今回の旅行には、「星の王子様」と寺で配布してたプリントを持って行きました(京都嵐山の先光時においてあった)
仏教(っぽいものとか)に最近 魅かれています。
「花は咲いたら散ってそれっきりだけど、その一時一処にこの世のすべてをかけている」 とか
「観音様はこの世の全てに実体がないことを悟っておられた。物質現象、意志、思考。。。そのどれも実体をともなわないもの」(般若心経)とか
(実体のあるものがそもそもないのなら(とは読み取れなかったけど)、まあ全部が実体みたいなもんだよね)
プラトンもハイデガーも老子も般若心経も。。。みんな同じこと言ってるのかな。
「どんなに科学が発展しても、宇宙の謎が全て解けることは無い」アインシュタイン
「宇宙の果てに旗を立てたとしても、宇宙の謎はわからないまま」ハイロウズ
「語り得ざるものについては沈黙せよ」ウィトゲンシュタイン
彼らもその神秘を感じていたからこんなこと言ったのかな
認識や意識の主体が存在しない世界は、静かに存在している訳でもないし、どのようにうごめいている訳でもないのだろう。
だからといって、無でもない。
人間の感覚や言葉では表現できない。
人間には人間的なものしか、扱えない。
俺の世界は、俺の意識の世界。それは、世界を反映して、意識の世界として再構築されている。
「本物」の世界、「真実在」の世界には 俺はタッチできない。
けど、「本物」の世界、自然現象や動物、人間、といろいろな刺激を受け取る感覚器官、運動期間、考える脳。。。。
それらの複合が俺の意識をつくってる。
そんで俺の意識は、思考は「本物」の世界に影響を与えているんだよね。「本物」の世界をかえることができる。
紙が千切れる、叫べば空気が振動する、殴れば誰かが傷つく。。。
コミュニケーションのすごいことは、俺は他人の意識にタッチできないし、他人も俺の意識にタッチできない。
お互いの意識の中で会話が起こっている、でもそのことによって、交流ができてしまうことだ。
「悪魔が俺に幻を見せている、お前が見ている世界は全部ゆめみたいなもんなんだ」とかいうたとえがありますが、
実質どちらでも変わらない。培養基の中の脳(マトリックスみたいな)が見せてるものだろうが、肉体が刺激を受け取って作ってる意識だろうが。。。
それでも、他人はちゃんと「本物」なんだ。ただのビジョンでも音でもなくて。
「そこに存在する」とは言えない。そこにはいないから。どこにもいない。近くも遠くもない。
パラレルワールド。
でも、ちゃんと存在してるってわかる。
相手もわかってる。
科学で解明できるのは、現象の性質や法則、
でもエネルギーってそもそもなんなの? とか
物質が存在してるって言うのはどういうこと? 空間って何よ? 無って何よ? 宇宙はどこにあんのよ
この意識はなんなの? 色って何だよ来れ、音って何だよこれ、 「誰がこんなの考えだしたの?」
「自分」というこの感覚はなんなの? 自分である、というこの感じ。。。
そういうのはわかんないよ。
「わかる」「わからない」は人間の枠組み。人間の知能の構造。かな。かもしれない。
-------------------
言葉を封印してみたら、「獣」のような気分になるかな。。。って思ってるんだけど、なかなか封印できん。。。
仏教(っぽいものとか)に最近 魅かれています。
「花は咲いたら散ってそれっきりだけど、その一時一処にこの世のすべてをかけている」 とか
「観音様はこの世の全てに実体がないことを悟っておられた。物質現象、意志、思考。。。そのどれも実体をともなわないもの」(般若心経)とか
(実体のあるものがそもそもないのなら(とは読み取れなかったけど)、まあ全部が実体みたいなもんだよね)
プラトンもハイデガーも老子も般若心経も。。。みんな同じこと言ってるのかな。
「どんなに科学が発展しても、宇宙の謎が全て解けることは無い」アインシュタイン
「宇宙の果てに旗を立てたとしても、宇宙の謎はわからないまま」ハイロウズ
「語り得ざるものについては沈黙せよ」ウィトゲンシュタイン
彼らもその神秘を感じていたからこんなこと言ったのかな
認識や意識の主体が存在しない世界は、静かに存在している訳でもないし、どのようにうごめいている訳でもないのだろう。
だからといって、無でもない。
人間の感覚や言葉では表現できない。
人間には人間的なものしか、扱えない。
俺の世界は、俺の意識の世界。それは、世界を反映して、意識の世界として再構築されている。
「本物」の世界、「真実在」の世界には 俺はタッチできない。
けど、「本物」の世界、自然現象や動物、人間、といろいろな刺激を受け取る感覚器官、運動期間、考える脳。。。。
それらの複合が俺の意識をつくってる。
そんで俺の意識は、思考は「本物」の世界に影響を与えているんだよね。「本物」の世界をかえることができる。
紙が千切れる、叫べば空気が振動する、殴れば誰かが傷つく。。。
コミュニケーションのすごいことは、俺は他人の意識にタッチできないし、他人も俺の意識にタッチできない。
お互いの意識の中で会話が起こっている、でもそのことによって、交流ができてしまうことだ。
「悪魔が俺に幻を見せている、お前が見ている世界は全部ゆめみたいなもんなんだ」とかいうたとえがありますが、
実質どちらでも変わらない。培養基の中の脳(マトリックスみたいな)が見せてるものだろうが、肉体が刺激を受け取って作ってる意識だろうが。。。
それでも、他人はちゃんと「本物」なんだ。ただのビジョンでも音でもなくて。
「そこに存在する」とは言えない。そこにはいないから。どこにもいない。近くも遠くもない。
パラレルワールド。
でも、ちゃんと存在してるってわかる。
相手もわかってる。
科学で解明できるのは、現象の性質や法則、
でもエネルギーってそもそもなんなの? とか
物質が存在してるって言うのはどういうこと? 空間って何よ? 無って何よ? 宇宙はどこにあんのよ
この意識はなんなの? 色って何だよ来れ、音って何だよこれ、 「誰がこんなの考えだしたの?」
「自分」というこの感覚はなんなの? 自分である、というこの感じ。。。
そういうのはわかんないよ。
「わかる」「わからない」は人間の枠組み。人間の知能の構造。かな。かもしれない。
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言葉を封印してみたら、「獣」のような気分になるかな。。。って思ってるんだけど、なかなか封印できん。。。
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