酒造りに命を燃やす男
造り酒屋の蔵人になれば、思う存分酒が飲める。良い働き口があったものだ。「働かしてくれるかい」。蔵元は顔を綻(はころ)ばしてうなずいた。晴れた日は青空の下で建設関係の仕事をしていた。冷たい風に頬をさらし、体を動かすと生きていると感じた。雨が降った日は蔵で酒造りを覚えた。冬、蔵に寝泊まりして、酒造りをしながら、昼は建設関係の仕事をした。酒造りの魅力は何といっても造りたての酒が飲めることである。酒を飲みながらの仕事、楽しい。どんなに厳しい作業であっても辛いと感じたことはない。米が麹になっていくのを見つめているだけで楽しい。酵母が増殖していくのを見るのはいくら見ても飽きることがない。少しづつ少しづつ酒造りが分かってくる。建設関係の仕事も面白かったが酒造りはさらに面白い。
埼玉の名酒「力士」を醸している副杜氏、加藤克則氏は三重県、伊賀上野の造り酒屋で酒造りを覚えた。たまたま建設現場近くに造り酒屋があった。仕事の合間に酒造りの手伝いをした。これが本職になった。
埼玉県騎西町のメーンストリートにある釜屋さんに入った。鉄筋コンクリート造りの近代的なオフィスである。受付には若い女性がいた。蔵見学と副杜氏、加藤克則さんの話を聞きにきた旨を述べるとオフィスの奥まった所の大きな机に向かって事務をとっていた年配の職員が釜屋と銘うった作業着を着て急ぎ足でやってきてくれた。
従業員が作業着のユニホォームをもっている。釜屋さんは酒造メーカーなのだ。表から見た感じでは物流センターといった趣(おもむき)である。輸送のための大きなトラツクが自由に出入りできるようになっている。二千石前後の蔵は、酒造りの真っ最中であっても屋敷全体が森閑としていて、その中で人が生活し酒が毎日造られているような騒がしさが何もない。寒く、静まりかえっている。しかし釜屋さんには、入の温もりが感じられた。事務所には若い受付嬢がいる。男性の事務職員がいる。トラックの出入りがある。中規模の食品メーカーという装いである。
私は藤塚営業企画部長さんに案内されて酒造りの作業場に案内された。
一人パソコンに向かい、マウスを動かしている人物に紹介された。11月下旬、酒造りの真っ最中である。ジーンズにTシャツ。無造作にジャンパーを羽織っている。大きな体、胸が厚い。パソコンに集中していた顔を私たちに向けた。職人というより芸術家という出立ちである。
米を水に何分浸けると水分をどのくらい吸水するのか、麹菌がハゼルのに何度くらいの温度が必要か、加藤副杜氏は自分かいなくなっても酒造りができるようにデーターをパソコンに人力しているところだった。加藤副杜氏は旨い酒を造ってくれ、釜屋の社長請われ、福岡県から単身赴任してきた。家族と離れ、「力士」の寮に人り、酒造りに全力を注いでいる。十月、酒造りが始まってからまだ一度も休みを取っていない。いや五月末に酒造りが終わるまで一度も休みを取ることなく働く。正月も家に帰らないで酒造りをする。朝は四時に起き、仕事を始める。麹造りが酒質を決める。麹は生き物だ。麹造りに杜氏の腕がなる。深夜まで麹を見守り続ける。酒造りそのものが加藤副杜氏の元気の源のようである。