醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  436号  白井一道

2017-06-21 13:22:48 | 日記

  無気力症を想う

 五十前後だったかな。支店長が無気力症になってね。細かなことにも気のつく、どちらかというと行員に配慮が行き届いだ方の支店長だったかな。ある朝、余裕をもって出勤の支度をしようとネクタイをしめようとしていたとき、突然、なんでネクタイなどを俺は締めようとしているんだろうと疑問に思ったというのだ。そしたら何もかもが面倒になってしまった。一気に力が抜けるとネクタイをしめることができなくなってしまった。ズボンをはくことができない。それでも奥さんの力を借りて何とか出勤の支度をして銀行にきたが仕事ができない。仕事をする気力がなくなってしまった。初めは、体の調子が悪いのかな、と思っていた。俺は支店に何人もいるションペン代理の一人だったんだけど。驚にいたよ。一日、何もしないでボーツと支店長の椅子に座ったままなんだからね。
 カイちゃんは一流銀行の支店長代理で定年をむかえ、今は年金生活をしている。商業高校を卒業し、成績の炭かったカイちゃんは憧れの銀行に就職した。真面目に一所懸命に働き、五十前後になって支店長代理になった。四十代後半で取引先の会社に片道切符をもらって出向することもなく、銀行に残って定年を迎えた。四十年近く銀行業務に勤しんできたカイちゃんには自分と同世代の一流私大を出て、コースにのっていた支店長が無気力症になってしまったことがわからないと言う。
 外見は今まで通りだけれどね、家庭では大変だったみたい。朝、起きない。奥さんが何度も呼びかけ、布団をはいで起こす。自分では髭も剃らない。整髪もしない。何もしない。奥さんか怒鳴り、顔を洗う。一つ一つのことがとても大儀そうで、子供を叱り付けるように出勤の支度をだらだらとしていたみたい。最近なんだか、無気力症にかかった支店長の気持ちが分かるような気がするんだ。毎口、朝起きても出勤するところがないと顔を洗い、髭を剃り、整髪するのが億劫だものね。身の回りを清潔に保つのは、大変な気力を必要する営みだってことが分かるような気がする。無意識のうちに体を動かしていることがなんとも感じなかったけれど、定年をむかえてから、それが大変なことだったんだと思うことがあるね。支店長は1ヵ月近くそんな状態だったけれど、病気療養になったんだけれど、その後どうしたかな。最近、時々、無気力症になった支店長のことが思い出されるんだ。
 「リストラ」という言葉が流行り出したころだからね。初め「リストラ」と言われても、分からなかったね。そのうち首切りのことだと分かってきたけど、まだ実感はなかった。支店長は分かってにいたのかもしれない。リストラという事態を自分白身の問題として提起できなかった。どのように経営の効率化をはかるのかということが自分白身の問題として考えることができなかった。これ以上の効率化なんて考えられなかった。漠然と他人事だと思っていた。しかし上からはリストラを求められた。気の優しい女店長だったからどのようにリストラするか、毎日考えていてもどうしても自分の問題とは思えなかった。そんな時だったんじゃないかなあー。ある朝、ネクタイを締めているとき、なんで俺はネクタイを締めているのかと思ってしまった、今まで無意識のうちに行ってにいた一つの動作に疑問を持ち始めると日常生活のすべてに対して億劫になってしまった。それが無気力症だったように思うんだ。