"bokuttenani - ぼくってなに" هيا بنا إلى الاحلامات

"判断留保"
“僕らしくなくても僕は僕なんだ 君らしくなくても君は君なんだ” 【ハイロウズのNo.1】

ボランティア体験記 2011-1130から1208

2011-12-18 17:35:13 | exsisto - 存在
仮設住宅訪問&ボディケアのボランティアをして思ったこと



目次
1 信頼関係の構築、pay forward, pay around
2 自分の悲しみとして
3 立場の違いと偏見について




1 地元の人々との関係構築について
仮設住宅を訪問してアシストをした後よく言わたことは
「あなた方ボランティアさんのおかげでやり直す元気が出た」ということ。
「あなた方」。

僕は、11月に初めて被災地に入り、ボランティアに参加した日数も少ない。でも、3月11日に地震があってから今までずっと活動してきた、サイエントロジーやその他のボランティアの人々の努力と成果、それによる信頼関係があるから、僕もおなじ「ボランティア」の一人として信頼され感謝される。
一緒に活動してくれる仲間のおかげでもある。彼らが地元の人との間に築いてきた信頼関係のおかげで、一緒にいる僕も信頼してもらえる。そんなことが何度もあった。
僕は自分の行いに対して、有り余る感謝を受け取った。過去に活動してきたボランティアたち、今一緒に活動してくれている仲間たちのおかげ。
だから、僕たちが今活動している成果とそれによる信頼関係も、未来のボランティアたちと地元の人々の関係につながって行けばいいと思う。そのように努力して行動して行きたい。またいつか、僕の顔パス(笑)で、一緒にいる初対面の仲間が地元の人々に信頼してもらえるようになったら本当に嬉しい。

pay forward, pay around

自分が受け取った幸せは、未来へ、仲間へ広がって行けばいい。
「いつか恩を返したい」と言って感謝してくれる地元の人々も、そのように行動してくれたら幸いの極みです。
("Pay Forward"という映画がありましたね。自分の受けた親切を別の誰かに返し、そうして、思いやりの心が世界に広がっていくという話でした)




2 自分の悲しみとして
訪問した地元の人々に良く言われたもう一つのことは
「あなたの貴重な時間を犠牲にして、私たちのために行動してくれて本当に感謝している」
でも僕は自分の貴重な時間を犠牲にしてはいない。

テレビで見ている限りでは、被災地の悲しみは僕の悲しみでは無かった。具体的な個人の生として実感できていなかったからだ。でも、実際に仮設住宅にすんでいる人々を訪問してみて、自分の家族に同じことが起こったらどうか想像してみた。涙がでるほど悲しかった。
僕だって自分の父、母、祖父、妹、友達が災害や戦争で死んだり、苦しんだりしていたら悲しいんだから、被災地の人々が悲しい思いをしてきただろうこと、今も悲しい思いをしているだろうことはわかる。

だから、これはもう具体的な現実の人々の悲しみ、僕の悲しみになった。
訪問した人々に対しては、自分のじいちゃん、親父、母さんに対するようにアシストしたりお話ししたりしてきた。
(僕のことを、「息子が訪問しに来てくれたみたいで嬉しい」と言ってくれたおじいちゃんがいました。感激です。。。)




3 立場の違いと偏見について
今まで僕は、訪問販売の人や、冊子を持って訪れる宗教団体の人に大して偏見を持っていた。というか、何も考えず、「断る」と決めつけていた。彼らは「あちら側」で僕は「こちら側」、明確な境界があった。

しかし、今回サイエントロジーのボランティア募集をWEBで見つけて、不安を感じながらも、今まで「あちら側」だったところへ身を置いてみようと思った。

新しいことを始めなければ世界は変わらないから。

実際に仮設住宅を訪問してみていろいろなことを感じた。

最初は相手が何を感じているかなんて気にもしないで自分の言い分を言ってアシストを勧めるだけだった。しかし、今まで訪問される側として自分が感じていた不信、不安、それを僕が訪問している相手は感じているかもしれない。ならば自分の主張よりもまずは相手に安心してもらうことが大事だ。

また、訪問する側に立ってみて、今まで自分が訪問者に感じていた不信感や不安感を我が身で受けることになった。これはきつかった。最初はかなり傷ついた。でも、よくわからい人が訪ねてきたら不安になるのは当然、自分だってそうだった。だから、わかってもらえないかもしれないけれど、安心してもらえるように努める。

またこれからは、僕を訪問してくる人々に対する見方も変わってくるだろう。偏見を捨て、彼らの想い、言葉を理解しようと思う。僕だって理解してほしいから。
 
戦争や諍いを解消しようと思ったら、立場の違いと偏見の壁を超えること、自分の枠にとらわれず相手の立場を理解することがいかに困難であるかを理解する必要があると思う。とらわれていないつもりでも、自分の枠にとらわれているんだと思う。




◇◆◇◆◇
レポートは以上ですが、最後にちょっとだけ。

一緒に活動してきた仲間には本当に感謝しています。ついこの前まで、全然知らない人たちだったのに、気楽に仲良くしてもらって本当に嬉しい(僕は人見知りで臆病です。。。)。誰かが自分のことを知っていてくれるのは本当にありがたいことです。ありがたいから、僕もみんなのことをいつまでも覚えています。
寂しい僕に、神様が楽しい家族をプレゼントしてくれたみたいです(笑)。
それぐらい、信じられないぐらい楽しくて、幸せでした。
みんなほんとにありがとう!!!