天理市で2回目の鍾馗さん探しをする前日に、kiteさんから
丹波市町にある「道路上の超短いアーケード?」が健在かどうか
確認してきてほしいと依頼がありました。
左側の建物が似つかわしくないですね。
なら、これでどうや!
ご覧の通り、アーケードは健在でした。
この建造物について触れているホームページを見つけました。
「遙か彼方 2012 気まぐれ日記」に、昭和12~13年ごろの古い写真が掲載されています。
また、「すこやかさん」でも取り上げられています。
撮影日:2012年10月26日
撮影地:奈良県天理市丹波市町
丹波市町にある「道路上の超短いアーケード?」が健在かどうか
確認してきてほしいと依頼がありました。
左側の建物が似つかわしくないですね。
なら、これでどうや!
ご覧の通り、アーケードは健在でした。
この建造物について触れているホームページを見つけました。
「遙か彼方 2012 気まぐれ日記」に、昭和12~13年ごろの古い写真が掲載されています。
また、「すこやかさん」でも取り上げられています。
撮影日:2012年10月26日
撮影地:奈良県天理市丹波市町
なんとなく郡山あたりだったと思ってましたが・・・だいぶ記憶が薄れてます。
しかしこんなのがまだ残ってるとは
できるだけ行くのを避けていた感があります。(^^;
あの黒い法被姿の集団を見慣れていないせいかもしれません。
>二十歳前後の時にこれを見ました。
天理市のホームページを見ても見当たらず、
記録として残っていないのでしょうね。
個人の記憶として残っているだけではもったいないですよね。
私はkiteさんから確認を頼まれるまで知りませんでした。
アーケードの下を車が走っている写真を撮りたかったのですが、
通りかかってはくれませんでした。
話は変わりますが、天理市観光協会のホームページ内に
地名に関する「大字の由来」というページがありました。
http://kanko-tenri.jp/ooaza_yurai/index.html
その中の丹波市を見ると、
「ここが中世末になって上街道に沿った市場として発達して丹波市となりました」
とあります。
地名に限らず、このような建造物はぜひ残してほしいですね。
記憶をたぐると、車ですれ違うのも難儀な上街道が、あの一角だけかなり広くなっていて、それなのにアーケードがあって結局クルマで通るには相当邪魔になっていますよね。
道が広くなっているのも市があった跡だとすれば納得できますし、不自由なものをあえて地元の方が残されているのもすばらしいですね。
大変でしょうが、残していっていただきたいですね。
ぬくもりを感じる建造物なので、教えていただいてよかったです。
それに通り道でしたから。
教えていただかなければ、たぶん素通りしていたように思います。
鍾馗さんを探していると周りが見えなくなりますからね。
>クルマで通るには相当邪魔になっていますよね。
それは言えますが、このアーケードの南北100メートル強だけの道幅が広くなっており、
アーケードがあることでスピードの抑制につながっているようにも思いました。