。


June Lake Loop Road

湖がたくさんのループロード。
どうやら別荘地みたいです。

その後、一気にUS-395を南下。別名「パノラマ街道」。
右手にはシエラネバダの山並みが続きます。

途中、マンモスレイクにも寄ってみるけど何気ないリゾート地。

そして、もう嫌というほどUS-395を南下。


MANZANAR NATIONAL HISTORIC SITE

目指していたのはここ。
マンザナール収容所跡。

ちょうどこの年の11月ここを舞台にしたテレビドラマが放映されましたね。
SMAPの草剛が主演した「99年の愛 ~JAPANESE AMERICANS~」。
このドラマの存在は知らなかったのでまさかここを舞台にしているとはとビックリ。
まさにタイムリーな場所を訪れていたんだなぁと。


日本人とゆかりの深い場所

で、マンザナール収容所跡、ってなに??
となる方がほとんどかと思いますが、
ここはとっても日本人とゆかりの深い場所なんです。

ゆかりの深いといってもポジティブではなくネガティブ。
それは「収容所」という言葉からも想像がつくと思います。


往時を偲ぶ品々

そう、ここは、第二次世界大戦中に日系アメリカ人が収容された収容所の一つなのです。
収容所には最も多くて10,046名の日系アメリカ人が収容されていたようです。


おびただしい名簿


収容所の跡地

写真ではわからないかもしれませんが、
ここ、とてつもなく暑いです。
こんなところで生活していたなんて信じられません。


慰霊塔

収容所は1945年11月に閉鎖されたそうですが、
収容者の大部分は財産を失い帰る家もなかったため、
同所への在留を希望したそうです。

ここでは135名が死亡し、15名が同所に埋葬され、残りは故郷の墓地に埋葬されたとのこと。

立派な「慰霊塔」が建立されています。


さて、今宵の宿はすでにとってある。
そうヨセミテValleyのCurry Village。
戻る予定だったのです。

しかし、一度は行きたいデスバレー国立公園はもう目と鼻の先。
ヨセミテに戻るよりはるかに近い。ここから1時間。

どうする?どうする?どうする?

行っちゃうかーーーーー!!!

ということで予定変更。
ヨセミテの宿代は無駄になってしまったけど仕方ない。
いざ、デスバレー国立公園へ。

ちなみに、デスバレー国立公園はラスベガスの近くです。
つまり、サンフランシスコからラスベガスの近くまで来た、ということになります。
なんともまぁ、果てしなく運転してきました。


デスバレー国立公園

デスバレー国立公園は危険です。とっても危険です。
デスバレー。つまり、「死の谷」。なわけです。

ここ、とてつもなく暑いんです。
夏は50度を超えることも。。
これまで最高気温は57度だそう。

車の故障率も高いとかでマジで気をつけなければなりません。


谷の上からみるデスバレー

もうここも国立公園内ではあるのですが、
ほんとのデスバレーは谷の下に広がっています。


デスバレーに続く道

ちなみにこのデスバレー。
西半球の最低地点がここにあります。
海抜マイナス85.9m。


谷底

下りに下ってようやく谷底に到着。
暑くて窓は開けてられません。


42度

噂通り、というか、もうとにかく暑いのなんのって。
外に出ようものなら熱風で顔が痛くてたまらない。

それに、車の故障が怖くて怖くてしかたがない。

というか、今日の宿は急遽予約。
幸いに公園内の宿をとれました。

明日はデスバレー国立公園をみてまわりヨセミテ国立公園へ帰ります。


朝:カップヌードル / 昼:ホットドック / 夜:なし 

【5日目】アツアツ。激アツ。デスバレー国立公園。


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