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教育や社会について:均質さ、複雑さ、多様、シンプルさと幸せな生活

2020-06-15 18:36:33 | societas - 社会
障害児教育に限らず一般の教育も含めて、平等・均質なものではなくて、個人の能力・適性・気質・希望などが反映されるものであれば良いと思います(よりコストがかかるかも知れませんが)。全ての人間が同じような能力を習得する必要はなく、社会の成員が個性を活かしあって助け合う状態になれば良いと思います。それでも全ての人が習得すべき生活にまつわるスキルもあるとは思います。ヨルダンでは生徒の能力・気質に応じて伝統芸能や作業の時間には、教員が活動に参加させる生徒を選別することが頻繁にありました。参加しない生徒の能力に応じた別の活動の割り当てがあればそれも良いかと感じます(ヨルダンではそれは全くありませんでしたが)。

私は特別支援教育も、教員課程も履修しておらず、派遣前に特別支援学校で2週間見学研修をし、学習指導要領も初めて読みました。感じたことは、カリキュラムも指導要領も量がとても多いこと、複雑であることです。それをこなせる人が教員になれば良いだけかもしれませんが、私は教育がこれほど複雑であることに疑問を感じます。それは、生徒が今ある社会に適応するため、または多様な職業の選択を可能にするためには必要なものかもしれませんが、日本は公平・均質化を求める傾向が強く感じます。しかし例えば最初から農村などでのシンプルな時給生活を視野に入れて、屋外での作業や実生活直結する技術に極端に比重を置いたカリキュラムの中で、コミュニケーション・道徳・思考力などの能力を磨く、という、教育の選択肢も、もっとあって良いかと思います(シンプルさを求めるのは単純に私の好みとキャパシティの問題かもしれません)。

今日のグループセッションで別の隊員が「日本に比べて配属先の施設の生徒は落ち着いている。それは興味の対象になるモノが少ないからではないか」と言っていました。モノに限らず、情報・選択肢など日本の社会では多すぎて弊害の方が多いと感じます(衣食住が足りてそれに満足できるならば人間が幸せに平和に生活するためには十分と自分は考えています)。社会の物質・情報・選択肢の過剰さ複雑さは学校での教育内容にも反映されているので、そんな日本のモデルを抱いてをアフリカや中東などの緩やかな(?)暮らしに拡めようとするのは方向が違う気がします。実際にヨルダンでは、学習などの自己投資に時間を費やすことは日本と比べて極端に少ない印象で、逆に、食事・休憩時間・余暇の楽しみには手間と時間をたっぷりかけます。それで皆幸せそうです。人生を楽しむために必要なものはそんなにたくさんないのではないでしょうか。

38歳の自分が経験した小・中・高校での教育をもとにして書いたので、現状はもっと違うかもしれません。