節分の朝、雲が多くきれいな朝日は見られず。
奈良の最低気温は、1.6℃と冷え込みは弱い。昼前から日差しもあり10.1℃迄
上がったが、天候は西から崩れており夜には雨になるという。
11時、7.1℃、52%
でも週明けは寒気の南下でなんと明日日曜日の朝は雨が雪に代わるかも。
だが次に控える南岸低気圧により冬型の気圧配置となり、奈良の月曜日は雨雪
との予報だが、関東地方は深夜から火曜日朝がピークの雪模様になる?。
さてNHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花は「ナズナ・薺」、アブラナ科の
越年草で、ペンペングサやシャミセングサとも呼ばれ、道端に生えている。
古くムギと共に中国から伝わったようで、春に小さな白い花、花びらは4枚の
十字形を呈し、その下の平たく三角形なのは種になる。
冬にもロゼット状でグリーンの葉を地面に放射状にのばしている。このため
邪気を払う力を持っていると信じられ、平安時代から七草粥を食べて万病を
防ぐという風習が始まったようです。
花言葉は「すべてを君に捧げる」
西国観音霊場三十三所巡りの続き
第二番「金剛宝寺(紀三井寺)」を13時過ぎに辞して土産物を買えば、もう
13時半、昼食は簡単にと和歌山ラーメンを探すも国体道路沿いにはなく、
「神座(かむくら)」の看板が目に、奈良にもあるのですが・・・
テーブルに座れば、タブレットで注文して下さいとのこと。
注文したのは「美味しいラーメン」と「餃子」、テーブルに置かれたニラを
入れれば、コクが出て美味しさが増しました。道頓堀の店で30年前に食べた
ことを思い出させてくれました。
支払いも無人で、レシートのQRコードから支払いにびっくり!!!
食事も終わり、奈良へ取って返し、京奈和道路の紀の川東ICから5分で、西国
三十三所3番・厄除観音「風猛山 粉河寺」の山門前の駐車場へ午後3時到着。
西国三十三所のお寺で最大の本堂(重要文化財)、庭園(国指定名勝)と桜の名所
が有名だとか・・・
さてりっぱな「大門」、三間楼門で1706年建立で総欅造り。ここから期待が
西日を浴びる金剛力士像、仏師春日の作と云われ、尊像の用材は桂の巨木で、
本当に素晴らしかった。
大門を抜けてお参りさせていただきます。
本尊は千手千眼観世音菩薩で、
伝承によれば創建は770年、大伴孔子古(おおとものくじこ)によると。
その草創の縁起は『粉河寺縁起絵巻』(国宝・京都国立博物館寄託)に記す。
鎌倉時代に天台宗の寺院として興隆し、550か坊に大勢の僧兵を擁し、寺領は
4万石もあって広大な荘園を持つ大寺院となり、根来寺や金剛峯寺と並ぶ。
直ぐ左手に不動堂、弘法大師爪彫りの不動尊が安置されていると。
本坊内陣に江戸幕府第8代将軍徳川吉宗寄進の伝左甚五郎作「野荒らしの虎」
右に紅白の鮮やかな「童男堂」、1679年建立される。
寺伝では、紀州藩の出身の八代将軍吉宗の寄進とされる。
ご本尊は当山千手千眼観世音菩薩の化身である童男大士(童男行者)、毎年
12月18日の童男会の法要に併せて開帳され、堂内の天井絵、壁画はどれも
秀逸で、殊に欄間の彫刻の華麗さは一際群を抜いていると。
本坊👇 童男堂👇👇
本堂がこの先に見えてきました。桜並木が、春が待ち遠しいですね。
仏足石
その背後に「出現池」、千手観音の化身とされる童男大士が柳の枝を手に白馬に乗り出現されたと言う池です。
念佛堂、光明殿ともいい、江戸時代後期建立で、総欅造。
阿弥陀如来坐像、露座仏で、1862年に紀州藩第8代藩主徳川重倫らの寄進。
太子堂、聖徳太子を祀る。「争いを止めて和の精神を尊ぶ」
左から本堂、手水舎そして「中門」
手水舎に「盥漱盤(荷葉鉢)」1775年粉河鋳物師蜂屋薩摩掾五代目源正勝の作。総高240cm、幅185cm。
「中門」は1832年完成、入母屋造で、本瓦葺きの楼門で重要文化財です。
扁額「風猛山」は紀州藩第10代藩主徳川治宝の筆。
左右の間に四天王像を安置する。
中門をくぐり、左手に牧水の歌碑(1974年建立)がある。1907年に訪れ詠む。
「粉河寺 遍路の衆の 打ち鳴らす 鉦々きこゆ 秋の樹の間に」牧水
さらに行くと、
右 「水も嘸(さぞ)や白き粉河の山桜」 五橘亭
左 「風猛(かざらぎ)の名に似ぬ里の小春かな」 塊亭
丈六堂の前に 芭蕉句碑(1939年建立)が・・・
1668年4月1日、『笈の小文』の芳野紀行の句、四月一日は衣更の日でした
「ひとつぬいてうしろにおひぬころもかへ 」芭蕉
丈六堂は1806年再建、丈六(約4.8m)の阿弥陀如来様が安置されていた。
丈六堂👇 地蔵堂👇
👆芭蕉句碑
粉河観音宗総本山の本堂(重要文化財が)一段高いところに
奈良時代770年の創立、1720年に再建された江戸時代中期の寺院建築の代表、
西国札所の中で最大の内陣の厨子内に秘仏の本尊千手千眼観世音が祀られる。
両脇には侍者の28部衆、内陣背面に裏観音、東に鬼子母神、西に不動明王、
両脇には侍者の28部衆、内陣背面に裏観音、東に鬼子母神、西に不動明王、
大日如来、閻魔大王、その他諸尊が祀られている。
本堂の規模は外陣及び内陣は間口33m、奥行12m、
本堂の規模は外陣及び内陣は間口33m、奥行12m、
内陣脇陣、後陣は間口24m、奥行13m、向拝は間口12m、奥行4mです。
石段の両脇は1970年に名勝指定された「粉河寺庭園」、浅野家家老・上田宗箇
の作庭とされ、安土桃山時代の豪華な作風から江戸時代初期までの作と推定。
緑泥片岩を主とした美しい石組の庭で、紫石、龍門石等の紀州の名石を含み、
ツツジの刈込みで石の間隙をうずめ、さらにビャクシン・シダレザクラ・
ソテツなどの植栽が組み合わされている。
左手側に重点をおき、枯れ滝・石橋・鶴亀の島などを象徴的に表現し、
右手にゆくに従って石の扱いは軽くなっている。
お参りさせていただきました。
本尊真言は「おん ばざら たらま きりく そわか」
ご詠歌は「ちちははの恵みも深き粉河寺 佛の誓ひたのもしの身や」
左に「賓頭盧👆びんずる」さんがおいでになります。
御朱印を頂けば、車はどちらに停められましたかと。
駐車料金も一緒に収めさせていただきました。
さて左手に「千手堂」重要文化財で、1760年建立。
宝形造(ピラミッド形屋根)の小堂で、本尊の千手観音立像は秘仏です。
日が落ち始め、気温は2℃ぐらいで風も強くあまりの寒さにぶるっと
本堂と千手堂の間に、石段があり、朱の鳥居が見えます。
「粉河産土神社」で、 元は粉河寺の鎮守社。
あまりの寒さに、時刻の午後3時半過ぎ帰路につけば、本堂左手奥の薬師堂も
「踞木地の楠」樹齢300年以上、幹周7. 70m、樹高20m にも会えなかった。
境内から梅の花が咲いているのを見ながら、帰路につきました。