まだ午前四時、冷たい水を一杯飲んでいると、微かに
鳥の声「本尊掛けたか・・・テッペンカケタカ・・・」
『ホトトギス』ですね。古来万葉集等にも多く詠まれ、
托卵で有名ですが、芭蕉も間違えた郭公と混同され、
漢字表記や異名も数多あり、故事や迷信に事欠かない。
「あの声で蜥蜴(とかげ)食らうか時鳥」宝井其角
ホトトギスは美しい声で鳴くが、醜いトカゲなどの
爬虫類や虫などを食べることから、見かけによらないと。
佐々木信綱作詞の「夏は来ぬ」に
卯の花の 匂う垣根に
時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ
*忍音とは初めて聞く鳴き声をいう
5時40分の春日奥山の写真を撮り終えると、雨音が
昼頃には雷雨と共に激しく雨が降る予報。
梅雨入りの発表があるのかな。
先日の柳生を見る・知る・歩くの最後
芳徳禅寺の西側を北方向に下る旧参道、通る方が少なく
落ち葉が積り、滑りやすくなっています。
下った先で、打滝川に直ぐ赤い橋「もみじ橋」が架かる。
近くに大きなモミジが、これが由来?。
JAの横の細い道を西に向かい、直ぐの北30m程に
柳の木が一本、これが柳生と云う地名の由来の『柳の森』
跡ではないのですかと?
ここから北西方向の山の中腹に、枯れた木が見えます。
『十兵衛杉』、中宮寺の共同墓地の上部にあり、十兵衛が
父・宗矩の命を受け西国の旅に出る時に植えた杉と云われ、
元は柳生家の墓所であった。樹齢は350年だったが昭和48年
二度の落雷により枯れてしまい、保存されている。しかし
二代目もその横で大きくなりつつある。
西の山裾に長い石垣が横たわっています。
国道を横切り進めば入り口に、『柳生家老屋敷』と
柳生家に仕えた小山田氏の元屋敷で、足軽から過労になった
小山田氏は商才に富み、藩の財政を立て直した。石垣に刻む
「天保12年丑三月吉日 尾洲知多郡小野間村石工善五郎前六」
隙間もなくぴっちりと組まれた石垣に関心しました。
実は昭和39年に作家・山岡壮八氏の所有になり、昭和48年の
NHK大河ドラマ「春の坂道」の原作もここで構想が練られた。
現在は奈良市の所有で、柳生観光協会が管理運営をされている。
さらに南へ進むと小山田氏の分家の石垣が・・・
現在も住まれておられます。
宗矩の跡を継いだ二男・宗冬は家綱の兵法指南役となり、
1654年柳生八坂神社を造成し、石の鳥居を寄進しその丘に
葡萄の守り神である摩利支天を祭ったとされている。
八坂神社の右側の小さな丘陵、俗に「摩利支天山」に向うと
現在祠はないが、平成19年に摩利支天の石のレリーフが
復元されていた。
摩利支天は飛天の眷属で「かげろう」を神格化した神とされ、
常に飛天の前を先行し、自在の通力を有している天神で、
この神を念ずると一切の苦役を脱することが出来ると伝えられ
勝利の神として武人に敬われてきた。
頂上から北の方角、柳生の里を眺めるも、山の上にゴルフ場の
ハウスが。このあたりゴルフ銀座とされ、農薬による環境破壊も
考えなければ・・・
産業がない分、働き先として必要悪か。いや他の方策が
柳生八坂神社にお願いしておかねばなりません。
見える拝殿は、天之石立神社の能舞台を移築されたもの、
奥の本殿は、春日若宮を移築されており重要文化財です。
主祭神は素戒鳴尊、天照坐皇大御神、春日比賣大神。
二時間半の散策でしたが、内容の濃い地域ですね。
もう一度大河ドラマに登場させてくださいませんか、NHK様。
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