生きとし生けるもの
家の前に積み上げられた雪も少なくなってきた3月最後の週
北の大地住人がひたすら待ち続けた 春 の季節がすぐそこまでやってきました。
出不精の私は降る雪を眺めながらどうでもいいことをタラタラと考えることが好きです。
暇人か? って突っ込みが入りそうですが
言われるほど暇人ではありません。
あっ!今早速あの方々からもしもしテレがはいりました。
そうです。 電話のベルが鳴ったら飛んで行きます。(最近このベル恐怖症なの)
なのでゆっくり好きな曲でも聞きながらコーヒーなんて優雅な時間は中々とれません。
大切な人のためだから今から飛んで行ってきます。
3月30日 外は霙(みぞれ)雪
最後の最後まで頑張って降るんだね。
さわさわ小波でちょっとだけ心落ち着かずの日々 天候にも左右されるデリケートなわたし!?
昨年5月に東京井の頭自然文化園のアジアゾウ 「はな子」が惜しまれながら老衰で亡くなったことを知った。
園を訪れる人達にそこにいてくれるだけで十分と言わしめる存在感と神々しい佇まいに心奪われてしまいました。
(そんな「はな子」に実際に会ってみたいと思いながら映像で会うことしかできなくて残念でした)
年を重ねることが辛いと思わせるような今の人間社会
私の大切な人も顔を合わせる度に(いつもお世話かけてすまないね)って
それじゃ!またね!って帰って来るときも
姿が見えなくなるまで(気をつけて帰ってね。 またきてね。)の声が背中につきささりヒリヒリするほどです。
帰りの車中は
が止まりません。
いつもお世話かけてすまない!とか年を重ねて辛いとか思ってほしくない。のに。。
この冬空 雪風に耐えてシーちゃんの友ヒヨドリとあかげらが訪問してくれます。
彼らも逞しいな~
そして私の傍で身をもって坦々と生き抜くことを教えてくれたシドがいました。
そこにいてくれただけで十分だったよ。 シーちゃん
人生を生き切る。
残された人はその姿を見て自分の人生を生き続ける。
命というものは大切だからこそ繋ぐというより完結するもの。(自閉症の君との日々の中での東田直樹さんの言葉)