鍾馗を探そう

鍾馗(しょうき)さんをご存じですか?
魔除けとして、古い民家の屋根などに置かれています。

稚児(ややこ)  (7/31)

2011-07-31 21:46:48 | 折々に
「ややこ」という言葉をご存じですか?
漢字で書くと「稚児」で、赤ちゃんを指します。
いまでは落語の中に出てくるぐらいで、ほとんど使われなくなりました。

「ややこしい」を漢字で書くと「稚児しい」となります。
それでは、「ややこしい」の反対語は?(「簡単」ではありませんよ!)




私事で恐縮です。

7月24日(日)19時56分と58分に、双子(いずれも男)の孫が生まれました。
生まれたときの体重は2,282gと2,084gで、元気に育っています。
私が1月24日生まれなので、ちょうど63.5歳の開きがあります。(^^;

写真は24日20時10分に撮りました。





こたえ:otonashii

琺瑯看板《4》  (7/27)

2011-07-27 12:12:35 | 琺瑯看板
kiteさんが寄稿しているみちくさ学会の「鍾馗」のページが更新されました。
今回は16回目で、「鍾馗さん撮影にまつわるあれこれ」です。
みちくさ学会の鍾馗さんのトップページはこちらになります。
ぜひご覧ください。

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写真を撮っているときはガラスに私の姿が映っているのがわかりませんでした。






琺瑯看板の字体には珍しく明朝体を使っています。


ご主人のおっしゃるには「戦前、それも昭和初期のもの」だそうです。
ネットで検索しても情報はありませんでした。




伊賀市街地《1》  (7/20)

2011-07-20 21:04:48 | 三重県
伊賀市の中心部では、車に積んできた折り畳み自転車に乗っての探索でした。
前回(昨年9月1日)は信楽方面から名阪国道へ出る途中での15分ほどの寄り道だったので、
この地で本格的に鍾馗さんを探すのは初めてになります。

師匠・kiteさんが寄稿している「みちくさ学会」の『江戸人は伊勢を目指した』の中に、

    碁盤目に広がる市街地にも、周辺の集落にも
    上野風とでもいうべき独特の鍾馗さんが数多く見られます。
    伊賀瓦と呼ばれる独自の瓦産業が栄えていて、(中略)
    地元の鬼師が独自の鍾馗さんを産みだしたのだと思われます。


と書かれており、奈良や大阪では見られない鍾馗さんがたくさんいました。









“布団”が敷かれており、大事にされてます。

上の3体は、それぞれ剣の持ち方は違っていても親類に当たります。









上の4体は、それぞれ微妙な違いがあります。



師匠の解説ページ





師匠が「二刀流!?」と題してブログ こちら で取り上げています。
兄弟はこちらです。



師匠のブログ



伊賀市西湯舟(7/19)

2011-07-19 15:23:59 | 三重県
師匠のkiteさんは最近、行く先々で新しい鍾馗さんをたくさん見つけておられます。

2011/6/18 兵庫県西部 たつの市、太子町ほか

2011/7/8 甲賀・伊賀

これだけ見せつけられると、暑い暑いといってはおられません。
上記のどちらにするか悩んだ末に、取り急ぎ13日に伊賀市へ行ってきました。(^^ゞ

伊賀市西湯舟の集落は、市中心部から直線距離にして12キロほど北東に位置しています。
市街地と違って時間がゆったり流れているような気がし、早朝の空気がすがすがしく感じられました。

鍾馗さんが置かれている住宅のすぐそばにある平泉寺に無断駐車して写真を撮っていましたが、
住職さんが見慣れない和泉ナンバーに不審を抱いて出てきました。
私と同年代の住職さんで、無断駐車をお詫びしていろいろ話していると、
本堂の中を見ていきませんか、と声をかけてくださいました。

本堂は文政10(1827)年に落慶法要が営まれたそうで、ずいぶん古いものです。
本尊は、珍しい足の組み方をしているとおっしゃっており、
右足は結跏趺坐(けっかふざ)の形、左足は台座からそのまま下に垂らす形でした。
(私は仏像のことはわからないので、それが珍しいかどうか知りません)

写真は撮っていませんが、大名行列のときに使うような駕籠も置かれており、
昔の住職さんはこれに乗って行き来していたとか。
担ぎ手は地元の人たちで大変だったことと思います。

30分以上お邪魔したあと、伊賀市の中心部へ向かいました。


伊賀市中友田で





倉庫の上に置かれています





「なんじゃ、これ!」というほど多数の飾りが……