写真のように玄関は道路から引っ込んでおり、ほかに探しようのない目につきやすいところに置かれている。
道路から庭の方へ入りかけると、ちょうどおうちの女性が出てきたところで、許可をいただいて、存分に撮らせてもらうことができた。
京都系の鍾馗さんだが、師匠のkiteさんの収蔵室で調べてもそっくりさんは見当たらず、
この写真をメールで送ったところ、「見たことのない鍾馗さんです。」との返事をいただきました。
立ち去るため振り向いてお礼を言っているとき、机の上においしそうなイチジクが載っているのに気づいた。
商品として出荷するため箱に詰めているところだったのだ。
「うわぁ、おいしそう~!」と、思わず口から言葉が出てしまった。(^^;
すると、2、3個手にとってくださろうとするので、「ひとつでいいです」。
=2010年9月29日撮影 (地図)
ずいぶん離れたところからチェックしていて、「煙出し」の屋根の下に何か置かれている気配がした。
カメラのズームを最大にして確認すると、やはり鍾馗さんだった(下の写真)。
野性味たっぷり(この写真は2010年10月11日再撮影)。
「かなん」と読み、太子町の南に位置する。
=2010年9月25日撮影 (地図)
N田さんちのお兄ちゃん、見てくれていますか?
お兄ちゃんちの鍾馗さんですよ。
(上の写真は2010年12月5日撮影)
ここは藤縄への入り口で、上の写真の青い標識のところを左折する。
昨日紹介した鍾馗さんの写真を撮ったあと、この商店の前をゆっくり通りかかった。
(このときは帰り道なので、車は手前の方へ来ることになる)
なぜだかわからないが、今回はめちゃくちゃ気になる佇まいだったのである。
車の少ない県道なので後ろから警笛を鳴らされることはない。
軒下から玄関の周りに目を走らせる。
鍾馗さんの影が目に入ると同時にバックミラーを確認してブレーキを踏んでいた。
この鍾馗さんも、まーきみ。さんが見つけた鍾馗さんと作り方が同じで、柱にぴったりフィットし安定感を増しており、
両方とも「質実剛健」で、職人さんの腕の確かさが感じられる。
家に戻ってから、西予市の鍾馗さんと、この鍾馗さんの写真を、服部さんとkiteさんにメールで送ったところ、
お二方から期せずして同じようなコメントが返ってきた。
服部さん……よく似ていますね。同じ瓦屋さんが作ったといってもわからないくらいです。
kiteさん……なんとなく似ていますね。同じ人が作ったように感じます(感覚的なものですが・・)
私もこの鍾馗さんを発見したとき、両者の醸し出す雰囲気が非常に似ていると感じたのである。
前回きたときは、この商店の前に車を止めて郵便ポスト(掛箱という)の写真などを撮っており、
その写真を見直したところ、紛れもなく鍾馗さんが写っていたのである。鍾馗さんは矢印部分=2010年12月5日撮影。
はぁ~ 恥ずかしい。
年輪を重ねた女性とお孫さんらしきお兄ちゃんが留守番をしていた。
女性にお話を伺うと、
「鍾馗大臣は、おばあちゃんのころからのもので、私には……」との返事だった。
火曜日にKさんに電話した際、ここでも見つけましたよ、と伝えたところ、
「あのお宅はN田さんといい、大工さんなんですよ」と教えてくださいました。
大工さんであれば、この集落でお仕事をされているだろうから、ほかにも置かれている家があるかもしれない。
この鍾馗さんといい、昨日紹介した鍾馗さんといい、私が再訪するのを待ちわびていたのだろう。
そう思うと、「アホでよかったなぁ~」と。
=2011年2月6日撮影
お兄ちゃんちの鍾馗さんですよ。
(上の写真は2010年12月5日撮影)
ここは藤縄への入り口で、上の写真の青い標識のところを左折する。
昨日紹介した鍾馗さんの写真を撮ったあと、この商店の前をゆっくり通りかかった。
(このときは帰り道なので、車は手前の方へ来ることになる)
なぜだかわからないが、今回はめちゃくちゃ気になる佇まいだったのである。
車の少ない県道なので後ろから警笛を鳴らされることはない。
軒下から玄関の周りに目を走らせる。
鍾馗さんの影が目に入ると同時にバックミラーを確認してブレーキを踏んでいた。
この鍾馗さんも、まーきみ。さんが見つけた鍾馗さんと作り方が同じで、柱にぴったりフィットし安定感を増しており、
両方とも「質実剛健」で、職人さんの腕の確かさが感じられる。
家に戻ってから、西予市の鍾馗さんと、この鍾馗さんの写真を、服部さんとkiteさんにメールで送ったところ、
お二方から期せずして同じようなコメントが返ってきた。
服部さん……よく似ていますね。同じ瓦屋さんが作ったといってもわからないくらいです。
kiteさん……なんとなく似ていますね。同じ人が作ったように感じます(感覚的なものですが・・)
私もこの鍾馗さんを発見したとき、両者の醸し出す雰囲気が非常に似ていると感じたのである。
前回きたときは、この商店の前に車を止めて郵便ポスト(掛箱という)の写真などを撮っており、
その写真を見直したところ、紛れもなく鍾馗さんが写っていたのである。鍾馗さんは矢印部分=2010年12月5日撮影。
はぁ~ 恥ずかしい。
年輪を重ねた女性とお孫さんらしきお兄ちゃんが留守番をしていた。
女性にお話を伺うと、
「鍾馗大臣は、おばあちゃんのころからのもので、私には……」との返事だった。
火曜日にKさんに電話した際、ここでも見つけましたよ、と伝えたところ、
「あのお宅はN田さんといい、大工さんなんですよ」と教えてくださいました。
大工さんであれば、この集落でお仕事をされているだろうから、ほかにも置かれている家があるかもしれない。
この鍾馗さんといい、昨日紹介した鍾馗さんといい、私が再訪するのを待ちわびていたのだろう。
そう思うと、「アホでよかったなぁ~」と。
=2011年2月6日撮影
次に向かったのは昨年12月に訪れた大洲市藤縄である。
慌てん坊将軍さんが発見した、この鍾馗さんがどこから来たのか解明するための再訪だ。
前にきたときは「八幡浜で瓦屋さんをやっており、名前はKさん」と聞いて、
ネットで調べればすぐに見つかる、と高をくくっていたのだが……。
(屋号でお仕事をされていると屋号がわからなければ手がかりにならない!)
今回もKさんは留守だったが、前回お話を聞いた隣家の方にKさんの連絡先を教えていただくことができた。
現地へ行ったのが日曜日で、火曜日にKさんに電話してお話をうかがったところ、
「八幡浜から三崎へ抜ける道の、トンネルを出てすぐの保内町の鼓尾だったと思う」とおっしゃっていました。
(以志橋福助さんの期待を裏切る返答でした)
両家の庭を横切って引き揚げる際、Kさんの庭に見慣れたものが置かれているのを見つけた。
どっひゃあ~ ここにもいるぅ~~。
前回はKさん宅の玄関から離れたところで隣家の方からお話を聞いたので、ここまで足を踏み入れていない。
腰を下ろして悠然と構えている姿は頼もしい。
Kさんに電話した際、この鍾馗さんの“出身地”を尋ねてみたが覚えておられませんでした。
寄せ棟造り(だけとは限らない)の大棟の両端に置かれていた片割れのようだ。
亀の甲羅のような置き台がそれを物語っており、1対(2体)であげられていたのだと思う。
明浜町の鍾馗さんは上の写真のように置かれている=2010年11月6日撮影。
普通の人なら用件は一度で終わらせてしまうのだが、
私は要領が悪く、あとで「しまった! あれも聞いておけばよかった」ということがたびたびある。
今回はこの“アホさ”が、愛媛県内で11体目の鍾馗さん発見につながり、
そして、ここからの帰り道、更なる幸運(12体目発見)が舞い込んできたのである。
=2011年2月6日撮影
慌てん坊将軍さんが発見した、この鍾馗さんがどこから来たのか解明するための再訪だ。
前にきたときは「八幡浜で瓦屋さんをやっており、名前はKさん」と聞いて、
ネットで調べればすぐに見つかる、と高をくくっていたのだが……。
(屋号でお仕事をされていると屋号がわからなければ手がかりにならない!)
今回もKさんは留守だったが、前回お話を聞いた隣家の方にKさんの連絡先を教えていただくことができた。
現地へ行ったのが日曜日で、火曜日にKさんに電話してお話をうかがったところ、
「八幡浜から三崎へ抜ける道の、トンネルを出てすぐの保内町の鼓尾だったと思う」とおっしゃっていました。
(以志橋福助さんの期待を裏切る返答でした)
両家の庭を横切って引き揚げる際、Kさんの庭に見慣れたものが置かれているのを見つけた。
どっひゃあ~ ここにもいるぅ~~。
前回はKさん宅の玄関から離れたところで隣家の方からお話を聞いたので、ここまで足を踏み入れていない。
腰を下ろして悠然と構えている姿は頼もしい。
Kさんに電話した際、この鍾馗さんの“出身地”を尋ねてみたが覚えておられませんでした。
寄せ棟造り(だけとは限らない)の大棟の両端に置かれていた片割れのようだ。
亀の甲羅のような置き台がそれを物語っており、1対(2体)であげられていたのだと思う。
明浜町の鍾馗さんは上の写真のように置かれている=2010年11月6日撮影。
普通の人なら用件は一度で終わらせてしまうのだが、
私は要領が悪く、あとで「しまった! あれも聞いておけばよかった」ということがたびたびある。
今回はこの“アホさ”が、愛媛県内で11体目の鍾馗さん発見につながり、
そして、ここからの帰り道、更なる幸運(12体目発見)が舞い込んできたのである。
=2011年2月6日撮影