醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  426号  白井一道

2017-06-12 12:33:28 | 日記

 吉井勇の酒

 猪野々なる
 山の旅籠の
 夕がれい
 洒のさかなに
 虎杖(ひたどり)を煮る
 土佐の国、猪野々の里にて詠みける歌という前書きがある。虎杖(いたどり)は夏、至るところに生える野草である。
 山深Eい猪野々の里の旅籠で夏の夕べ、酒の肴に虎杖を煮た。粗末な野草を肴に夕暮れどき酒を酌む。広葉樹の茂る山の一軒宿、自炊しながら宿をとる。貧しい旅人の夏の夕暮れを彷彿とする。
 母刀自(とし)の
 老のおもかげ
 夜目に見ゆ
 酒な飲みそと
 云ひたまふごと
 吉井勇のお母さんはいいお母さんだった。山深い一軒宿の夏の夜の闇の中に老いた母の面影を見る。もう一本、飲むかいと囲炉裏で母が爛をしてくれる。うーん、こんな母が昔はいた。最近の母はこうは言わない。「体に悪いからもうやめなさい」。母の温もりがこの歌にはあるように感じるのは私だけだろうか。
 にごり酒
破竹虎杖(いたどり)
 乾ざかなありて
 たのしも山の夕餉(ゆうげ)も
灘や伏見の澄んだ酒ではない。当時の地酒は濁り酒だった。いやドブロクだったのかもしれない。貧しい旅人にって清酒を飲むことはできない。質素な山の食材の料理と濁り酒、それが楽しい。きっとそこには人の温もりがあったのだろう。
 ほのぼのと
 涅槃を恋ふる
 こころもて
 ねむり薬に
親しみにけり
眠り薬とは、濁り酒のことなのだろうか。涅槃を恋ふとは。生きる苦しみから解き放れたということなのだろう。はろ酔いかげんで眠りにつくのは、涅槃に遊ぶこと。毎日濁り酒に親しむようになった。
寂しければ
垣に馬酔木を
植ゑにけり
棄て洒あらば
ここに濯(そそ)がむ
 古井勇も酒を飲み残すことがあつだ。馬酔木と話をして寂しさを忘れよう。おまえも酒が飲みたかろう。飲み残した酒を馬酔木にそそいだ。
寂しければ
催馬楽(さいばら)めきし
ざれ歌も
酔いのまぎれに
うたひさふろう
一人、濁り酒を飲み、酔ってきた。話し相手もいなにいので催馬楽のようなざれ歌をうたい、楽しもう。
 寂しければ
 炉に酒を煮て
 今日もあり
 韮生山峡
 冬深みつつ
 今日も一人、濁り酒を囲炉裏にかけ、土佐の山里の冬は深まり行く。
月夜よし
 こよいの酒の
さかなには
生椎茸を
焼くべかりけり
晩秋の夜空に輝く月は美しい。囲炉裏で焼いた生椎茸をつまみに酒が飲める。椎茸の香が漂って来る。
シンと静まった山里の冬。煙の立ちのぼる民家がぽつりぽつり。洒を飲んでは、心に広がる深ひ静かさを古井勇は詠っているように感じる。きっと寂しさを深く味わい。その寂しさに感動している。