SHOTGUN TERRY OFFICIAL BLOG 『ガイコツマイクのバカ大将』

テリー&スラング、テリー&ベアーズのシンガー、ショットガン・テリー(テリー下沢)の珍記録がココにある!

ハル・ファンク氏と会食

2008-05-30 | Weblog
ショットガントイ・ヤフーショップで色々と落札して下さったお客様と中野駅で商品の受渡し。
と言っても、お客様の正体は世界の巨匠、ハル画伯!
すごく久しぶりの再会である!
駅前のサイゼリアに入り、あ~だこ~だと近況報告。
たまりにたまった話を一方的にベラベラとしゃべるオレ!
画伯、聞いてくれてありがとう!すごく楽しかった次第です。
ブロ-ドウェイのCD屋を仲良く手をつないで散策したりして、解散いたしました。


ブルース

2008-05-28 | Weblog
ビー・ブーにスプレー吹いて、仕事でフィギュアにもスプレー吹いて、乾燥待ちしてまた吹いて…。

乾燥を待っている間に愛犬・ブルースと遊ぶ。
すごく狭いスペースながら、ボール遊びをすると喜んで飛びつき……ってワケでもない。
ブルースはかなりの「おっとりタイプ」で、ボールを見てもジーっと考えて、時間をかけてちょっとずつシッポを振って、だんだん喜んで…ってな性格。
ボーっとしててよく転ぶし、一緒に走ってもオレの方が早いぐらいトロい。
でもそれがまた、かわいいんだよね~。
そんなのんびり屋なのに、一部で伝説となっている「テリー散歩中路上爆睡事件」の時には、一生懸命にオレを守って盾になっていたそうで…。
ダメなパパでゴメンね。
ホント、オレにとって、なくてはならないヤツです。

鮎川さん

2008-05-26 | Weblog
昨夜のテレ東「みゅーじん」は鮎川誠さん。
いやぁ~~~~、カッコイイ!
60だって!還暦だよ!
オレがガキの頃の60才ってホントにおじいちゃんっていうか、老人って感じだったけど、ギター抱えてロックしてる鮎川さんに年齢は関係ないね。
年輪を刻んだレスポールとの一体感は誰にもマネできないよなぁ。
シナロケ30周年のライヴからはYMOのメンバーとのセッションがオンエア。
まぁ世間一般視聴者を考えたら当然なんだろうけど…やっぱり、オレの「心の師匠」の一人、菊とやったサンハウスナンバーが見たかったな。
浅田さんが電撃復帰した姿も見たかったし、DVDとか出ないのかねぇ?
とにかく!これからはシナロケの動向にも注目しておかないとっ!

昼飯をファミレスで食おうかなって、ビー・ブーでおでかけ。
信号待ちをしていると、歩行者が皆、ジロジロ見てるぜ。
前にビュー・ブーに乗ってた頃もよく見られたし…ふふ、ヴィヴィオビストロなんて、大量にあふれてる車だけど、オレの手にかかりゃぁ注目のマトかい?なんて悦に入ってたら…よくよく考えりゃボディの途中までがツヤ消しになってる妙~な状態。
皆さん、それを「変だな」って気持ちで見てたのね……。

メーターパネル

2008-05-25 | B-BOO(ヴィヴィオビストロ)
なんちゃってピンスト入りのメーターパネルをつけたぜ。
すごく近づいて見なければ、まずまず可愛いワンポイントって感じかな?

今は外装を進めていて、インテリア関係は手つかずだけど、ステアリングだけはなんとかしたい。
エアバックが暴発(?)したかなんかで、ガムテープでふさいであるんだよね。
ドア内張りも靴の擦り跡だらけだし、革シートもキレイにしたいし…まずは清掃するだけでもガラっと変わるだろうけど、時間が取れた時は塗装にあててるからね~。
まっ、気長にいきましょう!

ナンバープレートボルト交換

2008-05-24 | B-BOO(ヴィヴィオビストロ)
かつて、ビュー・ブーの時もつけていたムーンアイズのナンバープレートボルトを注文。
(2割引きの日を狙って!!)
早速つけて……むむ、片方のワッシャーが欠品しとる!
まぁ問題なく装着できるし、ムーン・ファンのオレなのでクレームはやめておこう。

アジもソッケもないボルトをバレット型に交換するだけでこんなにステキになったぜ!!


ボルトナットの乳首で~♪

二丁目ゴールドよ、安らかに

2008-05-23 | Weblog
クラっちょからの連絡で、ショックな事実を知る。

パワースラムでの、かつての仲間…二丁目ゴールドが去年、亡くなっていたそうだ。
不慮の事故というか、アクシデントというのか…。
もしかすると、そのニュースをテレビやネットで見ていたのかもしれない。
でもそれが、ゴールドだったとは夢にも思わなかったんだろうな。

バンドって不思議なもんで、必ずリハがあるワケだから、プライベートでのどんな友達よりも頻繁に顔を合わせ、同じモノを作っていく作業を繰り返すんだけど、わかれてしまうとそれっきりになってしまったり…。
ゴールドとも、最後はなんか、言い合いというか…ライヴに出ろだの、最初から出られないって言ってあっただの、間に入っていた「B」という男の煮え切らない伝達でモメゴトになったまま、去っていってしまったんだよね。
と言うか、「B」という男を間に入れなければいけないぐらい、その頃の関係は冷えていてねぇ。
活動の最後の方は、アイツはきっと、オレの事を好きではなかっただろう。
オレもずいぶん大人げなかったというか、心が狭かったというか…。
日本テレビの「それって日テレ」っていうキャンペーンの時に、パワースラムでCMに出たんだけど、その時もねぇ…。
アイツが突然、素顔で映りたいって言い出して、それをかたくなに阻止したんだよね。
プロレスラーのパロディキャラで、プロレステーマを演奏するのがパワースラムなのに、テレビに出られるからって急に自身の顔を見せるんじゃ意味ないだろ、パワースラムの面白さでCMに出してもらってるんだぜって、リーダーの権限で許さなかったのだ。
今思えば、たった15秒のCMでさぁ、メンバー4人並んでる中のアイツ一人が素顔だろうがどうでもいいじゃんって気がするんだけど、まだまだあの頃のオレは頭が固かったのかなぁ。
パワースラムの動員が一番伸びてた頃、ライヴの時にアイツが「デットン」っていう、自分のバンドのチラシを配ってたのを見ても「何やってるんだよ!」って怒ったような気が…。
当時、週プロ等の雑誌の告知や、チケットぴあとの交渉などなど、一人でやってたオレとしては、パワースラムのチケットを売らず、お客さんだけ取ろうとした行動に見えて許せなかったんだろうけど、亡くなった事を知ってから初めてアイツのブログを読んだら、アイツが初めて作ったチラシだったんだねぇ。単に、嬉しくてみんなに配りたかったのかなぁ。
今のオレだったら、稚気あふれる可愛いヤツめ、とか思ったんだろうな。
そんな悔いも多いけど、ひとつだけアイツの力になれたのかもしれないなってのは、オカマの「二丁目ゴールド」というキャラクターを考え出した事だな。(考え出したというか、彼の中に見つけたというか…)
パワースラム以降も、そのままの名前で音楽活動を続けてたって事は、ウケが良かったとかもあるだろうけど、自分でも気に入って、キャラを発展させ、育てていったんだと思う。

実はオレねぇ…色々な事があったけど、パワースラムの名前で何か…たとえば一晩だけの復活とかをやるにしても、二丁目ゴールドと「B」という男、それにプアーさん。みんな揃えなきゃダメだなって…
何年か前のテリスラ忘年会で、一夜復活企画をやってイマイチだった時に痛感してたんだよね。
これから前に向かって進んでいくバンドなら何をやってもいいと思うし、コケてもリベンジすればいいけど、過去に、それなりに一生懸命やった楽しい思い出を、自分の手で、最後の姿をしょっぱいセッションみたいなカタチにしちゃいけなかったなって思っててね。
もし次があるなら、その一瞬は本気で全力を賭けよう、最高に面白くて盛りあがってた頃のパワースラムを復活させようって思ってたんだ。
それには絶対に、二丁目ゴールドの存在が必要だった。
でももう、できなくなったんだねぇ。
ターニングで、晴海ドームで、エッグマンで、次郎吉で…オレの横で、元気にクネクネ動いてたのが目に焼き付いてるだけに、この世にいないなんて不思議でしょうがないよ。
ゴールドのご冥福を、心よりお祈りするぜ。
天国でも歌っててくれよな!

第二回打ち合わせ

2008-05-23 | Weblog
朝からカフェでございます。
今日はディレクターも交えての打ち合わせ。
どういう切り口で、どんな風に企画を進めたら面白いのか。
オレはどんな「ブツ」を用意しておけばいいのか、などなど。

番組のメインは…かつてオレが某番組の依頼で、その方の「お父上」のソフビ人形を進呈させてもらった、誰に聞いても「性格がいい」と評判の俳優さんと、ショットガン・トイの高円寺時代に新聞のコラムで店を取り上げてくれた、オレと同じニックネームのビッグなプロデューサー。
なんか縁があるような…
しかしながら、ソフビ進呈の際は、テレビ製作会社の人に渡しただけ、コラム取材の際もビッグプロデューサーの弟子らしき人が取材に来ただけと、何も縁がないような…。複雑です。

打ち合わせ終了後、我が家に戻り、井森の昼ドラを見ながらメシ。
ふふ、ハルクがレギュラーで出てるんで、毎日見てるのだ。

助手席側、塗れました!

2008-05-22 | B-BOO(ヴィヴィオビストロ)
ボンネット、グリルに続き、顔面(?)の助手席側の色が塗れたぜ!

しかし…真ん中だけがツヤ消しだったら「こういうデザインなのかな?」って逃げ道があるけど、これで本当にハンパな感じになってしまった。
なるべく早く完成させないとな。
バランスを考えると、次は運転席側の顔面だっ!