酒を讃える万葉集の歌人 旅人
生ける者 遂(つひ)にも 死ぬるものにあらば この世なる間は 楽しくをあらな
大伴旅人(万葉集)
この歌には「酒」という言葉はない。「楽しくをあらな」という言葉が酒宴を意味している。生きている者はいずれ死ぬと決まっているのだから、この世にいる間は楽しく暮らそうではないか。旅人は生きている今を楽しもうと言っている。この世の楽しさを全面的に肯定している。旅人の酒を讃える歌に「この世にし楽しくあらば来む世には虫にも鳥にも我はなりなむ」がある。この歌にも「酒」という言葉はないが、酒を讃えている。この歌も「生ける者」の歌と詠った心と同じである。この世は本当に苦しい。こんなに苦しい世界が本当の世界であってなるものか。本当の世界は、蓮の花が咲き乱れ、穏やかな気候のところであるに違いない。苦しいこの世は虚仮の世界、空無な世界、本当の世界はあの世、来るべき死後の世界こそ、本当の世界と考えたのが仏教の世界である。この仏教を支配のイデオロギーとして用いたのが奈良時代であった。その支配者の一人であった旅人が仏教の世界観に反する歌を詠っている。これらの歌は仏教思想を批判していると解釈することも可能であろう。そのように解釈した文芸評論家もいる。例えば山本健吉は『仏教の来世思想を皮肉って(大伴旅人は)現世を謳歌し」ていると述べた。この解釈に対して私はどうも納得しない。仏教のものの見方、考え方、感じ方というものが八世紀の日本人の中に定着していたとは考えられない。外来思想として仏教は入って来たばかりなのだから
彼らは支配階級の一人であったとしても、仏教の心性まで理解した上で、仏教の心を批判することはできないだろう。旅人は仏教の世界観を前提した上で酒讃歌を詠ったのではなく素直に自分の気持ちを表現しただけのように思えてしかたがない。
中国、朝鮮、日本が位置する東北アジアの人々はこの世を生きやすいところと感じていた。この地域にあって人々は生きることが苦しにいとは感じなかった。気候が温暖、湿潤のため、豊かな実りが期待でさる。この世にいつまでもいつまでも生きていたいと感じていた。自分が死んでも、自分の魂は子供に引き継がれ、さらに孫に引き継がれて行くと感じていた。草葉の陰に隠れている魂は祖先祭祀の儀式の際には、再生し、位牌によりつく。生命の連続を古代日本に生きた人々は日々感じていた。今でもお盆には先祖様の霊魂を迎え、仏壇には提灯を灯し、線香を焚き、海の物山の物、畑の物を供える。こうして仏さんは家に帰って来る。お盆が終わると送り火を灯し、線香を炊き、お墓に帰す。お盆の行事は現世を肯定する儒教の死生観から来ている。旅人は儒教の死生観
そのものを詠った。仏教が教える死後の世界を肯定する気持ちなど少しもなく。ただ自分の気持ちを正直に表現した歌が「生ける者 遂にも死ぬる ものにあらは この世なる間は 楽しくをあらな」であった。これを刹那的享楽主義ということはできない。この世に生きることの楽しさを素朴に詠ったように感じる。
儒教が説く死生観は東北アジアに共通するもののようだ。儒教の教えを意識することなく、連綿と続いて来
た日本人の死生観に基づいて旅人は、酒を飲む楽しさを詠った。